昨日は義父の50回忌を営んだ。
夫の父。
夫が19歳の時他界された。
それ以来、夫は母と祖母の面倒をみてきた。
義弟はまだ17歳、学生だった。
義弟が当時通っていた専門学校を退学したいと言ったとき
夫は仕事を休んで
当時の先生たちに会いに行き
義弟が学校を続けるよう説得した。
義弟はそのとき身に着けた技術を
退職まで活かすことができた。
夫の闘病中
誰よりも夫を支えてくれたのはその義弟だった。
今も、男手が必要な田舎の暮しを支えていくれているのは
その義弟だ、
昨日は
隣県へ嫁いでいる義姉も3年ぶりに帰郷し
姉弟そろって50回忌のお参りをすることができた。
夫が若かったころのような「家と家のつきあい」は減り
コロナ禍もあいまって
親族が集まる機会は激減した。
それでも、
姉弟だけでもいっしょに
お参りができたことを本当に良かったと思う。
夫がなによりも大切にしていた
「人と人が集う家」という思いを
こうして引き継いでいけることに感謝。
午後は「お花束配り」をした。
夫が大切にしていた人たちに会い
今の私の生活を気遣っていただいた。
これからも
夫が繋いでくれたこのご縁を大切にしていきたいと思った。
夫の父。
夫が19歳の時他界された。
それ以来、夫は母と祖母の面倒をみてきた。
義弟はまだ17歳、学生だった。
義弟が当時通っていた専門学校を退学したいと言ったとき
夫は仕事を休んで
当時の先生たちに会いに行き
義弟が学校を続けるよう説得した。
義弟はそのとき身に着けた技術を
退職まで活かすことができた。
夫の闘病中
誰よりも夫を支えてくれたのはその義弟だった。
今も、男手が必要な田舎の暮しを支えていくれているのは
その義弟だ、
昨日は
隣県へ嫁いでいる義姉も3年ぶりに帰郷し
姉弟そろって50回忌のお参りをすることができた。
夫が若かったころのような「家と家のつきあい」は減り
コロナ禍もあいまって
親族が集まる機会は激減した。
それでも、
姉弟だけでもいっしょに
お参りができたことを本当に良かったと思う。
夫がなによりも大切にしていた
「人と人が集う家」という思いを
こうして引き継いでいけることに感謝。
午後は「お花束配り」をした。
夫が大切にしていた人たちに会い
今の私の生活を気遣っていただいた。
これからも
夫が繋いでくれたこのご縁を大切にしていきたいと思った。