扇子と手拭い

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ポンと江戸へ飛ぶ

2014-07-31 11:28:04 | 日記
▼様子がいい志ん朝
 「様子がいい」ってのは江戸言葉だ。「志ん朝さんの着物姿の良さは群を抜いている」「志ん朝さんが出て来てひと声を出すと、ポンと江戸時代へ行っちゃて・・・。(高座が)ぱあーと明るくなる。いい気持ちで、帰りに一杯飲もうって気分になる」。イラストレーターの山藤章二は古今亭志ん朝を絶賛する。そういえば、今世紀最後の名人が亡くなって何年になるだろう。

 「ついでに生きてる」と名セリフを吐いたのは、志ん朝のオヤジの名人、志ん生だ。それをもじって、志ん朝は本のタイトルを「世の中ついでに生きてたい」(河出書房新社)とした。落語をこよなく愛する学者や文化人との対談集で、その1人が山藤。

▼なんか行きたくねぇ
 オヤジさんは天衣無縫な方だったと山藤が言うと、「ところがね、昔のオヤジはかなり地味だったらしいんですよ。早いうちから(長講の)“中村仲蔵”をやったり、まっちかくな芸だったらしいんです」と志ん朝。

 それが段々変わって来たのは三語桜師匠のところへ来てからですね。請け負っている仕事を平気ですっぽかす、と志ん朝。「おとっつあん、さっき、こういう電話があったよ」「うん、行かなかったよ」「どうして?」「なんか行きたくねぇんだよ」。

▼何年もかけて原稿に
 あくる日、抗議の電話がかかって来ると「しょうがねえじゃねえか。本人が行きたくねえってんだから」。こんな確かなことはない、と志ん朝。山藤の話では、(志ん生は)生きているだけで意義のある人だった、と言われていたそうだ。

 影響を受けたと言う名人、桂文楽について志ん朝が言う。あの几帳面な感じ。それとあの明るさ。それから言葉の選択。とにかく一席の噺をやるのに、何年もかけて原稿にしてつくり上げるわけですから・・・。嬉しくなるような言葉が、あの師匠の噺には出てきます。

▼いい時代に粋な客
 先代中村勘三郎が、まだ勘九郎と呼ばれていたころの対談。志ん生師匠が高座で寝ちゃって、お客が「寝かしといてやれよ」って、あれ、本当ですか?と勘九郎。「ほんとです。お座敷が盛んな時分にね。そこで一席うかがって“お疲れさま”って酒出されると、よしゃーいいのに飲むんだね、これが」と志ん朝。

 「寄席行くといい心持ちになって。前座が出て来て“師匠、師匠”って起こす。そしたらお客が、寝かしといてやれよ」って。粋な客だ。時代がよかった。こんな話聞くと、コチトラまでいい気分になる。

▼その人間を見せる
 志ん朝は言った。ニコニコしながら高座に上がって、座ってお辞儀をして、噺に入るまではお愛想を振りまいて、噺が終わるとスッと立つ前に、急にその人の素に戻る。あれは良くない。終わったら終わったで、もう少し身体に気を残して「ありがとう」という気持ちがあれば形として絶対に表れるものですから・・・。

 いるいる。寄席へ行くとこんな噺家がほとんど。無愛想なのがひとつの形だと思っているようだ。見てる側からすると実に感じが悪い。

 「芸人というのは、最終的に芸を見せるんじゃなくて、その人間を見せる。落語も芝居もそれは媒体だと思う。その人を見せるんじゃあなかったら、誰のを見ても、同じなわけですよ。芸は人なり」と、志ん朝は勘九郎にそう言った。

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