脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

今という時間

2013-04-24 22:40:39 | 私の思い 3
私は今という時間を生きている。
夫には、ない、時間だ。
夫にあるのは、共に過ごした過去の時間だけだ。
そこに二度と戻ることはできない。
でも、それは、共に過ごした、確かにあった時間だ。
だから、私は繰り返し、そこに戻る。
そして、
二度と戻れないとわかっていながら
その時の夫の気持ち、夫の苦しみが
今、私自身の感覚になって
身もだえするほどの苦しみになるのだ。

なぜ、あのとき、もっと
夫の苦しみに寄り添えなかったのか。
なぜ、あのとき、もっと
夫の痛みを共有しようとしなかたのか。
どんなに後悔しても、懺悔しても
あの時に戻ることはできない。

悲しみは私自身のものだ。
私自身の中に存在する。
だから、どれだけ時間がたっても
薄らぐことなどない。
後悔や懺悔や悲しみは、私自身の一部なのだ、と思う。

社会生活を送る上で、さまざまなプレッシャーはある。
負担に思うことも、重荷だと思うこともたくさんある。
けれど、それらを避けて生きたいとは思わない。
外部からの力があるから、
内部から力を出して、それに抵抗しようとするのだろう。
全く圧力のない世界に行ったら、
内部からの力は、行き場を失い、心が破裂するのではないだろうか。
あるいは、内部からの力が必要なくなって、
力が出なくなってしまうかもしれない。

私は、こうして、
たくさんの「~ねばならない」という思いに導かれて生きてきた。
それは、夫と共に歩んできた道でもある。
これからは、私一人で生きていかねばならない。
そのことには、いつまでたっても、慣れることはできそうもない。

なぜ?とくりかえし思う。
なぜ、夫だったのか。
なぜ、あのようなタイミングだったのか。
なぜ、あんな症状となったのか。
答えなど、ない。

でも、夫があんなに願った、「今」という時間を
私は生きている。
だから、
夫の願いを、
夫の思いを、
私が実現していかなければならないのだ、と思う。

私の命も、いつ、どうなるかはわからない。
わからないからこそ、
夫の願いを一日も早く実現したいと焦る。

道は、まだまだ遠い。


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