脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

寝相3態

2013-06-16 22:34:00 | 日記 3
暑い~

猫も暑いでしょう

わかるけどね・・・


足投げ出し、、、



手も出してみて、、、


それでも暑い時は、、、




おなかを出すのが一番でしょ、、、


おまけは
老猫





こちらは
暑くても
ちゃんと
顔をかくしてます!






父の日

2013-06-15 20:37:23 | 私の思い 3
明日は「父の日」だとマスコミがさかんにPRしている。

親は年齢順でいけば
いつかはこどもより早くいのちを終える。
それでも、
まだまだ
親の愛情が必要な娘が
同級生の誰よりも早く
父親をなくしたことが不憫でたまらない。


お子さんをなくされた方のお気持ちを思うと
わがこと以上に胸が痛む。

過ぎてきた時間

2013-06-12 23:27:00 | 私の思い 3
最近、
同じ年代の友人とよく話すのは、
「人生、あっという間だったよね」

若い頃、
人生は
はるかに続く道のりに思えて
時には
余りにも遠い道のりに思えて
足がすくんだこともあった。

無思慮、無分別な決断も
たくさんあった。

それらは過ぎてきた今だから
思えることなのだと
わかってはいるが・・・

生き直すことなど
誰にもできない。
それが
たった一度きりの
貴重な時間なのだと


過ぎてしまった今だから分かる。

過ぎてしまった今になって
ようやく分かる愚かな私。

知ることと知らないこと

2013-06-11 21:36:00 | 私の思い 3
私は今の状況が幸せだとか、不幸せだとかと考えたことはない。
それは夫が元気だった頃から変わらない。

たまたま、
二人の障がいをもつ子を授かった。
それは、ほんとうに、たまたまだったにすぎないのだと思う。
でも、その障がいが
重度の知的障害と
アスペルガーという
知的には高いのに
社会性の面で大きな課題を抱えるという
両極端ともいえる二人を授かって
さまざまな親御さんの気持ちが分かるという
めったにない立場に立つことになった。

それゆえ、
この地の福祉を語る時、
否応なく、
どちらの方の支援のことも念頭にあった。

さらに今は、
介護保険の問題点も見えるようになった。
娘が難病と言われる状態になって
そのことも勉強した。
夫が癌末期と言われる病状になって
そのことも勉強した。
遺族年金や障害基礎年金にも詳しくなった。

知る機会がなかったら
決して知ることのなかったことばかりだと思う。

それらを知ったこと、
そのこと自体は
単なる偶然で
そのこと自体には何の意味もないのだろう。

けれど、
知った以上は
知らなかった頃に戻ることはできない。
知ったことと
これからの人生で
どう向き合っていくのか。

その課題は
夫がいた頃と
何一つ変わっていないのだ、と思う。
変わってしまったことではなく、
変わっていないことを
見つめて行けたらいいな、と思う。


お弁当

2013-06-11 10:28:52 | 私の思い 3
昨日の朝は
珍しく気合いの入ったお弁当を作っていたのだが・・・
娘の発熱で
人目に触れることはなく・・・

今の職場は
コンビニが遠いこと、
昼休みも利用者さんと関わることが多く
なかなか外出できないことなどで
毎日、真面目にお弁当を作っているが
いつもは自分の分だけなので
適当に作ってしまう。

娘はいつもは作業所で
給食センターのお弁当をとっているが
時々、お弁当をほしいと言う。
先日、バザーで新しいお弁当箱を買った娘は
月曜日に新しいお弁当箱を持っていくことを
楽しみにしていた。
娘のリクエストに応えて
唐揚げ、えびは外せない。
緑はオクラのごま和え。
人参のきんぴらに
前日作った煮豆、
果物はオレンジ。
彩りもバッチリで
美味しそうにできたのに!

ほんとうに久しぶりに
早起きして作ったのに!

夫のお弁当は
余り彩りは良くなかったけれど
毎朝、5時おきで作っていた。
バス会社に転職して
始発の勤務の日は
お弁当が間に合わないので
あとから会社に届けた。
そんなにまでして
私のお弁当を欲しがってくれた。
あの頃、
何を作っていたのか
今も思い出すことができない。
まるで記憶喪失のように抜け落ちた記憶。
それは
大切な人をなくした心の空洞の一部なのかもしれない。

新しくメニューを開発していくことは
新しい自分を生きていくことなのかもしれない。
でも、
心のどこかで
それを拒否する自分がいる。
新しい私として生きていくことに
夫がいたら
エールを送ってくれただろうとは
思うのだが・・・