脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

ごめんね

2013-09-21 20:29:09 | 私の思い 3
猫たちのおやつタイム。
ちび猫はもう先住猫と同じくらいの大きさになった。
お互いに心得ていて
交互に食べている。





このちび猫は
水道の蛇口から直飲みが大好き。





汲み置きしてあるお水とは味が違うらしい。


老猫のほうは
食事のおねだり。
私の後片付け(食器洗い)が済むまで
こうして黙って待っている。





これは先日のできごと。
犬小屋に
ちび猫を入れてやったら
ちゃっかり
わんこの寝床に入って
すっかりくつろいでいた。
困り顔のわんこ。






老猫がはじめて我が家にやってきたとき。
以前飼っていた猫が交通事故でけがをして
あいにく休日で
県内で、休日診療をしている動物病院を探して
夫が高速をとばして連れて行ってくれたのだった。
膀胱破裂で、手術を待つ間になくなって・・・
そのとき、その病院に保護されたばかりの子猫が
この子だった。
そのときは
保護されたばかりで
病気の検査もまだだし
今は亡くなった子をちゃんと送ってあげて、と言われて
帰ってきたのだったけれど
数日たって
あまりに私がしょげているので
夫が
きっと前の猫が引き合わせてくれたのだから、と
一緒にその病院まで引き取りに連れて行ってくれたのだった。


わんこが我が家にやってきた日は
やはり遠くのお店まで
夫が連れて行ってくれたのだった。
私は
新しい家族に有頂天で
後部座席で
この子をだっこして連れてきたのだった。
はじめは
市販のケージに入れていたのだけれど
小さなケージではかわいそうだからと
畳一畳分もある大きな小屋を作ってくれたのだった。


いつも
いつも
大事なときには
かならず
そばにいて
判断や決定は夫がしてくれたから
わたしは
なんにも考えないで
甘えていればよかった


ことばを話せなくなってからも
きっと
夫は
いろいろなことを心配してくれていたのだと思う。
ひとりでは何もできない私を
どんなにか心配してくれたのだと思う。
あのころ
夫のそんな気持ちに気づきながら
ちゃんと答えることができなかった。
夫のいのちの終わりを認めることがこわかったから・・・


ごめんね
安心させてあげられなくて。





あなたへ

2013-09-18 21:46:41 | 私の思い 3
もうすぐ
あなたの誕生日がきますね
あなたが元気だったら
59回目の誕生日です

少し前に
私の誕生日がありました。
だれも祝ってくれる人などなくて
ただひとり
ネットでずっと励まし続けてくれた人だけが
お祝いメールをくださいました。


もう
祝ってもらう年齢でもないのですが
それでも
だれにも
私が生きていることを
認めてもらえないようで
さみしいお誕生日だったので
とてもうれしかったです。



今でも
あなたの気持ちに
少しでも近づきたくて


右半身マヒになって
車いすになって
あなたは
毎日
お仏壇の前に
車いすを
自分で操作して
何度となく
行っていましたね

あの頃
あなたは
何を思っていたのでしょうか


右手が不自由な
あなたに代わって
お線香をあげて

それでも
次の瞬間には
そのことを忘れて
あなたは
また
お線香をあげたがったので


一日に何度も何度も
お線香に火をつけていましたね


あの頃
あなたは
お仏壇の前で
何を
思っていたのでしょうか



あの頃の
あなたの気持ちに
近づきたいと思うけれど

私には
どうしても
わからないことばかりです


それでも
あなたの思いを引き継ぎたいと
懸命に生きてきました


あなたがいなくなって
あなたのようにはできなくても
ご近所や
親戚とのお付き合いを
何より大切にしてきた
あなたに倣って
なんとか
懸命にがんばってきました

でも
お葬式には
いつまでたっても
なれることなどできません




あなたは
どこに
いるのでしょうか


また
ご近所の方が
ひとり
あなたのもとに
ゆかれました

思い出話に
花が咲いていますか

私は
いつになったら
仲間に入れてもらえるのでしょうか


ただ
ただ
あなたのもとにゆきたいわたしです


講演会 2

2013-09-14 22:41:15 | 私の思い 3
講演会で語られたこと


たくさんの方の最期を看取ってきたけれど
在宅で
独居で
闘病しておられた方でも
ひとりで
誰にも看取られずに亡くなられたかたは
ひとりもいません、と

親族や
ヘルパーが必ず
そばにいました、と。



夫の最期の日
早朝から血圧がさがり
手足もつめたくなり
顔色も土色になって
もう、
今日がお別れの日なのだと
私にもはっきりわかっていた。



夫は
姪がかけつけて
「おじさん!」と
声をかけた
その瞬間に
心電図がフラットになった。


私ひとりでは
耐えられないと
思ってくれたのか
それとも
娘のようにかわいがっていた
姪の到着を待っていたのか・・・


息子たちも
娘も
義弟も
義姉も
だれも
間に合わなかった


どんなに
みんなの到着を待っていたことだろう


誰にも
会わせてあげられなっかたことが
大きな後悔の渦となる

講演会

2013-09-14 21:05:11 | 私の思い 3
県内で在宅医療を推進しておられる開業医の先生の講演会に行った。


きっと
事例を聞いたら泣いてしまうだろうと思いながら・・・


「ひとりで家で死ねますか?~大切な人に伝えたいこと~」


自宅での最期を望みながら
それが叶わなかった方、
望みどおりの最期を過ごすことができた方・・・


夫はどうだったのだろう・・・と思わずにはいられなかった。


肺炎の高熱のため
救急車を呼ぶしか選択肢はなかった。
でも、
もう治らないとわかってからは
自宅に帰りたかったのではなかっただろうか・・・



私は
名古屋の病院のドクターにも
最期に入院した地元の病院のドクターにも
「最期をどのように過ごさせてあげたいですか?」と尋ねられた。
延命措置をするのか、しないのか、
点滴はいつまで続けるのか・・・


ただ
心臓を動かし続けることだけが
本当に夫を大切に思うことなのか・・・


そうした、事前の質問に
私は
最期は
何もしないことを決めた。





それは
とても
重い決断だった




それでも
私は
今日の講演を聞いて
その決断が
間違ってはいなかったことを
思うことができた




それでも
私は
今日の講演を聞いて
あの頃
自分が下した決断が
間違っていたのではないかと思うことも
いくつかあった



そうした
ひとつひとつの
とても重い決断を
たった一人で
下さなければならなかった
当時の
追い詰められた気持ちも思い出せる



事前に
こうした
知識を持っていたら
もう少し
冷静な判断が下せたのではないか、と



これは
今だから思えることだと
わかってはいるのだけれど・・・



新しいパソコン

2013-09-11 17:56:57 | 日記 3
新しいパソコンが届いた。
さくさくと立ち上がる。
快適!


でも、以前のパソコンに残る夫の痕跡がなくなることはやはり耐え難くて
メモリーを増やしてもらって
ワープロがわりに使うことにした。
パソコン2台もち~♪


今まで
仕事の途中でフリーズすると
もうどうすることもできなくて
家事をしてきたりして
それでも動いていないと
強制終了、なんてことがたびたびあったのだけど
これからは
さくさく
仕事がはかどるかな・・・?

というわけで
以前のパソコン点検とデータ移行のため
パソコンのない生活を3日ほど送ったのだけれど

メールができなくて不便だったけれど
仕事しなくてもいいので
ちょっぴりのんびりできた数日だった。

さて、新しいパソコンで
今夜は文書作りをがんばる!!