▼ネタはないかネタは
ブログの発信が滞ると、「どうしたい、とうとう息が切れちまったのかい」と読者の方が問いかける。そうではない。届けたいと思ってはいるが、そうそうネタがあるわけではない。ネタさえあればいくらも書くんだが・・・。落語に絞ったブログなので、出来るだけ愉快な話を届けたいと考えている。そんな折、大阪に落語会館が出来たという話題と出会った。(敬称略)
桂三枝が「私の履歴書」(5月28日付け日経)の中で紹介。それによると、先ごろ大阪市北区に完成した上方落語協会会館は、鉄筋コンクリート造り地上3階建て。土地代の5000万円と建設費7000万円は、約200人の協会所属の噺家たちが積み立てたという。
▼“ずらし”の妙で心をつかむ
ビル上部の一角をナイフで斜めに削り取ったような超モダンな設計は、世界にその名を知られた建築家の安藤忠雄が受け持った。安藤は「地元の大阪が元気になるのなら」と、無償で引き受けたというから心憎い。上部の大きな三角窓から差し込む光は、吹き抜けを通り各階へ明かりを広げる。「落語は“ずらし”の妙をつかって人の心をつかむ。それを表現してみた」と安藤。
東京には落語芸術協会(芸協)、落語協会、立川流、圓楽一門と4団体があるが、自前でこれほど立派な開館を持っているところはない。東京・西新宿にある芸協の本部は、廃校となった元小学校の教室。あんな粋な自前の開館があれば、若手落語家も元気づくに違いない。東京でも「上方に続け」と行きたいところだが、現実はそう生易しいものではない。
▼古典落語のルーツは上方
現在、古典落語として演じている江戸落語の7、8割は上方がネタ元である。私が習った「宿屋の富」も、上方の「高津の富」が源だ。「牛ほめ」は同じく「池田の牛ほめ」がルーツ。このようにユーモアがあって、遊び心にあふれた上方で多くの愉快な噺が誕生し、箱根を超えて江戸に運ばれた。
上方で興隆を極めた落語だったがその後、次第に頭角を現した漫才に押され衰退。一時は「上方落語の危機」と叫ばれるほど落ち込んだ。そんな中から上方落語を救ったのは桂米朝、笑福亭枝鶴ら戦後、上方落語の四天王と呼ばれた落語家たち。中でも米朝は霧散した上方の古典を、長い時間をかけて一席、一席丹念にすくい上げ、「上方落語大全集」を完成させた。「上方落語中興の祖」と言われる所以である。人間国宝に認定され米朝はその後、演芸界で初めての文化勲章受章者となった。
▼兎にも角にも目出度い
現在、桂三枝が会長を務める上方落語協会はその後、順調に歩を進め、平成18年秋に念願の定席「繁昌亭」を開設した。加えて今回の会館落成。久々の明るい話題。兎にも角にも目出度い限りである。
最後に名人、米朝の人柄がにじみ出た言葉を添えて、打ち出しとする。「いくら人気が出ようと、私どもは世の中のおあまりなのである。先輩から引き継ぎ、修得した芸の数々をこの言葉を添えて次代に伝えたい」
ブログの発信が滞ると、「どうしたい、とうとう息が切れちまったのかい」と読者の方が問いかける。そうではない。届けたいと思ってはいるが、そうそうネタがあるわけではない。ネタさえあればいくらも書くんだが・・・。落語に絞ったブログなので、出来るだけ愉快な話を届けたいと考えている。そんな折、大阪に落語会館が出来たという話題と出会った。(敬称略)
桂三枝が「私の履歴書」(5月28日付け日経)の中で紹介。それによると、先ごろ大阪市北区に完成した上方落語協会会館は、鉄筋コンクリート造り地上3階建て。土地代の5000万円と建設費7000万円は、約200人の協会所属の噺家たちが積み立てたという。
▼“ずらし”の妙で心をつかむ
ビル上部の一角をナイフで斜めに削り取ったような超モダンな設計は、世界にその名を知られた建築家の安藤忠雄が受け持った。安藤は「地元の大阪が元気になるのなら」と、無償で引き受けたというから心憎い。上部の大きな三角窓から差し込む光は、吹き抜けを通り各階へ明かりを広げる。「落語は“ずらし”の妙をつかって人の心をつかむ。それを表現してみた」と安藤。
東京には落語芸術協会(芸協)、落語協会、立川流、圓楽一門と4団体があるが、自前でこれほど立派な開館を持っているところはない。東京・西新宿にある芸協の本部は、廃校となった元小学校の教室。あんな粋な自前の開館があれば、若手落語家も元気づくに違いない。東京でも「上方に続け」と行きたいところだが、現実はそう生易しいものではない。
▼古典落語のルーツは上方
現在、古典落語として演じている江戸落語の7、8割は上方がネタ元である。私が習った「宿屋の富」も、上方の「高津の富」が源だ。「牛ほめ」は同じく「池田の牛ほめ」がルーツ。このようにユーモアがあって、遊び心にあふれた上方で多くの愉快な噺が誕生し、箱根を超えて江戸に運ばれた。
上方で興隆を極めた落語だったがその後、次第に頭角を現した漫才に押され衰退。一時は「上方落語の危機」と叫ばれるほど落ち込んだ。そんな中から上方落語を救ったのは桂米朝、笑福亭枝鶴ら戦後、上方落語の四天王と呼ばれた落語家たち。中でも米朝は霧散した上方の古典を、長い時間をかけて一席、一席丹念にすくい上げ、「上方落語大全集」を完成させた。「上方落語中興の祖」と言われる所以である。人間国宝に認定され米朝はその後、演芸界で初めての文化勲章受章者となった。
▼兎にも角にも目出度い
現在、桂三枝が会長を務める上方落語協会はその後、順調に歩を進め、平成18年秋に念願の定席「繁昌亭」を開設した。加えて今回の会館落成。久々の明るい話題。兎にも角にも目出度い限りである。
最後に名人、米朝の人柄がにじみ出た言葉を添えて、打ち出しとする。「いくら人気が出ようと、私どもは世の中のおあまりなのである。先輩から引き継ぎ、修得した芸の数々をこの言葉を添えて次代に伝えたい」