扇子と手拭い

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

上方落語に自前の会館(落語2―96)

2012-05-30 00:49:02 | 日記
▼ネタはないかネタは
 ブログの発信が滞ると、「どうしたい、とうとう息が切れちまったのかい」と読者の方が問いかける。そうではない。届けたいと思ってはいるが、そうそうネタがあるわけではない。ネタさえあればいくらも書くんだが・・・。落語に絞ったブログなので、出来るだけ愉快な話を届けたいと考えている。そんな折、大阪に落語会館が出来たという話題と出会った。(敬称略)

 桂三枝が「私の履歴書」(5月28日付け日経)の中で紹介。それによると、先ごろ大阪市北区に完成した上方落語協会会館は、鉄筋コンクリート造り地上3階建て。土地代の5000万円と建設費7000万円は、約200人の協会所属の噺家たちが積み立てたという。

▼“ずらし”の妙で心をつかむ
 ビル上部の一角をナイフで斜めに削り取ったような超モダンな設計は、世界にその名を知られた建築家の安藤忠雄が受け持った。安藤は「地元の大阪が元気になるのなら」と、無償で引き受けたというから心憎い。上部の大きな三角窓から差し込む光は、吹き抜けを通り各階へ明かりを広げる。「落語は“ずらし”の妙をつかって人の心をつかむ。それを表現してみた」と安藤。
 
 東京には落語芸術協会(芸協)、落語協会、立川流、圓楽一門と4団体があるが、自前でこれほど立派な開館を持っているところはない。東京・西新宿にある芸協の本部は、廃校となった元小学校の教室。あんな粋な自前の開館があれば、若手落語家も元気づくに違いない。東京でも「上方に続け」と行きたいところだが、現実はそう生易しいものではない。

▼古典落語のルーツは上方
 現在、古典落語として演じている江戸落語の7、8割は上方がネタ元である。私が習った「宿屋の富」も、上方の「高津の富」が源だ。「牛ほめ」は同じく「池田の牛ほめ」がルーツ。このようにユーモアがあって、遊び心にあふれた上方で多くの愉快な噺が誕生し、箱根を超えて江戸に運ばれた。

 上方で興隆を極めた落語だったがその後、次第に頭角を現した漫才に押され衰退。一時は「上方落語の危機」と叫ばれるほど落ち込んだ。そんな中から上方落語を救ったのは桂米朝、笑福亭枝鶴ら戦後、上方落語の四天王と呼ばれた落語家たち。中でも米朝は霧散した上方の古典を、長い時間をかけて一席、一席丹念にすくい上げ、「上方落語大全集」を完成させた。「上方落語中興の祖」と言われる所以である。人間国宝に認定され米朝はその後、演芸界で初めての文化勲章受章者となった。

▼兎にも角にも目出度い
 現在、桂三枝が会長を務める上方落語協会はその後、順調に歩を進め、平成18年秋に念願の定席「繁昌亭」を開設した。加えて今回の会館落成。久々の明るい話題。兎にも角にも目出度い限りである。

 最後に名人、米朝の人柄がにじみ出た言葉を添えて、打ち出しとする。「いくら人気が出ようと、私どもは世の中のおあまりなのである。先輩から引き継ぎ、修得した芸の数々をこの言葉を添えて次代に伝えたい」




真剣勝負の心意気(落語2―95)

2012-05-26 01:20:07 | 日記
▼涙が出るほど笑った
 寄席の掛け声に「タップリ」というのがある。贔屓の噺家に向かって「堪能するまで落語を聴かせてほしい」、との思いから掛ける声である。この夜の落語会はそんな客席の期待を察してか出演者全員が熱演、プロの技で聴衆を魅了した。こんなに、涙が出るほど笑ったのは何年ぶりだろう。演者の軽妙な仕草に脇から思わず「上手いねえ」と感嘆の声が漏れた。

 今回の落語会の会場は東京・人形町。その昔、町内の一部は落語でよく登場する「芳町」と呼ばれたところ。芳町と言えば赤坂、新橋、神楽坂などと並んで知られた花街で、最盛期には100軒を超える料亭、待合が軒を連ね、300人近い芳町芸者がいたという。しかし、かつての花街も、時の流れで現在はビル街に姿を変えた。そんな中で「江戸の粋を絶やすな」と、人形町の商店主らが開催しているのがこの日の落語会。

▼勢いある若手勢ぞろい
 出演者の顔ぶれがいい。今、最も勢いがある若手が勢ぞろいした。立川流からは立川生志が、圓楽一門からは三遊亭兼好。落語芸術協会からは瀧川鯉橋。そして落語協会からは古今亭菊六と橘家蔵之助。そこに桂平治師匠が花を添えた。開演に先立ち、先ごろ、真打に昇進した鯉橋の披露口上が催された。鯉橋を真ん中にして平治師匠ら噺家が並び、ユーモアを交え鯉橋に餞の言葉を贈った。

 口上を終えたところで、「それではお手を拝借。イヨー、シャシャシャン」。高座と客席がいっしょになって景気よく祝いの三本締め。最後に、人形町の旦那衆から鯉橋に昇進祝いのご祝儀が手渡されると、再び客席から大きな拍手が沸いた。いいね。こうした粋な計らいは、はたから見ていても実に心持ちがいい。口上といい、想定外の楽しい思いをさせてもらった。

▼真剣勝負の心意気
 開口一番は兼好の「権助魚」。次いで蔵之助が「宮戸川」でご機嫌をうかがった。3番手に登場したのがこの夜の主役、鯉橋。彼は与太郎噺の「かぼちゃ」を演じた。中入り後は平治師匠が「家見舞い」で笑いを振りまき、生志が「たいこ腹」で引き継いだ。トリは菊六が務めた。演目は「死神」。師匠の古今亭円菊の芸を引き継ぎ、艶のある噺を聴かせた。

 どの噺も、他の噺家に一歩もひけを取らないという構えに満ち満ちて、聴きごたえのあるものばかりだった。誰もが、竹光ではなく真剣勝負で挑んでいる心意気がみてとれた。聴く側としてはこれほど嬉しいことはない。落語の楽しさ、落語のすごさを改めて感じたひと時である。「来てよかった」。ジワッと体中に満足感が染みわたった。

 中身の濃い噺を聴かされると、出演者の落語をまたすぐ、聴きに行きたくなる。帰りの車中で、受付でいただいた10枚ほどの独演会、競演会のチラシをじっくり読み返した。

真打ってなんだろう?(落語2―94)

2012-05-23 00:15:10 | 日記

▼真打ってなんだろう?
 落語の学校の講師だった噺家が出るというので寄席に聴きに行った。世話になった講師の噺をナマで聴くのは2年ぶりだが、二席とも堪能させてくれた。ところが他の4人の落語家にはがっかり。「聴かせよう」という心意気が全く感じられないのである。われわれ文七迷人会の仲間の方がよほどましだ。二つ目、真打ってなんだろう?

 恰幅のいい二つ目が登壇。その日朝の金環日食観測をマクラに持ち出すのはいいが、その後、ダラダラと変哲のない話を続けた。何が言いたかったのか全く意味不明のマクラに終始。その流れが本題にまで伝染し、とうとう最後まで凹凸のない噺で終わった。その前に登場した巧みな講談で温まっていた会場のムードは一転、笑いもなく冷え切った。残りの真打3人の噺も「ついでに聴く」といった程度。「噺に引き込まれた」などと世辞にも言えない中身だった。

▼28人抜きで昇進
 このところ関東の落語界は、真打昇進を相次いで決定。古今亭菊六はなんと28人抜きで昇進。春風亭一之輔は21人、古今亭朝太は8人抜き。いずれも落語協会所属の落語家だ。これに対し落語芸術協会は、この春5人が真打となったが、こちらは抜擢なしの年功序列。入門から見習い、前座、二つ目と修業を重ね、14、5年をめどに順番に昇進させるという。

 落語協会も長年、年功序列でことを納めていたが会長交代に伴い今回、抜粋方式を採用した。昭和の名人、三遊亭圓生は1978年、落語協会会長だった柳家小さんの真打大量昇進のやり方に反発し、協会を脱退、新会派を結成した経緯ある。実力を伴わない者まで年季明けのように昇進させては、真打の意味がなくなるというのである。

▼3日前に抜いたビール
 圓生の考えに賛成だ。例え100円でもオアシをいただく、木戸銭を頂戴する噺家なら「プロにふさわしい」落語を聴かせる力を蓄えてもらいたい。実力の伴わない者まで「15年の年月が経ったから」と、一人前のレッテルを貼り付けて、高座に送り出すのはいかがなものか。

 万年8勝7敗の大関の取り組みをみたくないのと同様に、技量不足の落語家の噺ほど、聴くに耐えないものはない。相撲界は1勝でも勝ち越せば、番付が下がることはない。相撲界よりさらに優遇されている落語界はいったん、真打になれば降格なしの世界。だから真打の座に安住し、3日前に栓を抜いたビールのような落語家が少なくないのである。いつ行っても寄席で毎度、同じマクラで、同じ噺をしている真打がいる。この男、やる気があるのか、と問いただしてみたくなる。

▼実力本位の抜粋に
 生半可な落語家が、のべつに登場する寄席から客は遠ざかる。不入りの原因のひとつはここにある。木戸銭を取るからには、プロの芸を披露することだ。そのためには年功序列を改め、力量本位の選抜に改めることが必要ではないか。努力を置き去りにしたところに花は咲かない。