今年になって初めて平治師匠の落語会にうかがった。28日の新春センター寄席「落語で初笑い」。師匠は、あたしがこれから稽古に入ろうと思っている「まんじゅう怖い」を高座にかけた。あまりの幸運に「こいつぁー、ま、春から縁起がいいわい」と、思わず叫びたくなった。2012年、好調な滑り出しである。
▼チラシやコートで“予約済み”
「きょうは師匠の落語会だ」と思いだし、昼飯もそこそこに、わが家を飛び出し、すっ飛んで行った。それでも会場に着くまでには、1時間40分ほどかかった。西武新宿線の下落合駅で下車。そこから徒歩約5分。開演までまだ30分近く余裕があるのだが、既に前の方の席は、椅子の上にチラシやコートが置いてあって“予約済み”。
空いている席を見つけて着席。「今日は何を演ってくれるだろうと思わせるぐらい引き出し(ネタ)の多い噺家」とは主催者の弁。師匠の落語はどれも明るくて楽しい。それを身体全体を使って演じて見せるから、初めて落語を聴く人にも落語の面白さが伝わる。
▼噺の随所に施した工夫
「まんじゅう怖い」など、その典型で、どこで切っても噺が収まるように、随所に工夫が施されている。この日は二つ目が2人出演したため、15分ばかり時間が押した(予定より延びた)として、「オメエ、ほんとは何が怖えんだ?」という、最後のやり取りまでたどり着かなかった。が、途中ながら、ピシッと綺麗に噺が着地。つくづく「上手いな」と思う。
客をドンドン噺に引っ張り込んでいくものだから、初めて「まんじゅう怖い」を耳にした客は、これで完結したものだと思い込んでしまうに違いない。愉快な噺はまだまだ続くのだ。最後までタップリ聴きたい人は師匠の独演会に行くといい。
▼奥が深いから面白い
あたしは、師匠の「まんじゅう怖い」を聴くのはこれで3回目。だが、何度聴いても面白い。落語を習う身としては毎回、新たな発見があり、教わることがある。「ああ、あそこは、あんな風に言うのか」(言葉の表現)や、「セリフとセリフの隙間の呼吸」(話の間)などである。
こういうことはDVDやCDを聴いただけでは絶対伝わらない、分からない。落語はナマで聴かないと勉強にはならない。回を重ねるごとに少しづつではあるが、落語が分かりかけてくる。落語は奥が深い。だから、やっていて面白い。この楽しさは聴くだけではわからない。実際に自分で演じてみて、初めて分かるものだ。
▼引き出しの多い噺家
師匠は他にもう一席、「家見舞い」を披露した。別名を「肥瓶(こいがめ)」という。二つ目、春風亭昇々の「転失気」を受ける形で、このネタを高座にかけた。噺家は高座に上がって、その時、演じるネタを考えるというが、今回はまさにそれだ。持ちネタが少ない人は、臨機応変な対応など不可能だ。平治師匠のことを「引き出しの多い噺家」と言うのは、どのような場面でも対応できることを指している。
客席のあたしに気付いた師匠は一席終えた後、「遠いところをわざわざ」と声をかけてくれた。細やかな気配りのある師匠である。
さっそく、この日、教わった個所を修正して、「まんじゅう怖い」を人前で話せるよう仕上げたいと考えている。充実した1日だった。
▼チラシやコートで“予約済み”
「きょうは師匠の落語会だ」と思いだし、昼飯もそこそこに、わが家を飛び出し、すっ飛んで行った。それでも会場に着くまでには、1時間40分ほどかかった。西武新宿線の下落合駅で下車。そこから徒歩約5分。開演までまだ30分近く余裕があるのだが、既に前の方の席は、椅子の上にチラシやコートが置いてあって“予約済み”。
空いている席を見つけて着席。「今日は何を演ってくれるだろうと思わせるぐらい引き出し(ネタ)の多い噺家」とは主催者の弁。師匠の落語はどれも明るくて楽しい。それを身体全体を使って演じて見せるから、初めて落語を聴く人にも落語の面白さが伝わる。
▼噺の随所に施した工夫
「まんじゅう怖い」など、その典型で、どこで切っても噺が収まるように、随所に工夫が施されている。この日は二つ目が2人出演したため、15分ばかり時間が押した(予定より延びた)として、「オメエ、ほんとは何が怖えんだ?」という、最後のやり取りまでたどり着かなかった。が、途中ながら、ピシッと綺麗に噺が着地。つくづく「上手いな」と思う。
客をドンドン噺に引っ張り込んでいくものだから、初めて「まんじゅう怖い」を耳にした客は、これで完結したものだと思い込んでしまうに違いない。愉快な噺はまだまだ続くのだ。最後までタップリ聴きたい人は師匠の独演会に行くといい。
▼奥が深いから面白い
あたしは、師匠の「まんじゅう怖い」を聴くのはこれで3回目。だが、何度聴いても面白い。落語を習う身としては毎回、新たな発見があり、教わることがある。「ああ、あそこは、あんな風に言うのか」(言葉の表現)や、「セリフとセリフの隙間の呼吸」(話の間)などである。
こういうことはDVDやCDを聴いただけでは絶対伝わらない、分からない。落語はナマで聴かないと勉強にはならない。回を重ねるごとに少しづつではあるが、落語が分かりかけてくる。落語は奥が深い。だから、やっていて面白い。この楽しさは聴くだけではわからない。実際に自分で演じてみて、初めて分かるものだ。
▼引き出しの多い噺家
師匠は他にもう一席、「家見舞い」を披露した。別名を「肥瓶(こいがめ)」という。二つ目、春風亭昇々の「転失気」を受ける形で、このネタを高座にかけた。噺家は高座に上がって、その時、演じるネタを考えるというが、今回はまさにそれだ。持ちネタが少ない人は、臨機応変な対応など不可能だ。平治師匠のことを「引き出しの多い噺家」と言うのは、どのような場面でも対応できることを指している。
客席のあたしに気付いた師匠は一席終えた後、「遠いところをわざわざ」と声をかけてくれた。細やかな気配りのある師匠である。
さっそく、この日、教わった個所を修正して、「まんじゅう怖い」を人前で話せるよう仕上げたいと考えている。充実した1日だった。