扇子と手拭い

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落語は人生の教科書

2015-05-31 10:24:20 | 落語
6年前に綴った落語日記のアーカイブ。ご笑覧ください。


▼落語で「間」を身につける
 最近は落語が紙面によく登場する。けさの朝日の「天声人語」に「三枚起請」が載った。先だっての読売の「編集手帳」には、「芝浜」が登場。落語が世間の喜怒哀楽のほとんどを題材にしているからである。

 舞台俳優やテレビタレントに限らず、政治家、セールスマンなど、話を生業とする人々はよく寄席に通うという。会話の「間」を身につけるためだ。落語研究家でもある桂米朝師匠によると、昔から商人の寄席通いはあったようだ。

▼みんな落語で学んだ
 江戸のころ、田舎の子を丁稚に雇うと主人が「いっぺん、寄席へ連れて行ってやれ」と言ったという。大阪の風俗、季節のあいさつなどは寄席で学ぶのが手っ取り早かった。お酒の飲み方、金の借り方、お祝儀の出し方、そして花柳界のしきたり、みんな落語で学んだ、と桂米朝は著書「私の履歴書」(日本経済新聞社刊)で語っている。

 「人生で必要なことは、すべて落語で学んだ」(PHP文庫刊)のタイトルをつけた本まで出版した作家、童門冬二は、「ぼくの語り口は、6代目三遊亭圓生さんのパクリだ」と明かした。

 歴史小説が多く、全国各地から講演を頼まれるが、歴史の話は人名、地名が多く、堅くなりがち。「柔らかくほぐして、聴きやすいようにするには、どうしたらいいか」と思案。行き着いたのが落語だった。落語のユーモア、語りがどれほど役に立ったか知れない、と童門は言う。

▼鳩山首相と「三枚起請」
 10日の「天声人語」は、米軍基地の移転問題であっちにも、こっちにも、いい顔をする首相の鳩山。八方美人の彼を落語の「三枚起請」になぞらえて皮肉った。

 一方、2日の読売「編集手帳」は、不景気で満足なボーナスが出せない大阪のたこ焼き屋が「せめて重みだけでも」と10円玉で支給したシャレ話を、年の瀬の噺「芝浜」に引っ掛けたものだ。

▼理を笑いで包む落語
 落語は喜び、悲しみ、不条理といった人生の理(ことわり)をすべて笑いで包み込んでいるため、例え話としては分かり易い。そのため、堅いテーマを取り上げる際には、格好の材料になるのだ。 (2009年12月9日記)  以下次号に続く。

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編注

三枚起請
遊女の年季が明け、晴れて自由の身になれば、「お前とめおとになる」と約束する起請文。これをいろんな客に乱発する落語。今風に言えば”結婚詐欺”?

芝浜
カミさんに促されて朝早く、河岸に行った魚屋が浜で顔を洗っていて、流れ着いた財布を拾う。ズッシリ重いので開けてみると、中から五十両の金が・・・と言うところから意外な話が展開する落語の名作。

落語界の世代交代を予感

2015-05-30 20:18:02 | 落語
▼勢いがあるメンバー
 人形町寄席は回を重ねるごとに人気がうなぎ登りだ。これだけ勢いがあるメンバーを揃えた落語会はめったにない。早々に友人から「すばらしい高座でした。堪能いたしました」とのメールが届いた。落語界の世代交代を予感させるパワーを感じた。

 29日午後6時30分開演の人形町寄席。6時開場なので少し早めに会場に行った。ところがどっこい、すでに長蛇の列。時計を見るとまだ5時46分。8階ホールでエレベーターを降りた途端、係員が「下に降りてください」と促した。列の後尾に並べというわけだ。

▼「毎回、こんな調子です」
 8階から7階、さらに6階へと下に向かって長い列が続く。5階との踊り場でやっと並ぶことが出来た。私たちの後にも次々客がやって来て列が伸びた。こんなことは初めてだ。聞くと「ここんとこ、毎回、こんな調子です」と人形町のダンナが言った。

 前座なしで開口一番は瀧川鯉橋の「牛ほめ」。次いで桂文治の「木曽義仲」、古今亭文菊の「やかんなめ」と続いた。中入り後は桂三木男が「崇徳院」、立川生志は「悋気の独楽」。そして最後に三遊亭兼好が「天災」で締めた。

▼変幻自在の大熱演
 圧巻は文治師匠。他の若手を圧倒する迫力だった。「木曽義仲」は源平盛衰記の中から取った師匠得意の噺。「驕る平家は久しからず」と言って話を進めていたかと思うと、いつの間にか昭和の名人たちのエピソードを披露。

 その話に聴き入っていると、ポーンと元の「木曽義仲」に戻る。と思ったら時事ネタで巧みに客をくすぐる。その後はまた、源平盛衰記という塩梅で、客は話しの切り替えに思わず舌を巻く。

 それでいてきちんと「木曽義仲」の物語は本筋を追っているので、聴いていて違和感がない。変幻自在の大熱演で、ついつい持ち時間をオーバーした。

▼臨機応変に対処する
 メールの主がこんな感想を寄せた。「文治師匠は以前、聴いた時よりずっと迫力があり、内心驚きました。武家もの(歌舞伎で言う時代物にあたるのでしょうか)がお得意なのでしょうか? 切れの良さや声量、滑舌の良さ、闊達さ、頭の回転の鋭さなどなど感動しました」

 文治師匠の熱演で後の人の持ち時間が短かくなった。が、そこは売れっ子噺家揃い。短縮版でも「聴かせどころ」はちゃんと押さえていて、客を納得させる腕はさすがである。臨機応変に対処できるのがアマとの決定的な違いだ。

▼ガンバレ三木男君
 出演者の中で三木男君は唯一、二つ目。だが、腕っこきの先輩たちに囲まれて、いい勉強になったのではないか。祖父はあの大師匠、桂三木助。いずれは大名跡を継ぐのだろう。ガンバレ三木男君!!

“絶滅危惧種”の幇間芸

2015-05-30 08:25:35 | 落語
6年前に綴った落語日記のアーカイブ。ご笑覧ください。


▼前座はイケメン
 お江戸日本橋亭で「圓馬招演会」が開かれた。幇間芸などという者を初めて拝見した。この会は、落語はもちろんだが、その後の師匠を囲んでの飲み会が、楽しみでやってくる連中がけっこういる。
 
 圓馬師匠は「狼退治」と「湯屋番」の2席を高座にかけた。「狼退治」は初めて聴く落語だが、たっぷり聴かせて貰い大満足。お馴染みの「湯屋番」、こちらは、居候を決め込んだ大家の若旦那が番台に上がり、女湯の様子を妄想。ちょっぴり色っぽくって、クスグリ満載の噺だ。

▼お座敷芸のプロ
 この日の「目玉商品」は、幇間芸の悠玄亭玉八。料亭などお座敷で、芸者と客の間を取り持つ。太鼓持ち、ともいう。三味線は弾く、小唄・都都逸、新内は唄う、踊りはこなす、と何でもこなすお座敷芸のプロ。

 幇間芸の見どころは、何と言っても屏風や襖を使った屏風芸。身体の半分を襖に隠して1人で2役を演じる。「ダメですよ、若旦那」と言いながら、首っ玉をつかまれたままで逃げる格好をする。この様子に観客は抱腹絶倒。

▼全国でたった4人
 こうした江戸の伝統芸を伝承する幇間は、最盛期に全国で約500人いたそうだが、今はわずか4人。まさに“絶滅危惧種”である。玉八師匠、最後は「格子づくりに 御神燈下げて 兄貴ゃ内かと 姐ごに問えば・・・」と、三味線の弾き語りで「木遣りくずし」を披露。粋な芸に惜しみない拍手が飛んだ。
(2009年12月3日記)   以下次号に続く。

語り芸は見せる芸

2015-05-30 02:47:34 | 落語
6年前に綴った落語日記のアーカイブ。ご笑覧ください。


▼頭の中で「絵を描く」
 落語に限らず習い事は何でもそうだろうが、回を重ねるに従って分からなくなってくる。難しくなってくる。所作もそうだが、特に登場人物の上下(かみしも)が厄介だ。受講生は軒並み師匠から厳しい指摘を受けた。

 発表会直前とあって、桂平治師匠の指導にもいつも以上に力が入った。落語は自分の頭の中でまず、「絵を描く」ことが大事と師匠。噺の中にA、B、Cの3人がいた場合、互いの人間関係はどうなっているのか。

▼語り芸は見せる芸
 今、Aは誰と話しているのか、などについて立ち位置が分かってないと、上下があいまいになる。3人目の人物が、話し手より奥にいるか、手前にいるかで問いかけが違ってくる、というのである。

 戸障子は右から左に開ける。「ごめんよ」と言って、スッと開けて中に入る時、右手ではねるような仕草をするから様になるので、逆に右手で右に押したら不自然に見える。語り芸の落語は見せる芸でもあるから、仕草はないがしろに出来ない。

▼落語を腹に収める
「セリフの無駄を省くことで時間を短縮でき、笑いが起きる。落語はリズム。流れが大事だ。会話がブツ切れになると笑いが起きない」と師匠。

 まず落語を「腹に入れる」ことが一番。繰り返し稽古をして落語を覚える。そうすると「流れるような会話」が出来る、と師匠は言う。何度も何度も繰り返し稽古をすることが上手くなる早道だ、というのである。

▼代わる立ち位置
 あたしは粗忽長屋を一席うかがったが、師匠は「この落語は、私たちプロがやっても難しい噺」と脅かされた。なぜかと言うと、主な登場人物は3人だが、場面が代わると、同じ人物でありながら度々、立ち位置が代わるからである。それに合わせてその都度、上下も代えなければならない。

 例えばこうだ。慌て者の兄貴分、八五郎が熊公を伴って、”行き倒れの熊公”を引き取りにやって来た。「足を持って手伝うから、抱け」と促す八五郎。「ひとつ兄貴、頼むよ」と熊公。2人がかりで”行き倒れの熊公”を抱き上げようとする。

▼手刀を切る仕草で
 師匠は、ここで八五郎と熊公の立ち位置が入れ代わる、というのだ。兄貴が足を持つのだから、上半身を抱く熊公は当然、兄貴より先にいなくてはいけない。師匠は、後ろにいた熊公がゴメンよ、と手刀を切る仕草をして、八五郎の前を通る格好をすれば、見てる側は分かりやすい、と教えてくれた。上下も代わるというわけである。
(2009年11月28日記)  以下次号に続く。

酒飲んで酔っ払って

2015-05-25 22:22:32 | 落語
▼いきなり、先制パンチ
 3月から稽古を始めた「藪医者」がどうにか仕上がった。先だってボランティアで伺った落語会で高座にかけたところ、笑っていただけた。さて次の演目は何にするかと落語仲間に相談したところ、いきなり、先制パンチを食らった。

 頼まれて月に一度、落語を披露しているデーサービスセンターで「藪医者」のネタおろしをした。爺ちゃん、婆ちゃんの反応は今一つだったが、若い職員たちは声を出して笑い、楽しんでくれた。

▼1回でも通すと自信が
 不思議なもので1回でも通しで噺が出来ると妙な自信が付く。良し悪しは別にして「何とかやれそう」と思うのである。目標は7月の定期落語会。それまでに何度か披露する機会があるので多分、大丈夫だ。

 そうなると次に何を覚えるかだ。4月28日の当ブログで紹介した古今亭右朝の「片棒」はどうだろう、と落語仲間に言ったところ、高いハードルを持ち出した。

▼お囃子を口でまねる
 「片棒」はオヤジの葬式は「景気よく賑やかにやりたい」と、素っ頓狂なセガレがお囃子の笛、鉦(かね)、太鼓を口まねするくだりがある。右朝も、師匠の志ん朝も芸達者だ。テレスコ、スケテン、スッテンテン、テン、ステテンテンと、巧みにお囃子の様子を表現する。

 あたしは口まねの部分を全部カットして「片棒」をやるつもりだった。ところが、あれをやらないと「片棒」ではなくなると彼は言う。そうは言ってもあそこは難しい。あたしにはハードルが高過ぎるので止めにした。

▼いっぱい食わされた
 代わりに「八五郎出世」をやる、と言ったら、彼は「落語に出世や成功物語は似合わねえ」とまた半畳を入れた。「この野郎、言やーがったな。じゃ、何をやりゃーいいんだ」とあたし。すかさず彼が「酒飲み、酔っ払いの噺」と言った。

 「どうしてだ」と聞くと「毎日、酒飲んで酔っ払って、何やっても、しくじってばかり、なんてーなあ聴いてて面白れーじゃないか」と言うのだ。

 何のことはない。彼のふだんの生活ではないか。真面目に聞いていてバカみたい。野郎にまた、やられた。