私は今という時間を生きている。
夫には、ない、時間だ。
夫にあるのは、共に過ごした過去の時間だけだ。
そこに二度と戻ることはできない。
でも、それは、共に過ごした、確かにあった時間だ。
だから、私は繰り返し、そこに戻る。
そして、
二度と戻れないとわかっていながら
その時の夫の気持ち、夫の苦しみが
今、私自身の感覚になって
身もだえするほどの苦しみになるのだ。
なぜ、あのとき、もっと
夫の苦しみに寄り添えなかったのか。
なぜ、あのとき、もっと
夫の痛みを共有しようとしなかたのか。
どんなに後悔しても、懺悔しても
あの時に戻ることはできない。
悲しみは私自身のものだ。
私自身の中に存在する。
だから、どれだけ時間がたっても
薄らぐことなどない。
後悔や懺悔や悲しみは、私自身の一部なのだ、と思う。
社会生活を送る上で、さまざまなプレッシャーはある。
負担に思うことも、重荷だと思うこともたくさんある。
けれど、それらを避けて生きたいとは思わない。
外部からの力があるから、
内部から力を出して、それに抵抗しようとするのだろう。
全く圧力のない世界に行ったら、
内部からの力は、行き場を失い、心が破裂するのではないだろうか。
あるいは、内部からの力が必要なくなって、
力が出なくなってしまうかもしれない。
私は、こうして、
たくさんの「~ねばならない」という思いに導かれて生きてきた。
それは、夫と共に歩んできた道でもある。
これからは、私一人で生きていかねばならない。
そのことには、いつまでたっても、慣れることはできそうもない。
なぜ?とくりかえし思う。
なぜ、夫だったのか。
なぜ、あのようなタイミングだったのか。
なぜ、あんな症状となったのか。
答えなど、ない。
でも、夫があんなに願った、「今」という時間を
私は生きている。
だから、
夫の願いを、
夫の思いを、
私が実現していかなければならないのだ、と思う。
私の命も、いつ、どうなるかはわからない。
わからないからこそ、
夫の願いを一日も早く実現したいと焦る。
道は、まだまだ遠い。
夫には、ない、時間だ。
夫にあるのは、共に過ごした過去の時間だけだ。
そこに二度と戻ることはできない。
でも、それは、共に過ごした、確かにあった時間だ。
だから、私は繰り返し、そこに戻る。
そして、
二度と戻れないとわかっていながら
その時の夫の気持ち、夫の苦しみが
今、私自身の感覚になって
身もだえするほどの苦しみになるのだ。
なぜ、あのとき、もっと
夫の苦しみに寄り添えなかったのか。
なぜ、あのとき、もっと
夫の痛みを共有しようとしなかたのか。
どんなに後悔しても、懺悔しても
あの時に戻ることはできない。
悲しみは私自身のものだ。
私自身の中に存在する。
だから、どれだけ時間がたっても
薄らぐことなどない。
後悔や懺悔や悲しみは、私自身の一部なのだ、と思う。
社会生活を送る上で、さまざまなプレッシャーはある。
負担に思うことも、重荷だと思うこともたくさんある。
けれど、それらを避けて生きたいとは思わない。
外部からの力があるから、
内部から力を出して、それに抵抗しようとするのだろう。
全く圧力のない世界に行ったら、
内部からの力は、行き場を失い、心が破裂するのではないだろうか。
あるいは、内部からの力が必要なくなって、
力が出なくなってしまうかもしれない。
私は、こうして、
たくさんの「~ねばならない」という思いに導かれて生きてきた。
それは、夫と共に歩んできた道でもある。
これからは、私一人で生きていかねばならない。
そのことには、いつまでたっても、慣れることはできそうもない。
なぜ?とくりかえし思う。
なぜ、夫だったのか。
なぜ、あのようなタイミングだったのか。
なぜ、あんな症状となったのか。
答えなど、ない。
でも、夫があんなに願った、「今」という時間を
私は生きている。
だから、
夫の願いを、
夫の思いを、
私が実現していかなければならないのだ、と思う。
私の命も、いつ、どうなるかはわからない。
わからないからこそ、
夫の願いを一日も早く実現したいと焦る。
道は、まだまだ遠い。