<エリート主義の欧米>
「社会主義。」もその『亜流』である「ケインズ主義。」も、たったひとつの衝動に突き動かされている。
そしてこの2つほどは、わかりやすくはないが、「マネタリズム。」とか「中央銀行主義。」、要するに国家が金融を適切にコントロールすることで、経済は、景気変動なき永久の安定成長を達成できるという思想も、同じ衝動に突き動かされている。
それは、他人を自分の思い通りに動かしたいという、神のごとき欲求だ。
そして、そのまた底流にあるのは意思決定の権限は、自分のような優秀なエリートに集中して、庶民はエリートの命ずるままに動いているほうが、庶民自身にとっても幸せなのだという、グロテスクな「エリート主義。」だ。
15世紀に、非ヨーロッパ社会の『侵略』に打って出た頃から、剥き出しの帝国主義的侵略の時代を「地理的発見の時代。」とか「大航海時代。」とかの形容で、立派なことででもあるかのように言いふらしてきた「西欧人。」は、骨の髄からのエリート主義者たちだ。
だからこそ、自由とか平等とか、歯の浮くような美辞麗句を洪水のように溢れかえらせて、自分たちの本性を隠そうとするのだ。
しかし、こんな隠蔽工作は、すぐ底が割れる。
欧米「資本主義。」がうまくいくのは、軍事的な指揮命令系統をもった事実上の独占企業が、羽振りを利かせているときだけなのだ。
これは、イギリス、オランダが相次いで設立した東インド会社の実体が、軍事・貿易・『海賊』会社だったころからの伝統だ。
その伝統は、USスチール、GM、IBM、マイクロソフト、アップル、グ-グルにいたるまで脈々と生きている。
自社でルールをつくり、そのルールでうまい汁を吸えるのは、自社のみという構造が定着してる限りで、これら事実上の独占企業は、強大な企業帝国を維持できる。
<未完>
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