扇子と手拭い

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まだまだですよ。やめてください(落語2―49)

2011-06-28 01:39:53 | 日記
▼高座と客席のキャッチボール
 日曜日の「紫陽花寄席」は270人を超す大入りだった。客席の反応がすこぶるよく、演じる私たちもつい乗せられて汗だくで奮闘。落語は高座と客席のキャッチボールとよく言うが、改めて実感した。「久しぶりに腹の底から笑った」と、楽屋で関係者から有難いお言葉をいただいた。

 駅の改札口を出ると、「文七迷人会様」と書いた紙を胸に掲げて、出迎えの方が2人立っていた。会場に着くと、持参したCDの出囃子、めくりについて段取りを説明。急いで着物の着替えに取り掛かった。その間に、控室にお茶を運んで来たり、関係者が次々、挨拶に訪れるなど出たり入ったりで、落ち着いて着替えもできない状態。

▼扇子は持った。手ぬぐい、ヨシ
 「お時間ですので、よろしくお願い致します」と呼びに来た。電車の運転士のように、「扇子は持った。手ぬぐい、ヨシ」と小声で確認。白足袋に雪駄をはいて会場に向かった。満席である。座りきれない人たちが、壁際に並んで立っている。

 「それでは師匠、どうぞ」と司会者が登壇を促した。師匠ではない、ちゅーに。本職の真打しか師匠と呼ばないことになっているのに。落語をやれば誰でも気楽に師匠と呼ぶ。あー、恥ずかしい。そんなことにはお構いなしに、会場から大きな拍手が沸いた。

▼「待つタイミング」を習得
 花伝亭の由来、落語の学校についての話などに軽く触れ、「落語でおなじみの登場人物と申しますと、熊さん、八っつあん、ご隠居さん。人のいいのが甚平さん」と、マクラを振って一席伺った。噺の随所でドッと笑いが起きた。客の笑いが終わるのを「待つタイミング」を習得した。多少、流れが読めるようになってきた。こうなると落ち着いて落語が出来る。

 この日のトリは笑龍さん。演目はオハコの「片棒」である。ケチの代名詞のようなあきんどの話。一代で身代を築き上げた赤螺屋吝兵衛(あかにしや・けちべい)さんが、3人の息子のうち誰に継がせるか、葬儀のやり方を競わせ、その結果で決めるという落語だ。

▼満足感に溢れた表情
 「これだけの身代を築いたおとっつあんの葬儀となると、みっともないことは出来ない」と長男。参列者へのお車代5万円など1人30万円かけて2日2晩、通夜をやると言い、「馬鹿野郎、そんな通夜なら、おれが行きたい」と叱られる。次男は、頭連中の木遣り、綺麗どころの芸者衆をざっと100人集めた派手な手古舞の行列を先頭に、神輿や親父にそっくりのカラクリ人形の山車まで繰り出し、にぎやかに見送りたいとぶち上げ、「あっちへ行けッ」と追い返される。さて、残る末の息子はてーと・・・お楽しみ。

 笛、太鼓など鳴り物の擬音入りの大ネタを見事にやってのけた。大きな拍手に送られて高座を降りた笑龍さん。「あー、のどが渇いた。カラカラ」と言って、ボトルのお茶をうまそうに飲み干した。その顔は、納得いく噺をやり遂げた満足感で溢れていた。

▼プロより上手かったの声
 控室に挨拶にやって来た市議は、「社会人落語家と聞いて驚きました。てっきり、プロだとばかり思っていました。去年はプロに来てもらいましたが、その人より上手かった」。これには笑龍さん、「いや、まだまだですよ。やめてくださいよ」と盛んに恐縮していた。

 

落語好きが高じて席亭に(落語2―48)

2011-06-23 00:50:39 | 日記
▼「ねずみの毛」の道具帳
 東京・浅草公会堂並びにある「茶や あさくさ文七」が、私たち社会人落語家集団「文七迷人会」の定席である。店内には、歌舞伎の道具帳が飾ってある。売り買いご法度の珍しい“お宝”。門外不出のそれらの品を、どこで手に入れたのか、今回は席亭にいろいろ聞いてみた。

 道具帳と聞いただけでピンとくる人は、余程の歌舞伎通である。道具帳は、歌舞伎の舞台を真正面から見た、色鮮やかな背景画。縮尺五十分の一で忠実に描いてある。襖の色模様などは虫眼鏡で見ないと分からないほど細かに書き込んである。この道具帳に基づいて、実際の舞台セットが作られる。席亭のおかみさんの話では、筆は「ねずみの毛」だという。

▼映画を見るより寄席通い
 どこにも売ってない道具帳は、歌舞伎座から直々の借り物だ。「私の姪の旦那が歌舞伎座に出入りしている関係で、特別に許可が出た」と席亭。店内には娘道成寺や浜松屋の場面など、有名な歌舞伎の舞台を描いた5点が飾ってある。よそでは絶対、見ることが出来ない貴重品。時折やって来た歌舞伎通が道具帳を見つけ、「なんでここにあるの?」と一様に驚くそうだ。

 席亭は、中学生のころ、ラジオで徳川夢声の語り「宮本武蔵」を聞いて話芸の虜になり、いつの間にか落語が好きになった。映画を見るより1人で寄席通い。「当時は圓生さんの噺をよく聴いた。そのあと志ん朝さんへ。文七元結は、おとなになってから好きになった」と席亭。

▼圓朝の名作、文七元結
 文七元結は、元は落語の名作だが、「歌舞伎でも勘三郎が演じるようになった。家内が歌舞伎好きで、落語と歌舞伎の両方にある演目ということで、そこから店の名前を頂戴した」。のちに映画にもなった。落語中興の祖とあがめられている三遊亭圓朝の作である。

 落語は、同じ噺でも演者によって雰囲気が違い、三遊亭や桂など流派によっても、少しずつ内容が違うのが面白い。そんな違いを聴き比べるのも落語の楽しみ、と言って顔をほころばせた。席亭は自分で演じることはないが、聴くのは大好きだ。

▼檜の高座をしつらえた
 好きが高じて檜の高座までしつらえた「茶や あさくさ文七」。オープンから今月で丸2年を迎えた。この間に落語会が増えてきたのがうれしいという。プロの落語会は二つ目を中心に有料で、多い月で7回、少ない月で4回程度、開催している。アマの方は「文七迷人会」をはじめ5団体が、定期公演を開いている。

 この中で観客動員トップは、毎回満席が続く私たち「文七迷人会」。ご贔屓さまに感謝である。これからも驕ることなく精進を重ねたい。そしていつの日か、アマだけの団体による落語笑戦を開いてみたい。

落語で広がる温もりの輪(落語2―47)

2011-06-16 00:15:21 | 日記
▼席亭が笑顔で歓迎
 午後6時の開演は「チョイト早かったかな」と案じたが、5時過ぎには次々とお客さまがご来場。6月13日。約4か月ぶりに再開した定期公演「第4回文七迷人会」は、盛況の中で開幕。今回は初めて女流噺家の木凛さんに出演願ったが、これが大当たり。幸先のいいスタートとなった。

 梅雨の中休み。薄曇りながら雨も降らず、この夜の浅草は気温22度とまずまずの陽気。文七迷人会のメンバーは、さっそく用意したそろいの法被に袖を通して“お披露目”。席亭が「法被を作ったのですか。いいですね」と、笑顔で歓迎してくれた。

▼シクジリ続きの幕開け
 開演前にほぼ席が埋まった。「じゃあ、そろそろ始めますか」と、開口一番を務める万福さんに声掛けしたところ、「めくり、めくりは?」と誰かが呼びかけた。「しまった」。新調なった法被やチラシ配りに気が向いて、持参しためくりを席亭に渡すのを、すっかり忘れていた。

 シクジリは他にもあった。店の入り口に掲示する案内ポスター。10日以上も前に作っておいたのに、自宅に忘れてきた。「なんてこったあ」。こんなシクジリの連続で復活落語会の幕が開けた。

▼温かいご贔屓さまのおかげ
 まず、落語巧者の万福さんが「子ほめ」を、次いでぼて助さんがオハコの「居酒屋」を演じた。3番手があたくしで、初心に帰って「牛ほめ」を披露。この先、続けて落語となると、聴く方がくたびれる。ここで「お仲入り」と相成り、10分間の休憩タイム。

 この間に、浜田山と六本木から友人が、差し入れ持参で駆けつけてくれた。我孫子からは、いつものようにご夫婦でお越しいただいたうえ、高座から降りると毎回、生ビールを届けてくださる。申し訳ない限りだ。こうした温かいご贔屓さまのおかげで、楽しく落語をやらせてもらっていると感謝している。

▼観客もそろって「上手い」
 さて、後半は、ローリーさんが手話落語「聾訪」を紹介。次いで笑龍さんが白いハンカチで今年の干支のウザギを作って見せ、観客を驚かせた。終わると、今度は板の上にコマを5つ並べて、1個ずつ順に回る不思議な芸を披露。プロも足袋裸足である。

 笑龍さん、最後は落語「長短」で、トリの木凛さんにバトンタッチ。高座に上がった木凛さんは「松山鏡」で客を引きつけた。登場人物それぞれの表情、場面展開の切り替え、噺の間、どれをとっても、残念ながらかなわない。観客もそろって「上手い」と絶賛していた。

▼笑いで一瞬でも元気に
 最後に、今回の東日本大震災復興支援チャリティー落語会・浅草編の趣旨について説明した。私たち社会人落語家集団「文七迷人会」は、被災者の皆さんを慰問する予定だ。今はタレント、スポーツ選手らがボランティア活動を続けている。

 だが、その潮が退いたときこそ、私たちの出番だと考えている。被災者の皆さんは、否応なしにつらい現実と向き合わねばならず、ともすれば塞ぎ込もう。そんな時、笑うと、一瞬でも元気になる。その笑いを届けようというのである。

▼広がる温もりの輪
 この夜も観客の皆さんから、心のこもった義捐金をいただいた。私たちが頂いたのではない。お預かりしているのである。5月29日の九条の会、 6月12日の幸谷花の会、そして6月13日の第4回文七迷人会と貴重な「温もり」をお預かりしている。

 被災者の方には、この現金、明細とともに、それぞれの会の代表者の住所、氏名もお知らせする。礼状を書いてくださるだろうと思うからである。復興支援の落語会。しばらく続けるつもりである。

初心に帰ってもう一度(落語2―46)

2011-06-06 23:32:55 | 日記
▼初心に帰ってもう一度
 われらの定例落語会「第4回文七迷人会」が1週間後に迫った。出来たばかりのチラシを先ほど、関係者あてにメールで送信した。正式な復活公演の第1弾である。この日のために出番を待っていたそろいの法被(はっぴ)に初めて袖を通す。初めて覚えた噺を高座にかける。もう一度、初心に帰るためである。

 典型的アナログ人間の私は、あまりパソコンが得意ではない。なにしろ、名刺1枚作るにも、4日も5日もかかる位だから、模様入りの落語のチラシなど出来るわけがない。そこでいつも、文七迷人会メンバーの、パソコンおじさんに頼んでいる。

▼元気が出るチラシの完成
 今回もリクエストに応えて、和風の落ち着いたデザインを施してくれた。ちょっと気になったのが、大文字の片側を影で縁どりした部分。今度の落語会は、東日本大震災の復興支援チャリティーである。灰色の縁取りが、地震で揺れる様子を表現しているようで引っかかった。

 チラシの全体背景もシックな柄より、復興支援だから、「パッと明るいほうがいいのでは」と注文したところ、2つ返事で新作を送り返してくれた。画面いっぱいにいくつもの扇子が広げてあった。しかも絵柄、色がみんな違う。まるで花が咲いたような華やかさ。例の影も消えて文字が鮮明に浮かび上がった。元気が出るチラシの完成である。

▼そろいの法被でお出迎え
 法被については以前、このブログでお知らせしたが、本来なら、とっくの昔にお披露目を終えていた。ところが、原発震災で私たちの落語会がすべて白紙となり、法被の出番も持ち越しとなった。13日には「落語の出前は」「文七迷人会」と染め抜いたそろいの法被を着て、ご贔屓さまを出迎える予定だ。

 文七迷人会の定例会は約4か月ぶり。この間、落語の稽古はろくすっぽしていない。気が萎えて落語と向き合えなかった。先日の九条の会落語会では「手紙無筆」を話したが、今回は初心に帰って、「牛ほめ」を高座にかけることにした。

▼初めて習い覚えた噺
 この落語は、落語の学校「花伝舎」で、初めて習い覚えた噺である。CD1枚渡されて「覚えてきなさい」と言われ、面食らった。歩きながら「牛ほめ」を反芻した。電車の中でも「牛ほめ」を繰り返した。それだけ稽古したのに、教室で高座に上がった途端、最初の一言がついに出なかった。

 そんな場面を思い出しながら、復活第1弾に「牛ほめ」をかけることにした。

見つけた復活への手がかり(落語2―45)

2011-06-05 17:03:13 | 日記
▼自信をもらう落語の笑い
 久方ぶりに高座に上がった。当人としては及第点には程遠い出来だったが、客席はたいそう笑ってくれた。ありがたいことである。落語演者にとって、「笑い」が一番の励みになる。「自信」をいただいた感じである。

 この日の天気予報によると、台風2号が関東めがけて接近しているという。時折激しい雨が傘をたたいた。5月29日午後の落語会。「40人を見込んでいたが、この雨だと20人も集まるかどうか」と主催者は不安な表情。

▼雪駄を忘れた落語会
 開演1時間前となり、文七迷人会の出演者3人も着替え。足袋をはき、衣装バッグをまさぐっていて気付いた。雪駄がない。忘れた。いくら久しぶりだといっても、雪駄を自宅に置いて来るとは、あーあ、情けない。和室での公演と勘違いしたのが原因だ。やむなく、出番の時だけメンバーから借りた。

 この日の落語会は地域「九条の会」の主催。「九条の会」は、作家の大江健三郎氏や三木武夫元首相の睦子夫人などの呼びかけで誕生した平和憲法擁護の会で、全国各地に支部がある。硬い話の前に、みんなで落語を楽しもうというわけである。

▼「腹から笑った」と主催者
 雨が小やみになったこともあり、客の出足も良く開演前に会場はほぼ満席。主催者の話によると、予想を上回る53人が集まった。1番手が「居酒屋」、2番手が「手紙無筆」、3番手が「片棒」と3席続けて話した。

 3人とも2月以来のことなので高座に上がるまでは多少、不安もあった。が、幸いみんな、大きなしくじりもなく話し終えることが出来た。「みなさん、久しぶりに腹から笑った、と言っていました」と、主催者がねぎらいの言葉をかけてくれた。

▼新ネタを仕入れ、けいこ
 今月13日には、復活をかけた定期公演の「第4回文七迷人会」が開演する。その前日に花の会主催の落語会がある。「九条の会」で高座に上がったことで、原発震災以来のモヤモヤが吹っ切れ、再生に向けてスタートが切れそうだ。

 出前寄席の注文は、11月まで予定が入っている。リクエストが多いのは有難いが、こちらのネタが底を着きそうだ。これから新ネタを仕入れ、けいこに励まねば、と考えている。