脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

受け入れる

2016-03-27 22:54:10 | 私の思い 3
今、職場では大きな発作のある方二人を担当している。
毎日のように発作が起き
体が硬直し、痙攣し、苦しそうな声が出る。
わたしは、何もできず、(何もしない、というべきか)
ただ、ただ、様子と時間を見守っている。
呼吸はできているか、
危険はないか、
変なふうにからだをひねっていないか、等々。
注意深く見守りながら
自分自身が引き込まれそうになる記憶に
必死でブレーキをかけている。


あのころ
夫はどんなに不安な思いで
発作の時間をやり過ごしていたのだろう。
「発作は大丈夫」
「発作をこわがらないで」
「発作は必ず止まるから」
そんな主治医の言葉を
発作がおきるたび
わたしは
心の中でくりかえしつぶやくことで
なんとか冷静さを保ち
夫の傍らで
その発作が一刻も早く止まることだけを願っていた。
夫の不安や苦しみに寄り添っていたのではない。
自分自身の不安と闘っていたのにすぎない、と思う。
なんと愚かで小さな人間だったのかと思う。


どんなに悔やんでも謝っても
時間はもどらない。
わかっていても
くりかえし、思う。


この思いを語れる場所はここだけだ。


職場ではそんな個人的な哀しみは
心の奥底にかくして
つとめて明るくふるまわねばならない。
同じ時期に鬱に苦しんだ近所の友人は
かなり回復し
当時は
励ましてくれるタイプの友達を避けていたが
今はそんな友達との外出を楽しんでいる。
そのほうが
彼女のためにはずっといい。
彼女は元気になれる状況の人なのだから。
わたしは
この状況が変わることはないのだから
ずっと
この哀しみや後悔とともに生きていくのだと思っている。
それは
あきらめとかではなく
自分の状況を受け入れていくことに近い思いかもしれない。


今日は午後から
思いがけず時間が中途半端にできたので
娘と一緒に田んぼまでドライブをした。
我が家からは車で市街地を抜け
さらに走る。市街地まで15分、さらに10分。
山の中で
平地のないこの辺りは遠くに田んぼを買っている。
夫の父親が購入した田んぼはもう少し市街地に近かった。
ある事情で、交換してほしいと申し入れがあったとき
自宅に近いが面積が狭くなるところと
さらに遠くなるが広くなるところとを示された。
夫は、「受け継いだ土地を減らすことはできない」と言い
自宅からは遠くなるが
田んぼはとても広くなるほうを選んだ。
遠くて、田植えのあとの手入れも大変だったが
夫は、田んぼの仕事は嫌いではなかったようだ。
定年になったら、もっと手をかけて
減農薬で作りたいと、夢を語ってくれたこともあった。
娘とお弁当を届けに行き
夫が手作りした田んぼの農機具小屋で
一緒に食べたものだった。
田んぼの畔に立つと
向こうから夫が手を振りながら歩いてくるような気がした。


今も
夫がいないということを
受け入れることなどできないのだ、と思う。
それでも
この状況を受け入れて生きていくしか
生きていく方法はないのだろう。