扇子と手拭い

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ゴウツク大家を安倍晋三に見立てた「大工調べ」!

2018-07-28 17:26:16 | 落語
 あす29日は落語会。朝から降ったりやんだりで小康状態だった雨がピタッとやんだ。念のため雨合羽を着て最後の稽古をしようと表に出た。

 急に雨が降り出した。風もある。いよいよ、おいでなすったか。台風12号は勢力を強めて日本列島に接近。関東地方は今夜から暴風圏に突入すると天気予報が言っていた。

 しょーがない。踵を返して自宅に戻った。とにかく湿気が強い。じっとりべっとり。温度を27度にしてエアコンをかけた。今日は「冷房」ではなく「除湿」にした。

 落語の稽古は散歩を兼ねて、歩きながらやっているのでうちでは、どうも調子が乗らない。とは言いながら、やらなければどうにもならない。

 泣いても笑っても明日は本番だ。みっともない形で高座には上がりたくない。

 コーヒーでも飲んで、気分を入れ替えて稽古をするか。あすかける落語は「大工調べ」だ。初めて落語を覚えた9年前に落語のDVDで天才、志ん朝師匠の名調子を聴いて一目惚れ。「オレもやりたい」と思った。

噺はこうだ。
 江戸っ子の代表のような大工の棟梁、政五郎が「大仕事が入った」と与太郎を呼びに行ったところ、「道具箱がない」と与太郎。聞くと店賃溜めて大家に持っていかれたという。溜めた店賃は一両二分と八百。

 棟梁が懐をひっかきまわしたところ、一両二分しかない。とりあえず、これを持って行って「道具箱を返してもらえ」と政五郎。ところが、ゴウツク大家はガンとして拒否。

 今度は棟梁が大家に「たかが八百のことだから、ついでがあったら持ってきます」。これに「一文欠けても道具箱は渡せねえ」とゴウツク大家。

 「とにかく急偽の仕事だから、与太郎に渡してやっておくんなせー」と繰り返し、拝むようにして頼む棟梁。だが、「渡せねえ、と言ったら渡せねー」と首を縦に振らない大家。

 とうとう堪忍袋の緒が切れた棟梁の政五郎が、「そーすか。・・・じゃ、いらねえ。ヤイこん畜生!もう頼まねえこの丸太ん棒! こちとらはなあ、テメエのような野郎に、頭あ下げるようなおアニイさんと、おアニイさんのわけが違うんだ。なにおー、下出にでりゃつけ上がり? そら、こっちが言うセリフだ」と啖呵を切る。

 寄席ではここで「よー、待ってました!」とばかり、拍手が起きる場面だ。

 私はなぜこの噺が好きかと言えば、ゴウツク大家を安倍晋三に見立てるからだ。

 力もないくせに権力をかさに着て威張り散らす。そんな弱い者いじめをする野郎を大工の棟梁、政五郎が完膚なきまで叩きのめす。何度聴いても、心持がいい落語だ。

 あすの高座で立派に政五郎を演じることが出来るか否か? 精一杯頑張るしかない。

桂歌丸さん偲び「笑点」が2時間のナマ特番!

2018-07-12 11:08:21 | 落語
 日本テレビ系の看板番組『笑点』に第1回から唯一50年間出演し続け、大喜利コーナーの回答者、司会を経験して、最終的には“終身名誉司会”の称号を得た歌丸さん。

 『笑点』の生き字引とも言える歌丸さんを偲ぶため、笑点レギュラーメンバーが全員生出演する特番『ミスター笑点 桂歌丸追悼特番』が12日(後7:00~8:54)に生放送されることも決まった。

 特番のMCは、同局の桝太一アナウンサーと水卜麻美アナウンサーが担当。決して平坦ではなかった歌丸さんの波乱の人生を、番組の歴史とともにひも解きながら、現在の『笑点』メンバー全員で歌丸さんを偲ぶ。

献花のファンで溢れた桂歌丸さんの告別式!

2018-07-12 11:02:49 | 落語
 今月2日に81歳で死去した落語家、桂歌丸さんの告別式が11日、横浜市の妙蓮寺で営まれた。歌舞伎俳優の中村吉右衛門さん(74)や長年、人気演芸番組「笑点」で共演した林家木久扇さん(80)ら約2500人が参列し、「生涯噺家(はなしか)」を全うした故人との別れを惜しんだ。

 吉右衛門さんは時折、言葉を詰まらせながら「師匠は落語を残し、落語のお客さまを残して旅立たれた。独り勝ちのような人生でしたが、勝ち逃げはずるいよ」と遺影に語りかけた。

 木久扇さんは弔辞で、先月20日に病室を見舞った時の姿に触れ、「師匠は私に『パンダの食事はパンだ』と書いた紙を見せ、頬の筋力が落ちるとパピプペポが言えなくなるから、これで発声練習をしていると言っていた。まだ頑張るつもりなのだと感じた」と悲しみをこらえて話した。

 会場の大型テレビでは、最後の高座となった今年4月の国立演芸場での「小間物屋政談」の映像も流され、参列者は笑いながら目頭を押さえていた。 (以上 毎日新聞)

 日刊スポーツによると、この日、一般ファンが献花するために用意されたテントからは人があふれ、告別式終了の午後4時を過ぎても献花に訪れる人がいた。地元からの参列者は多かった。

 横浜市の高原文吉さん(68)は「都内じゃなくて、ここで(告別式を)やってくれたことがうれしい」と話した。同市の小倉泉さん(49)は「私も闘病中。歌丸さんの『病気とうまく折り合ってやっていくしかない』という言葉を知って、落ち込まずにやっていこうと思った」と語った。

お別れ会の写真はここをクリック
https://www.iwate-np.co.jp/article/oricon/2115352

酸素ボンベを楽屋に持ち込んで!

2018-07-03 13:14:15 | 落語
桂歌丸師匠が逝った。私が師匠の落語を目の前で聴いたのはこの時が初めてだ。当時の原稿を転載する。古典落語の大御所。

 晩年の師匠は、病との闘いだった。酸素ボンベを楽屋に持ち込んで高座に上がった。噺家の鏡である。合掌。

<< 作成日時 : 2010/04/03 >>
 4月3日午後、歌丸師匠が公演中に突然、50代の男が高座のわきに駆け寄り、落語を中止させる騒ぎがあった。

 この日、浅草演芸ホールは「楽太郎改メ 六代目三遊亭圓楽襲名披露興行」の真っ最中。披露口上の後、歌丸会長は再び高座に上がり、落語を語り始めた。


 数分したところで突然、客席から向かって左の最前列近くの床に座っていた50歳代の男が立ち上がり、高座に近づいた。そばに小学生ぐらいの男児。

 男は何か口走りながら、師匠に封筒のようなものを手渡そうとした。ご祝儀のようだ。師匠は気付かないふりをして噺を続けたが、男が執拗に渡そうとして、その場から動こうとしない。

 歌丸師匠が再三、静止したにもかかわらず、高座にへばり付き立ち去らない。落語をやれる状態ではない。怒った師匠は「前座、湯呑を片付けろ」と言って高座を降りた。

 私が男に「迷惑だ、帰れ」と言った。係員が男を会場の外に連れ出した。たった1人の不心得者が寄席の楽しい雰囲気を壊した。

 ややあって歌丸師匠は、落語を壊してしまって客席の「みなさんに申し訳ない」と謝り、お詫びのしるしにと舞を披露した。

 歌丸師匠が詫びることなどこれっぽっちもない。師匠は被害者だ。

 病み上りの身であり、腰の具合も良くないと聞く。そんな体調を押して客席にサービスする師匠に大きな拍手が上がり、愉快な寄席が戻った。本物の噺家の力を見た思いだ。