脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

講演会 2

2013-09-14 22:41:15 | 私の思い 3
講演会で語られたこと


たくさんの方の最期を看取ってきたけれど
在宅で
独居で
闘病しておられた方でも
ひとりで
誰にも看取られずに亡くなられたかたは
ひとりもいません、と

親族や
ヘルパーが必ず
そばにいました、と。



夫の最期の日
早朝から血圧がさがり
手足もつめたくなり
顔色も土色になって
もう、
今日がお別れの日なのだと
私にもはっきりわかっていた。



夫は
姪がかけつけて
「おじさん!」と
声をかけた
その瞬間に
心電図がフラットになった。


私ひとりでは
耐えられないと
思ってくれたのか
それとも
娘のようにかわいがっていた
姪の到着を待っていたのか・・・


息子たちも
娘も
義弟も
義姉も
だれも
間に合わなかった


どんなに
みんなの到着を待っていたことだろう


誰にも
会わせてあげられなっかたことが
大きな後悔の渦となる

講演会

2013-09-14 21:05:11 | 私の思い 3
県内で在宅医療を推進しておられる開業医の先生の講演会に行った。


きっと
事例を聞いたら泣いてしまうだろうと思いながら・・・


「ひとりで家で死ねますか?~大切な人に伝えたいこと~」


自宅での最期を望みながら
それが叶わなかった方、
望みどおりの最期を過ごすことができた方・・・


夫はどうだったのだろう・・・と思わずにはいられなかった。


肺炎の高熱のため
救急車を呼ぶしか選択肢はなかった。
でも、
もう治らないとわかってからは
自宅に帰りたかったのではなかっただろうか・・・



私は
名古屋の病院のドクターにも
最期に入院した地元の病院のドクターにも
「最期をどのように過ごさせてあげたいですか?」と尋ねられた。
延命措置をするのか、しないのか、
点滴はいつまで続けるのか・・・


ただ
心臓を動かし続けることだけが
本当に夫を大切に思うことなのか・・・


そうした、事前の質問に
私は
最期は
何もしないことを決めた。





それは
とても
重い決断だった




それでも
私は
今日の講演を聞いて
その決断が
間違ってはいなかったことを
思うことができた




それでも
私は
今日の講演を聞いて
あの頃
自分が下した決断が
間違っていたのではないかと思うことも
いくつかあった



そうした
ひとつひとつの
とても重い決断を
たった一人で
下さなければならなかった
当時の
追い詰められた気持ちも思い出せる



事前に
こうした
知識を持っていたら
もう少し
冷静な判断が下せたのではないか、と



これは
今だから思えることだと
わかってはいるのだけれど・・・