扇子と手拭い

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木戸銭代わりだよ

2014-06-21 17:28:28 | 日記
▼粋な棟梁に「参った」
 「ちわー、ヤマト運輸です」―。何だろう、と玄関のドアを開けるとクール宅急便だった。旅先で知り合った大工の棟梁からだ。包装紙を開いたところ、仙台名産の笹かまぼこが箱に詰まっていた。慌てて電話した。「なーに、(落語の)木戸銭代わりだ。食ってくんな」と棟梁。参った。

 ふたを開けると、4種類の笹かまぼこが楯33センチ、横29センチの化粧箱いっぱいに並んでいる。さっそく、昼ごはんの際、醤油をかけていただいた。ウマイ。保存料や着色料、かまぼこの「つなぎ」に使用されている「でんぷん」も無添加というだけあって、かまぼこ本来の味がした。

▼筋が通った生きざま
 この棟梁については、当ブログ6月1日の「これが江戸っ子棟梁」を参照願いたい。棟梁はオン歳84歳。戦前生まれの方は今の人間と違って、生きざまが素晴らしい。話していても何かこう、筋が一本通っている。目先を見つくろって、相手に調子を合わせようなんて小細工はしない。

 棟梁は、そんな典型的なニッポン人だ。棟上げだ、何だと、大工仕事と酒は縁が深い。だから、けっこういける口かと思ったら、酒はまったく飲めないそうだ。若い時からタバコも吸わないのでいまだに元気だ。「めっぽう酒が強かった昔の仲間は、みんな死んじまった。私より若いのも酒で体を壊し、向うへ行ってしまった」と棟梁は話していた。

▼信州の宿で知り合う
 棟梁とは、先月末、信州の宿で落語を通じて初めて知り合った。汲んでも、汲んでも尽きない井戸のように、いろんな話題が棟梁の口から飛び出す。改めてお会いして話を聞きたいので住所、電話と、ついでにアドレスがあれば、と聞いた。

 「電話だけで、パソコンや何とかいう器械もんは使わないんだ」と棟梁。そりゃそうだ。野暮なことを聞いた。歳を考えて質問すべきだった。そうと分かり、棟梁との出会いを綴ったブログを後日、プリントして郵送した。たいそう喜んでくれ、その後、落語会に行った話などを電話で聞かせてくれた。

▼さすが落語の生き字引
 きょう(21日)も、あたくしが「十一代桂文治に落語の手ほどきをしてもらった」と言うと、「じゃ、師匠は目がクリットした伸治さんだね」と棟梁。さらに「その前の九代桂文治を知っているよ」。さすが、落語の生き字引だ。

 先月、知り合ったばかりのあたくしに「タダで落語を聴かせてもらった。木戸銭代わりだよ」と言って、クール便を届けてくれた。しかもあんなにたくさん・・・。申し訳ない。棟梁はやっぱり、本物の江戸っ子だ。

情が深い九州人

2014-06-21 01:57:27 | 日記
▼いい客に恵まれた
 目の前で落語を聴くのは初めてとあって、たいそう喜んでくれた。1日で昼席二席と夜席三席の五席を披露した。九州・鹿児島は霧島温泉での独演会は、客のノリに助けられ、われながら熱演した。落語と落語の合間に「落語教室」を開いて、落語の参考にしてもらった。

 九州の温泉は別府をはじめ鉄輪(かんなわ)、雲仙など何度も訪ねたが、鹿児島の温泉は一度も行ったことがない。前々から訪ねてみたいと思っていた。霧島といえばミヤマキリシマだが、開花時期が過ぎていたようで、残影しか見ることができなかった。

▼正面にあの桜島が
 3泊4日の霧島温泉の旅の前半は天気に恵まれた。が、3日目は朝から雨だった。ホテル1階の露天風呂に浸かったり、6階の展望風呂に行ったりしながら温泉を堪能。ガラス越しの展望風呂の正面には桜島。 

 昼席は午後2時開演。場所は自室。和室なので客は座布団持参で来ていただいた。宮崎からの女性3人は、ナマで落語を聴く機会がなく、この日がはじめてと言った。桂歌丸が会長の会(落語芸術協会)で落語を習ったと言うと、「笑点の、あの歌丸さんですか」と身を乗り出した。

▼最初からドッと笑い
 初めて落語を聴く方には、与太郎噺が受けるだろうと「牛ほめ」をかけた。食いつきが最高で、最初からドッと笑いが起きた。これでこっちも乗った。この噺は何度も高座にかけている。気持ちにゆとりが出来て、客の反応を見ながら話せた。

 一席終わったところで、伝統芸である「落語」と、吉本興業などの「お笑い」との違いをミニ解説。落語には多少、オツムの弱い与太郎なんという人が出て来るが、熊さん、八っつあん、大家さんたち長屋のみんなが、いつも優しく包み込む。

▼聴き上手の客におまけ
 しかし、今のお笑いは、後ろから蹴飛ばしたり、熱湯に無理やり浸けたりして、周囲が笑っている。こんなものは芸でも何でもない。単なるいじめに過ぎない。こんなのをテレビで放映するからいじめがはびこる。そこへ行くと落語に出て来る人物はみんな温かーい人たちばかり。そんな話をして二席目は、バカバカしい滑稽噺の「粗忽長屋」を披露した。

 午後8時からの夜席は、艶っぽい「蛙茶番」で幕開け。お茶をゴクンと一口飲んだところで、次は縁起のいい「宿屋の富」。ここででいったんはお開きしだが、聴き上手の客に促され、「では、もう一席おまけと行こう」と「手紙無筆」を追加した。

 一、二席目の間には前座、二つ目、真打の違いや、扇子と手拭いによる煙管や箸、釣竿、書籍、財布などの仕草をして見せた。1時間40分以上も上がったり、降りたりしながらの高座。

▼冷えた缶ビールを持参
 「落語の裏話が聞けて楽しかったです。これからは落語の聴き方が変わると思います」と福岡から来たご夫婦。午後10過ぎに、ダンナが「売店が閉まってまして、こんなものしかなくて」と、申し訳なさそうに冷えた缶ビールを部屋まで持って来てくれた。

 わざわざ、自販機で買ったのだ。翌日もエレベータやレストランで、顔を合わせる度に夫婦して、「楽しかったです。いい思い出になりました」と繰り返しお礼を言う。こちらが返って恐縮する始末。

▼九州の人は情が深い
 帰宅して、この話をサラリーマン時代に九州勤務の経験がある落語の友人に話した。「九州の人は情の深いやさしい人が多いんだよ」と友人は言った。

藪医者の薬漬け

2014-06-03 23:21:06 | 日記
▼薬は飲まなくていい
 「薬は飲まなくていい」―。小川先生はそう言った。自宅近くでかかっている医者が、やたら多くの薬を飲めと言うので疑問に感じ、以前かかった小川先生を訪ねた。「英国では薬は、3種以上は出さない」と先生。藪医者によって、危うく薬漬けになるところを、先生に救ってもらった。

 緑が色濃い「ひばりが丘」の地に引っ越して間がないので、どこの医者がいいか見当がつかない。駅前のビルに中沢耳鼻咽喉科の看板が目に付いたので、飛び込んだ。「花粉症が悪化して副鼻腔炎(蓄膿症)になった」と中沢医師。去年の9月24日のことである。「10日分しか薬は出せない」と言うので、通い続けた。

▼尋ねるとイヤな顔
 今年3月、長時間パソコンを打っていて、イスから立ち上がったところ、天井がクルクル回った。めまいだ。「ひょっとして脳梗塞か」と思い、次の日、脳神経科で検査してもらったが脳に異常はなかった。

 三半規管のトラブルでもめまいが起きると言うので、中沢医師に事情を説明したところ、「視神経の疲労が後頭部に影響している」と言った。どのくらいかかるか質すと「半年以上は治療が必要」と言った。この人は何でも「半年以上」だ。無愛想な医師で、質問するとイヤな顔をする。

▼渡された薬10種類
 飲み薬8種類に点鼻薬が2種類。合わせて10種類の薬に「こんなに必要ですか」と言ったら、「飲まなきゃあ治りませんよ」と医師。10日ごとにこれだから、3割負担(保険)でも毎月、1万円以上支払っている。

 別の病院での成人病の治療費を合わせると2万円を超える。年間で24万円。年金生活には大きい。このほか、病院の場合は、交通費や昼飯代だ何だと、ゼニがかかる。それより何より、薬漬けでヘンな副作用が出るのが心配になり、小川先生を訪ねた。

▼医は仁術のお手本
 先生は慶大学医学部の兼任講師や都立大久保病院の耳鼻咽喉科医長、北里研究所耳鼻咽喉科部長などのあと開業。人柄がとってもいい方で7年前、初めて診断してもらった私に「これで鼻血は止まったと思うが、もし、何かあったら、これに電話してください」と言って、先生の携帯電話の番号を教えてくれた。

 感激した。「医は仁術」というが、お手本のような先生だ。今回だってそうだ。7年ぶりに訪ねた私を、「今日はどうしました?」と笑顔で快く迎えてくれた。事情を話して10の薬名が書いてある「お薬手帳」を見せた。「すごいねこれは。アレルギー(の薬)だけで4種類もある」と驚いていた。

▼薬は3種以上出さない
 診察を終えた先生は言った。「薬はどれも飲む必要がない」。「英国では薬は3種以上出しません。薬は極力出さない方がいい」と先生。知らずに、無駄な薬を飲まされていたのだ。もっと早く小川先生のところに行くべきだった。

医者と言えば、“手遅れ医者”と言うのがおりまして、
「先生、チョイト診てやってくんねぇ」
「どうした?」
「留公が今、二階から落っこちて目ぇ回して」
「おー、それは大変だ。・・・あー、これはもー、手遅れだなー」
「落ちてすぐ連れ来たんですがねぇ先生」
「落ちる前に、連れてこなくちゃ」・・・・・。    

 お礼の意味を込めて、あたくしが小噺を披露したところ、先生や周りの看護師たちが大笑いした。

旦那の粋な気配り

2014-06-03 18:22:50 | 日記
▼意表を突く発想
「稽古している声が聞えましたよ」と、湯から上がって来たのが、もう1人の落語通。自宅がお江戸両国亭のそばということで、ここを定席にしている圓楽一門をずっと支援している旦那だ。落語会のチケットも、年間まとめて予約で買っているという。

 この旦那、元は勤め人だったが、30歳半ばでサラリーマンから抜け出し、事業を始めた。これが大当たり。何しろ目の付け所が並みでない。意表を突く発想が素晴らしい。長くなるのでこの話は別の機会に譲る。

▼売れなくて可哀想
 圓楽一門の古参の噺家にも上手いのがいるが、テレビに出ていないため、売れなくて可哀想だ、と旦那。何かと面倒をみているらしい。だから落語には詳しい。

 前回紹介した棟梁と、この旦那。その夜(5月30日)は、落語通のお2人が聴きに来るので緊張した。ネタおろしを予定していた「代書屋」を急きょ引込め、長講2席に差し替えた。「代書屋」は7月の定期落語会にかけるので一度、人前で予行演習をしておきたかった。

▼トチリは許されない
 しかし、そんなことを言っている場合ではない。松代温泉から宿に戻った午後3時過ぎから長講噺「百川」と「宿屋の富」の稽古を始めた。今夜は絶対にシクジルわけにはいかない。次回の浅草での定期落語会に来てもらうためにもトチリは許されない。

 持参した自筆のネタ帳を見ながら、漏れがないか確認。繰り返し声を出して噺をさらった。のどが渇く。田舎の水は実に美味い。冷たく冷えた水をグラスで何杯もお代りした。

▼最前列に2人を誘導
 「頑張ってましたね。湯に浸かっていてもよく聞こえましたよ」と手拭いを手にした両国の旦那が声を掛けた。中庭で四方の戸を閉め切って稽古したのだが、4階の天井が吹き抜けになっていたので、声が飛んだのかもしれない。

 開演30分前。景気付けにCDの出囃子のボリュームを大きくした。棟梁が夫婦でやって来た。最前列に誘導した。ほどなくして旦那が姿を見せた。棟梁の横に座ってもらった。午後8時、開演時間だ。友人に一度、出囃子を止めてもらい、ひと呼吸置いてから、再びCDを鳴らしてもらってあたくしが登場。

▼勝負はマクラの出だし
 「今日は暑かったですねー。松代温泉から帰る途中に昼ご飯を食べに行きましたが、そん時、温度計をヒョイト見ましたところ、なんと33度を指していました。夏本番ですねー。夏と言えばお祭りでして、どちらにも祭り自慢というものがございますが、江戸の祭りには」・・・。

 自然な形でマクラが飛び出し、江戸っ子の祭りを扱った噺「百川」に入っていけた。棟梁は笑顔でこちらを見ている。旦那は目を閉じて、耳で登場人物を聴き分けようとしている。約30分の噺が終わり、客席に向かって深く頭を下げた。大きな拍手が耳に届いた。

▼襦袢は汗でグッショリ
 「えー、少し足がしびれましたので、一旦高座を降りまして、のどの渇きを潤した後、もう1席お付き合いを願います」と断って降壇した。

 次の「宿屋の富」(約30分)は、何回となく高座にかけているので余裕を持って話すことが出来た。終演は午後9時。大きな拍手をいただきホッとした。やっと、終わった。いくら拭っても汗が首筋を伝った。下着と襦袢は汗でグッショリ。

▼旦那の粋な気配り
 棟梁が「やー、よかったよ」と労いの声を掛けてくれた。部屋に戻って友人と缶ビールで一杯やっていたら、皿に盛ったフルーツが届いた。両国の旦那からだ。粋な気配りをする旦那である。

本寸法、江戸っ子棟梁

2014-06-02 12:52:03 | 日記
▼とんでもない落語通
 旅行初日の夜に「牛ほめ」と「粗忽長屋」を高座にかけたのは、はじめて聴く人にも分かり易いと思ったからだ。ところがどっこい、これが大違い。当夜の客の中に、とんでもない落語通がいたのが後で分かった。それが2人もいたのにはビックリ。生半可な気持ちで高座には上がれない、と改めて思った。

 これまでも旅行した先のホテルや旅館で、客のリクエストに応えて何度となく落語を披露した。だが、ナマで落語を聴くのは初めてと言う人ばかりで、落語と言えばテレビ番組の「笑点」しか知らない人がほとんどだった。

▼噺の背景、文化事情
 だから、落語好きに話すようなネタは、受けないだろうと思って、ハナから笑いの多い「牛ほめ」と「粗忽長屋」を披露した。狙い通り、随所で笑いが起こり、喜んでもらえた。

 ところが、客の中に飛び切りの落語通がいた。その1人が、おんとし84歳の元大工の棟梁。本職の噺家でも知らないような話題がポンポン飛び出す。そればかりか噺の背景、文化事情にも実に明るいのには驚いた。

▼録音させてください
 棟梁が与太郎に代わって強突く大家に掛け合う「大工調べ」を持ち出したら、そんな噺はよくご存じ。それどころか、木を掘って、底に小さな見事な猿の細工をする噺など、聴いたこともないネタが次々登場。余りの凄さに、「棟梁、お願いがあります。日を改めて、今話したことを録音させてください」と頼んだ。

 聞き流すにはあまりにも、もったいない話だからである。今は、なくなった人形町など多くの寄席。そんな話も細かく聞いてみたい。当時の風俗、職人気質も聞きたい。

▼小学校出て小僧に
 棟梁は「オレは小学校しか出てない。すぐ、小僧になって親方についた。オレの話なんぞ聞いても、何の足しにもなんねえよ」と照れていたが、博学なのには驚かされた。本が大好きだそうで、おかみさんの話では、若いころから、暇があると図書館通いをしていたという。

 それに好奇心の強さと行動力。これがまたすごい。木を扱っていたので環境問題にも関心が強く、疑問があると直接、学者に手紙を書き質問する。そんなところから交流が深まり、山林の現場視察に度々、招かれた。いろんな学者や文化人の知遇を得た。また、NPOといっしょに東日本大震災の被災地に行き、約2か月間、子供たちに木製おもちゃの作り方を教えた。

▼電動だから腕は不要
 今の大工は電動工具がないと仕事が出来ない。型通りのことはするが、そこからちょっと外れたことを頼むと、もう手が出ない。マニュアルにないからである。身体で仕事を覚えていないからである。

 宿のロビーにデンと構えた囲炉裏の分厚い木枠の隅を指さしながら、棟梁は「この継ぎ目を直角につなぐまで(の腕になる)に昔は10年はかかった。今は、電動だから腕は関係ない」。だから、今は技が身につかないと嘆いた。

▼3時間以上も話し込む
 「ボランティアだ、何だというが、昔は困った人がいたら、黙って手を貸したもんだ。それが当たり前だった」と棟梁。落語の話も、宮大工の話も、もっと聞きたかったが、柱時計の針が午前零時をとっくに過ぎていたので、ここまでとした。

 囲炉裏を囲んで3時間以上も話し込んだ。それにしても凄い84歳。生まれも育ちも、正真正銘、本寸法の江戸っ子である。