脳腫瘍の夫と共に

2010年4月グリオーマと診断された夫との手探りの日々…

5年前のクリスマスイブ

2014-12-27 22:29:48 | 私の思い 3
5年前のクリスマスイブの日
わたしがいちばんもどりたい日
どれだけ悔やんでも
身もだえして泣き叫んでも
決してもどれないとわかっていても
戻りたい


その日のお昼少し前
職場にいた私に
夫から突然電話がかかってきた
その日は
午後から娘の大学病院の予約があり
お昼に娘を作業所に迎えに行くことになっていた

「大学病院へ行くとき
 (途中にある)S市の病院まで
 乗せていってほしい」

いったい何があったのか
わたしは矢継ぎ早に質問した。
それまで
夫は私には異常をなにひとつ話していなかったので
わたしには初めて聞く症状だった
「ろれつが回らない」「言葉がでてこない」
それが最初の症状だった。
メニエルの持病があり
耳鼻科に通院していた夫は
耳鼻科の先生にその症状を話し
念のためCTを撮り
すぐ、内科に回され
内科からS市の脳外科のある病院に
すぐに行くように言われたのだという。

それでも
夫も私も
そんなに大変なことだという思いがなく
1時間の車での移動中
コンビニで買ったおにぎりを食べながら行ったのだった。
今から思うと
なんと呑気だったのだろうと思う

CTの画像を見たドクターは
すぐ
「造影MRIを撮りましょう」と言われた。
当時、異常な症状があり
その日に
血液検査の結果を聞くことになっていた娘のことが気にかかっていたわたしは
看護師さんにそのことを相談した。
「血管造影は付き添いがいなくても大丈夫」と言ってくださったので
わたしは夫をその病院に一人残し
大学病院へ急いだ。
娘の検査結果はやはり異常で
年明けに他科にかかることになった。
その時点で、私の頭の中は娘の心配で一杯になってしまった。

娘の診察が終わって夫に電話をすると
「軽い脳梗塞だって。
 でも、時間がたってるから
 薬もなにもいらないって言われた」とのことで
夫はすでに病院を出て
国道沿いの電気店でぶらぶらしているとのことだった。
「軽くてよかったね。
 これからは、もっと健康に気を付けようね」と話し
それからは
夫も私も娘の心配でいっぱいになっていた。

あの日のMIRの画像をわたしは一度も見ていない。
見ていたところで
素人の私にわかるはずもなかったのだろうけれど
それでも
なぜ、あの日
夫を残して行ったのか
そのことが
悔やまれてならないのだ。
もしもあの日
夫のそばにいて
「軽い脳梗塞だ」と言われても、「それでも心配だ」と言っていたら
もしかしたら
「気になることがあれば
 また見せてください」と言われたかもしれないのに・・・
そうすれば
あんなに腫瘍が大きくなる前に
手術ができたかもしれないのに・・・
すべては
娘を優先したわたしのせいだと思えてならない。


どんなに悔やんでも時間はもどせない
どんなに悔やんでも夫は戻ってこない
そんなことは分かっているけれど
わたしには
悔やむことしかできないのだ
悔やんで
悔やんで
自分を責めて


それでも
できることなら
夫のもとにいきたいと
それだけを願う