扇子と手拭い

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踏んだり 蹴ったり

2015-01-28 01:27:57 | 落語
▼宴席で落語はやらない
 無料の出前寄席と知り、都内のシティホテルで開く新年賀詞交換会への出演依頼が来た。準備万端整えて会場に臨んだところ、散々な目に遭った。おまけに、帰りの電車は途中で止まるわ、駅に降りた途端冷たい雨が降り出すわで、この日は踏んだり、蹴ったりだった。

 160人前後集まる新年会なので落語を披露してほしいと依頼があった。「アルコールが入った宴席で落語はやらない」と注文を付けた。「乾杯の後すぐに落語を、飲み食いはそのあと」というので引き受けた。


 立食パーティーだと思ったら、7、8人で丸いテーブルを囲むフルコースのディナーだった。マイクの音量、高座への照明の当たり具合、出囃子の入りと出のタイミング。主催者側の司会者とホテルの担当者に私の3人で事前に細かく打ち合わせた。

 落語の出番となった。会場のドアを開けてびっくりした。話が違う。すでに飲み物や料理が次々運ばれているではないか。「これはまずい」と思った。が、出囃子が鳴る中もう、後には引けない。そのまま高座に上がった。

▼最善の噺を届けたい
 ほとんどの方が落語をナマで聴くのは初めてだろうと思い、本番の落語とは別に簡単な「ひと口小噺」をいくつか用意した。だが、宴会場が騒がしくて、マイクの声もかき消された。ナイフ、フォークが皿にカチカチあたる音。四方八方から隣同士で話す声が届いた。何が何だかわからないような騒々しさだ。

 あまりのひどさに噺をやめて高座を降りようか、と思った。しかし、この日のために今朝は5時過ぎに起き、5回も6回も稽古を繰り返した。新しいマクラも考えた。高座に上るには、自分なりに「最善の噺を届けたい」と考えた。

▼騒音と落語の綱引き
 思案しながら噺を続けていると、ヒョイと目に留まったのが、先ほどまで後ろを向いてほかの人にビールをついでいた人。正面に向き直し、こっちを見ている。騒がしい中で噺を聴いてくれているらしい。「噺を続けよう」と決めた。

 会場の騒音と私の落語の綱引き。演目は浅草の落語会でネタおろしをした「明烏」。町内の遊び人、源兵衛と太助が日向屋の若旦那に声をかける場面では、普段に増して大きな声を張り上げて、「若旦那あ―。こっちこっちー」と身振り手振りで呼びかけた。

▼帰りは電車がストップ
 一瞬、会場の”騒音”が止まり、一斉に視線が私の方に向いた。が、すぐまた話し始めた。終わると義理の拍手が来たが、最後まで消化不良で終わった。

 控室にやってきた人が言った。「落語が好きで楽しみにして来た。一番後ろに座っていたら、うるさくて何も聞こえなかった」。改めて「落語は宴席でやるものではない」、と思った。主催者が「着席して歓談を」と言ったが、とても飲み食いする気分になれない。辞退して帰り支度を整えた。

 午後2時に家を出て、私鉄とJR、モノレールを乗り継ぎ帰宅したのが午後9時前。帰りの山手線が突然ストップした。御徒町駅で人が線路に転落したとかで池袋、新宿方面行は全線止まった。

▼ひょっとして仏滅?
 やっと、動き出したと思ったら、運転士が停車位置を間違えて、前へ進んだり再び戻ったり。自動制御装置がついているのに、「運転士は寝てんじゃないか」、とうんざりした。

 私鉄に乗り換え、やっと着いたと思ったら、今度は急に大粒の雨が降り出した。雨に降られるたびにビニールの傘を買うため、わが家の傘立ては傘の山だ。その夜は買うのをやめて、バス停まで濡れて歩いた。

 ひょっとすると今日は仏滅か?

及第点にひと安心

2015-01-24 01:07:07 | 落語
▼落語の台本が消えた
 昨年夏から練り上げた落語の台本が、パソコンから消えた。パソコンを買い替えたのだが、仕様が以前のパソコンと異なるため使い方が分からず、手間取っている間に誤って消去したらしい。何度も書き直して作った台本だけに原文がないのは痛い。

 消えた台本は落語「明烏」。古今亭志ん朝の噺を音(声)で聞きながら、全部書き写した。その完成品の原文が消えたのだ。以前にもこのブログで書いたが、私たちが、師匠の長い噺を丸暗記してやっても、おそらく聴いてくれる人はいない。

▼40回近く書き直し
 一席40分、50分は長過ぎる。聴く側が退屈するのである。こんな長講を飽きさせないで演じるには、本職でも相当技量がある噺家でないと無理だ。ましてやアマチュアがやれるわけがない。自己満足で終わるのがいいところだ。

 短くするのはいいが、肝心の「聴かせどころ」をカットしては意味がない。そんなことから長い噺の「明烏」を短縮するために40回近く書き直した。短い噺を長くするのは比較的容易だが、逆は相当、厄介だ。

▼「郭噺はちょっと」と断られ
 やっと完成した私なりの「明烏」を浅草で高座にかけた。お客様から及第点をいただきホッとした。実は、ここで「ネタおろし」をする前に、ほかで“予行演習”をしたかった。

 年初にデーサービス施設2か所からボランティア落語会の依頼があった。いい機会だと思い、「明烏」をやろうと考えていたら、「郭噺はちょっと・・・」と言われ、仕方なくほかの噺を披露した。

▼施設落語は難しい
 私たちは落語が好きで落語塾に行き、落語を習い、稽古に励んでいる。あの師匠のあの落語、この噺が好きで寄席に通い、落語の“空気”を勉強している。私は古今亭志ん朝の「明烏」に魅せられて稽古を始めた。

 だが、こういう施設だと、自分たちがやりたい落語ができない。かと言って、施設に合わせた噺を稽古するわけにはいかない。施設落語は難しい。そんなわけで、一度もほかの高座に上がることなく浅草の本番に臨んだ。

▼本番前は「震えが来る」
 浅草での定期落語会「文七迷人会」のお客様は、総じて耳が肥えている。だから、出演者は「この高座は緊張する」と口をそろえる。本番前は「震えが来る」出演者もいる。いつの間にか「文七迷人会」はここまで育った。これもみな、ご贔屓さまのおかげである。

 私も当日は朝5時前に起きて、「明烏」を4回繰り返し、稽古した。が、本番では、最後まで話せるか自信がなかった。何とかゴールにたどり着いた時は安堵した。公演時間は23分少々。高座から降りた時は乾燥と緊張で、のどがカラカラだった。

 マスターが「いつものご贔屓さんから」と言って、冷えた生ビールを席まで届けてくれた。

盛会だった初春寄席

2015-01-17 23:31:30 | 落語
▼街でご贔屓とバッタリ
 初春寄席と銘打った第18回文七迷人会は16日午後6時30分から東京・浅草の「茶や あさくさ文七」で開かれた。今回は落語5席のほか、新春を寿ぎ、粋な三味線の弾き唄いなど新年にふさわしい落語会だった。

 早めに浅草に着いたので正月気分が漂う雷門から仲見世界隈を散策した。両側に連なる江戸小物や土産物屋をぼんやり眺めていたら、声をかけられた。なんと、あたくしの千葉のご贔屓様である。ご夫婦と秋田から来たお嬢さんも一緒だった。

▼楽屋入り先約が2人
 5時半過ぎに楽屋入りしたところ、既に先着が2人いた。開口一番を務める演者と、三味線の音合わせをしていた演者だ。この音合わせが難しくて、その日の気温、湿度の微妙な違いが影響するそうだ。

 彼から番組表を受け取った。はがき大の大きさに一輪の梅の花をあしらった見事な出来栄えである。それぞれの演目の下に、演者の名前が連ねてあった。

▼「ネタおろし」に心配
 開口一番の「弥次郎」に続き、「時そば」「宮戸川」の落語3席でいったん、中入り。10分の休憩の後、木遣りくずし、梅は咲いたか、など粋な三味線の弾き唄いで後半の幕開け。次いで落語「初音の鼓」と、あたくしの落語「明烏」でお開き。

 「明烏」は登場人物が多く演じ分けが難しいので、昨年夏から約半年かけて稽古を重ねた。とはいえ、初めて高座にかける「ネタおろし」。心配だった。出番が近づいてくると喉が渇く。コップで何倍も水のお代りをした。オチまで噺がたどり着いた時はホッとした。最後は新年を寿ぎ、全員で威勢よく三本締めで手を締めた。

▼NHKアナのOB
 この日は初めてのお客様がかなりいた。お願いして来ていただいた元テレビ局のディレクター、着物姿の女性2人連れなどのみなさんだ。そんな中に、店先に掲げた落語会の幟を見て来た方がいた。

 大学の客員教授でNHKアナウンサーのOB。お孫さんが落語好きで、中学入学を機に学校のオチ研(落語研究会)に入部したという。

▼大阪から駆けつけた友
 びっくりしたのは大阪にいる古くからの友人。経営していた事業は子供にバトンタッチし、今は自由の身。開演直前にひょっこり顔を見せた時は驚いた。まさか、大阪から来るとは思ってもみなかった。

 当方のブログで文七迷人会の案内を知り、駆けつけてくれたという。ただ、ただ感謝である。会がはねた後、2人で久しぶりに痛飲した。

客は正直、だから怖い

2015-01-13 21:49:04 | 落語
開演を前にひと騒動
 今年初の定期落語会を目前にしてアクシデントが起きた。メンバーの一人が腕を骨折したのだ。初春寄席の開口一番を任せていたので休演は痛い。開演まで時間がない。どうするか。一時、欠員のままでの幕開けを考えたが、代演を立てることにした。ぴったしカンカンの人物がいた。

 アマチュアの落語会で開口一番は一番大事な役回り。最初の落語がつまらないと、客は正直だ。サッと席を立ち帰ってしまう。だから一番手の出来不出来が、その日の落語会の流れを決めてしまう。アマの開口一番はそれほど重要なのである。

▼女流噺家が「宮戸川」を
 ここでワッと笑いをとってくれると会場の雰囲気が一気に和やかになる。全体が落語モードに切り替わる。そうなってくれれば次に高座に上がる出演者は落語が話しやすくなる。俗にいう「場があったまる」という、それである。

 トップバッターは滑稽噺の「弥次郎」でご機嫌をうかがうことになった。二番手の「時そば」に続いて、「宮戸川」を女流噺家が公演する。これは幼馴染の若い男女が親から閉め出しを食い、夜遅くに叔父のうちに駆け込み、泊めてもらう。色っぽい噺をどう演じるか注目。

 ほかに落語「初音の鼓」、「明烏」のほか、新春を寿ぎ三味線の弾き唄いなど盛りだくさんだ。

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 初春寄席
第18回文七迷人会
開演は1月16日(金曜日)午後6時30分。
終演は8時30分予定。

場所は東京・浅草の「茶や あさくさ文七」 
オレンジ通り浅草公会堂並び
電話03-6231-6711  地下鉄浅草下車5分

料金は無料 ただし飲食代は別。

日本が薄くなっていく

2015-01-02 23:47:03 | 落語
▼変わる正月の風景
 正月の風景が随分と変わった。門松や松飾りをしている家をほとんど見かけなくなった。晴れ着姿も影をひそめ、道行く人はどこも普段着姿。テレビやラジオで「正月、正月」と言わなければ正月が来たかどうかさえ、分からないくらいだ。日本がドンドン薄くなっていく。

 昭和の時代、30、40年ごろは正月になると、玄関先に日の丸の旗を掲げた民家をよく見かけた。不思議に思い、子供時分に「どうして日の丸を立てるの」と親に聞いたことがあった。「おめでたい日だから」と親が言った。

▼真新しい下着に着替え
 子供たちは普段やらないのに正月だけは羽子板で羽根つきをしたり、凧揚げをした。今はほとんど見かけなくなった。懐かしい昭和の正月風景だ。

 大晦日には決まって母が、家族全員の枕元に純白の下着を用意した。真新しい下着に着替えて新年を迎える。そうすることで、子供心にも気が引き締まったものだ。新しい年のスタートである。

▼今やらないと出来ない
 一年の計は元旦にあり、の諺も聞かれなくなった。が、今年の目標を掲げる。落語の手本にしている古今亭志ん朝のオハコ、「文七元結」の稽古を始めることにした。

 落語を習い始めた時、志ん朝の「文七元結」に感激し、「10年経ったらこの噺をやりたい」と思った。あれから5年が経過した。これから5年後に大作の「文七元結」をやる気力、体力がまだあるか? そう思ったら、今やらないと出来ないのではと考え、始めることにした。

▼「文七元結」3つのヤマ
 志ん朝の「文七元結」は、優に1時間を超える長講噺だ。とても覚えられない。例え覚えたとしても、素人がロングでやっても誰も聴いてくれない。間違いなく途中で噺がだれるに違いない。

 この超大作の落語をどう料理するか。「文七元結」には3つのヤマ、聞かせどころがある、と私は思う。1つ目は、17歳になる一人娘のお久が父親、長兵衛の借金の肩代わりに吉原に身を投じようとする場面での、女将と長兵衛のやり取り。

 2つ目は、吾妻橋で身投げをしようとする鼈甲(べっこう)問屋の手代、文七と五十両を懐にした長兵衛との出会い。そして、最後が、「左官の長兵衛親方はこちらですか」と鼈甲問屋の主が文七を伴って長屋やって来る、あの場面だ。

▼師走には「文七元結」を
 3つの「聞かせどころ」を上手にすくい取って、長講噺を縮めることから始めよう。まず志ん朝の「文七元結」を全部書き起こす。どこがカットできるか点検。この手直しに2ヵ月はかかる。完成した原稿を覚え、そこにカミシモ(所作)を付ける。大事な「間」のこともある。

 この間に、落語会の段取りや仲間の会への出演、本職の噺家の落語鑑賞などが入ると、「文七元結」を覚えて高座にかけるのは今年暮れごろになりそうだ。今から年末の話をするのは気が早いが、師走の年忘れ落語会にはぜひ「文七元結」をやりたいと思っている。