脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

わからないし、できない

2016-03-12 21:05:17 | 私の思い 3
ここ数日は、滂沱の涙ですごしてきた。

ニュースや特別番組は、あの日のことばかり。

新しい道を歩み始めた方もあれば
今も苦しみの中にいらっしゃる方もおられる。

そして
わたしも
今もかなしみの底にいる。

あの日は
再発して
名古屋の病院に入院して3日目。
まだ
治療すれば
少なくとも
現状維持ができるのではないかと期待していた。
夫は
まだ言葉が話せて
急激に進んだ右半身マヒと
激しいめまいやふらつき、
視界の下半分が見えないなどの症状を
身振りを交えて訴えることができていた。

でも
あのすさまじい津波の映像を見ても
理解することはできなくなっていた。
わずか数日で
失語はすすみ
テレビ番組が
通常に戻ったころ
もう
テレビを見ても
何も理解できなくなっていた。

だんだんと
被害の大きさが明らかになっていく過程は
そのまま
夫の症状が進んでいく過程と重なる。



それでも
あのとき
夫は生きていた。




人は
なんのために生き
どこに向かうのか


わたしの母は
高齢になっても
たくさんの趣味を持ち
元気に生きていたが
今は
友人もなくなり
寂しく施設にいる。
多くの人に気遣われ
大切にされてはいても
寂しさは薄れないのだろうと思う。
ただ
大切にされて
生きながらえているだけの日々。
早く夫(父)のもとに行きたいと訴える母を
わたしは説得することはできない。


わたしも
夫のいない世界で
いつまで
生き続けなければならないのだろう。
わたしの喜びは
夫と共にあった。
いまは
なにひとつ
こころ踊ることはない。
それは
仕方ないことなのだと思っているのに
周りの人は
わたしに
笑っていることを強要する。
元気に生きることを強要する。


たいせつなひと
たったひとりの
こころ許せるひとを喪って
それでも
なぜ
笑っていられるのか
わたしには
わからない