扇子と手拭い

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混浴の秘境の宿で

2014-08-29 08:58:42 | 旅行
▼運転に自信の無い方は
 「ヒヤー、すごーい」。おばちゃんたちの悲鳴を乗せて、宿の送迎バスは道路ギリギリに縫うように走る。眼下は足がすくみそうな谷底。宿のホームページは万一のことを想定し、冒頭で「道路は曲がりくねった狭い道。運転に自信の無い方は電車利用を」とわざわざ断り書きを載せている。そんな秘境の宿に、出前寄席に行った。

 東北の秘境、夏油温泉での無料落語会は昨年7月に続き2回目。5月初旬から11月中旬までの期間限定の宿。HPによると、ゲトウはアイヌ語の「グット・オ」(崖のあるところ)からきており、冬は豪雪のため利用できないところから、「夏湯」と言われた。湯が夏の日差しでユラユラと油のように見えたので後に「湯」が「油」になったそうだ。

▼部屋に上がった熊
 ブナの原生林に囲まれた深山幽谷の緑濃い地だ。宿の周囲には「度々、クマが出没する」と常連の湯治客が話していた。数年前には人がいないのを見計らって、1頭の熊が湯治専用棟の部屋に上がり込み、ムシャムシャものを食べていた。

オトリ作戦で捕まった熊は、別の場所に運ばれて可哀想に射殺されたそうだ。一度、人家の味を知った熊は山に帰しても、学習効果で必ずまたやって来るため、射殺する以外にないのだという。

▼湯に浸かり落語の稽古
 宿「元湯夏油」には源泉掛け流しの温泉が7つあり、うち5つは川沿いにある露天風呂。透き通った川のせせらぎを聞きながら湯に浸かる気分は極楽だ。1人になったところで落語の稽古。1席終わって湯から上がる。川風が火照った身体を冷ましてくれる。10分ほど休んで2席目の稽古に入る。

 2泊3日の第1日は昼席に「牛ほめ」と「代書屋」を、落語の友が「カラオケ病院」を披露した。夜席は「粗忽長屋」「蛙茶番」、友が「夢の酒」をかけた。客の入りは今ひとつだったが、よく聴いてくれた。

▼入ろうとしたら女が 
 宿の周辺は何もない上に「熊に注意」だから外に出ない。だから2日目の昼席は、かなりの客の入りを期待した。ところが、昨夜と同様だったので少しがっかり。かけた演目はあたくしが「手紙無筆」と「千両みかん」。落語の友が「初音の鼓」でご機嫌をうかがった。

 昼席の後、露天に行った。全部脱いでこれから湯に入ろうとしたところ、湯の中に女性が1人。咄嗟に、「場所を間違えたか」と思った。というのも、5つの露天のうち3か所は、時間制で男女を分けていたからだ。タオルで隠し、慌てて脱衣場に戻ろうとすると、中の女性が声を掛けた。

▼みんなで仲良く混浴
 「ここは男性用ですからどうぞ」と言った。よく考えたらこの露天は、男女別々に湯船があるのを思い出した。「私が男風呂に来たのです」とくだんの女性。私の背中で「うちのかみさんです。ご一緒にどうぞ」と言って男性が入って来た。

 他の男性も来たのでみんなで湯に浸かった。東北地方は今でも温泉の混浴が多い。それにしても、わざわざ男風呂にやって来るとは、今どき大胆な女だと思ったら、なんと70近い婆さんだった。この歳になるともう、恐いもの知らずだ。

▼大盛況だった夜席
 混浴騒動を話題に落語の友と夕食を取った後、夜席に臨んだ。宿の方も、落語会にも慣れたとみえて、今回は頼まなかったのに開演30分前と直前の2度も館内放送をしてくれた。その効果もあり次々に客がやって来た。

 出囃子のCD担当を昼席に引き続き最前列のダンナに頼んだ。この人は2日昼夜通しで聴きに来た。出囃子係をお願いしたら快く引き受けてくれた。「艶笑落語を」とのリクエストに応えて、あたくしは「宮戸川」を開口一番にかけた。

 次いで、落語の友が久しぶりにかけたという夏の噺「青菜」を披露した。稽古の成果が存分に出た出来で、この日一番の笑いが起きた。3席目は私の「宿屋の富」で幕とした。この日の夜席は大盛況だった。

様子がよくないと

2014-08-29 08:56:09 | 落語
▼様子がよくなくちゃあ
 噺家にとって高座はステージだ。いったん高座に上がったからには、しっかり務めるのは当然ながら、様子がよくなくちゃあいけない。高座に上がって噺を終え、降壇するまでの姿も、落語の一部なのである。ここんところが、しっかりしてないてーと粋な噺も粋でなくなっちまうてわけだ。

 落語を習い始めたころ、落語塾、花伝舎の師匠に着物について質問した。大事な商売道具だからさぞ、高価なものを身に着けているのだろうと思った。ところが、さにあらず。新宿・末広亭などの定席で着るのは「普段着の安物」だと言った。

▼洗濯機で洗える化繊
 定席には漫才などの「色もの」を含め、1日に40人以上が出演する。だから洗濯機で簡単に洗える化繊を着ているそうだ。数十万から百万円以上もする着物は、お座敷に招かれて、数人のご贔屓を前に話す場合などに限られる。着物同様のご祝儀が出るそうだ。

 余談だが、現在の三遊亭圓歌が修業時代、師匠のカバン持ちとしてお座敷についていった時、帰り際に師匠が「オイ、これ、カバンにしまっとけ」と言って、渡したオタカラが100万円だった、と驚いていた。

▼1本3万―5万円の帯
 浅草には落語家や歌舞伎役者などが客の呉服屋がいくらもある。あたくしも、そんな中の一軒を師匠に紹介してもらった。着物はそれなりの値段で買えるが、問題は帯。これが高い。師匠の帯は1本3万―5万円だ。

 「博多献上」と呼ばれる正絹帯。綿の帯なら2000円台からあるが、高座で綿帯は使えない。噺家は「貝の口」という結び方をする。博多帯を締めるとキリッとして帯の端が立つ。ところが、綿や正絹もどきの帯だと、何度か使っているうちに、稲穂のように結んだ帯の片方がたれ下がる。

▼効果抜群の博多帯
 こんな、とぼけた帯をして高座に上がればみっともない。第一、客に失礼だ。噺が始まると客の耳と目は高座の噺家に集中する。すべてを見られている。だから噺家は、「様子がよくなくちゃあいけない」というのである。

 アマチュアと言えども安物の帯をして出て来ると、高座がだれて見える。人さまに落語を聴かせるには、シャキとして高座に上がりたいものだ。その点、独鈷柄と縞のデザインが特徴の博多帯は打って付け。

 博多献上は九州・黒田藩の藩主、黒田長政が将軍に献上したことから知られるようになった。独鈷と縞柄が何とも粋だということで、歌舞伎の世界で流行し、同じ古典芸能の落語にも伝播した。

▼着物の着こなしが抜群
 本職の噺家でもハナから正座した着物が乱れ、膝頭をさらけ出して平気な者がいるが、こういうのに限って落語もお粗末。古今亭志ん朝は「噺家は様子がよくなくちゃあだめだよ」とよく言っていたが、その通りだ。

 志ん朝師匠は着物の着こなしが抜群だった。特に噺を終えて高座を降りるまでの後ろ姿。貝の口の粋な結び目。落語は上手いし、高座姿もいい。さすが稀代の名人、とファンは唸ったものだ。


逆さクラゲになった傘

2014-08-29 08:52:58 | 日記
▼台風の中、来てくれた
 台風11号が日本列島を直撃した10日、落語仲間2人と柏まで落語を聴きに行った。私たちの落語会のPRという別の目的があったからだ。一度は行くのを止めたが、関東を襲う恐れがなくなったというので決行した。林家正雀は「台風の中、来てくれた」といって弟子とともに踊りまで披露。抽選で手拭いを配った。客は大喜びだった。

 激しい雨音で目が覚めた。時計を見ると、まだ午前5時を少し過ぎたところ。横殴りの雨粒がバチバチと音を立ててガラス窓をたたく。。「この分では今日の計画は中止せざるを得ない」と考え、2人に連絡した。

▼木戸銭払って聴く客
 雨が小やみになったころ、落語仲間の1人から「折角の機会だから行こう」と電話があった。別の1人に伝えると、彼も「行こう」と言った。正雀が出る柏落語会は、木戸銭を払って聴きに来る客だ。落語が好きな人が集まる。私たちの9月7日の落語会、「にこにこ柏寄席」の「お知らせ」には絶好の機会である。

 そう考え、私は買ったばかりの長靴を履いて柏に向かった。駅の改札で2人と落合い、徒歩で10分ほどの会場へ向かおうとして傘を開いた。途端、強風にあおられ逆さクラゲになった。傘の骨が3本折れた。アッという間だ。

▼半券とともにチラシ
 3人はタクシーで会場入り。用意したチラシを「配らせて欲しい」と頼んだところ、受付係は入場券の半券といっしょに客に配ってくれた。断られたら、落語会の後、会場の外でチラシを配るつもりだったのでホッとした。

 チラシを見た入場者の反応が気になった。ところが、会場が国の重要文化財(歴史的建造物)「旧吉田家」なので信用してくれたらしい。「これ、聴きに行きますよ」と、チラシを見ながら客が言った。

▼「つまらない」と言わせない
 アマチュアは何が大変か、というと客集め。名前の売れた噺家ならいざ知らず、われわれのような無名の社会人落語家は、あらゆる機会を捉えてコツコツ人集めをするしかない。大事なのは、次につながるかどうかである。そのためには、客に「面白かった」と言わせる落語を披露することだ。

 「つまらない」と思われたら、二度と聴きに来ない。私たちは、日々精進するしかない。帰り際に、「次の落語会はいつだい?」なんて言われたらもう、最高だ。