扇子と手拭い

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応援の気持ち伝わる

2014-09-09 11:55:49 | 日記

▼辛口コメントを
 雨の中をたくさんのお客さまにお越しいただいた7日の落語会。お礼の電話をしたところ、みなさん存分に落語を楽しんでくださったようだ。私たちは、おほめの言葉に甘えることなくより一層、精進する覚悟だ。そこで常連さまに「あえて辛口コメントを」とお願いし、貴重な声を聞かせていただいた。

 「饅頭こわい」は大事なところでしくじったが、客はそこを見逃さない。「饅頭が野郎に食いついた、の言い回しが反対だった。野郎が饅頭に食いついた、ではないか」「マクラで笑えるようもう、ひと工夫してもらいたい」

▼目の前を人が通った
 「目黒のさんま」については、「特に印象にない。一本調子」「いつものことだが滑舌が悪い」「高座で噺をしている最中に、彼は目の前で(客を)案内していたが気が散る。聴いてる客に迷惑」

 「動物園」については、「動きが大きくてすごく面白かった。表情もよかったので笑えた」「しゃべり方に独特のものがある」「客の右側ばかり見ているが、癖なのか」

▼一生懸命さが伝わる
 「うなぎ屋」については、「面白いというより、一生懸命なのが伝わった」「上手い。慣れている。いい感じ」「ハキハキしている。後半に早口になったのが・・・」

    
 「紙入れ」については、「時計をして(高座に)上がっていた。気なった」「右と左に向く顔が、ほとんど正面を向いていた。淡々とし過ぎ」「メリハリが今一つ。もっと大胆にやってもいいのでは」

▼オチが今一つ物足りない
 「幽霊の辻」については、「期待して聴いていたが、最後のところでオチがハッキリしなかった。最後が物足りない」「ゼスチャーを大きく見せるのがよかった」

 「千両みかん」については、「声が通るので聴きやすい」「ただ、噺の季節感が今の人に伝わるかどうか」「もっと笑顔をした方がいい」

▼応援の気持ち伝わる
 お聞きした貴重な声には、何でもかんでも難グセを付けるのではなく、「応援してやろう」との気持ちがこもっている。こうしたご贔屓さまの声は本当にありがたい。指摘いただいたところを修正し、みなさまの期待に応えられるよう、今後も稽古に励むつもりだ。

 今回、大入りの背景には、電話での「お知らせ」があった。私たち出演者は、毎回書いていただく「連絡希望ノート」を基に、手分けをして記載者全員に無料落語会の案内をした。だから客の大半がリピーターである。

▼本職の領域は犯さず
 今回も新たに9人の方が連絡先を書いて下さった。アマチュア落語家の中には、木戸銭を500円、1000円と取って落語会を開いているのが少なくない。中には本職もビックリの2500円のチケットを販売している落語集団もある。

 だが、私たちは木戸銭は一銭もいただかない。本職の領域を犯すようなことは慎むべきだと考えている。ナマで落語を一度も聞いたことがない方に、落語を聴いてもらい、笑い、楽しんでいただくだけでいいと思っている。

逆さクラゲになった傘

2014-08-29 08:52:58 | 日記
▼台風の中、来てくれた
 台風11号が日本列島を直撃した10日、落語仲間2人と柏まで落語を聴きに行った。私たちの落語会のPRという別の目的があったからだ。一度は行くのを止めたが、関東を襲う恐れがなくなったというので決行した。林家正雀は「台風の中、来てくれた」といって弟子とともに踊りまで披露。抽選で手拭いを配った。客は大喜びだった。

 激しい雨音で目が覚めた。時計を見ると、まだ午前5時を少し過ぎたところ。横殴りの雨粒がバチバチと音を立ててガラス窓をたたく。。「この分では今日の計画は中止せざるを得ない」と考え、2人に連絡した。

▼木戸銭払って聴く客
 雨が小やみになったころ、落語仲間の1人から「折角の機会だから行こう」と電話があった。別の1人に伝えると、彼も「行こう」と言った。正雀が出る柏落語会は、木戸銭を払って聴きに来る客だ。落語が好きな人が集まる。私たちの9月7日の落語会、「にこにこ柏寄席」の「お知らせ」には絶好の機会である。

 そう考え、私は買ったばかりの長靴を履いて柏に向かった。駅の改札で2人と落合い、徒歩で10分ほどの会場へ向かおうとして傘を開いた。途端、強風にあおられ逆さクラゲになった。傘の骨が3本折れた。アッという間だ。

▼半券とともにチラシ
 3人はタクシーで会場入り。用意したチラシを「配らせて欲しい」と頼んだところ、受付係は入場券の半券といっしょに客に配ってくれた。断られたら、落語会の後、会場の外でチラシを配るつもりだったのでホッとした。

 チラシを見た入場者の反応が気になった。ところが、会場が国の重要文化財(歴史的建造物)「旧吉田家」なので信用してくれたらしい。「これ、聴きに行きますよ」と、チラシを見ながら客が言った。

▼「つまらない」と言わせない
 アマチュアは何が大変か、というと客集め。名前の売れた噺家ならいざ知らず、われわれのような無名の社会人落語家は、あらゆる機会を捉えてコツコツ人集めをするしかない。大事なのは、次につながるかどうかである。そのためには、客に「面白かった」と言わせる落語を披露することだ。

 「つまらない」と思われたら、二度と聴きに来ない。私たちは、日々精進するしかない。帰り際に、「次の落語会はいつだい?」なんて言われたらもう、最高だ。


次々に貴重なお宝が

2014-07-31 11:38:06 | 日記
▼米朝師の情熱を綴る
 桂米朝師匠と言えば、上方落語のみならず今日の落語界全体の代表である。名人芸を披露する傍らで、先の戦争で途絶えかけた上方落語を復興、数々の落語全集をまとめるなど学者肌の文化人でもある。その米朝師匠が落語に注ぐ情熱を綴った貴重な記事を見つけた。

 学生時代に米朝師匠の落語をナマで聴き、衝撃を受けたのがきっかけで今日まで50年間、交流を続ける落語研究家小澤紘司の寄稿文。「米朝落語のお宝蔵出し」(7月24日付日経)である。以下は要約と加筆、小見出しはブログ筆者。

▼想像の世界に遊ぶ
 米朝師匠の「米朝落語全集」増補改訂版(全8巻)がこのほど完結。小澤はその手伝いをした。初めてのナマの落語で想像の世界に遊ぶ楽しみを知った。落語の感想や質問の手紙を出したところ、見ず知らずの学生に丁寧な返事が返って来た。うれしくなって手紙を出し続けると、毎回欠かさず返事をくれた。

 これが縁で文楽や狂言などについても教えを乞う。物事の考え方についても大きな影響を受けた。大学卒業後、小澤は損害保険会社に入社。初めて給料をもらった時、洋菓子を持って挨拶に行ったことを夫人は長く覚えていていた。結婚式の仲人も師匠夫妻で、損保会社役員を退任した後も交流が続いた。

▼米朝家の2階の書庫
 師匠は1996年に重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受け、2009年には文化勲章を受章。このころから、小澤による師匠の資料整理が始まった。米朝家の2階の書庫は天井から床まで壁全体が作りつけの本棚になっている。

 そこにはおびただしい蔵書があり、和綴(と)じ本、芸能研究書、大阪ことばや郷土文化の資料、自筆のノートや原稿とその掲載本、放送台本の他に出演プログラムやポスターであふれている。本棚の前には段ボール箱15個がはみ出して積んであった。

▼幻の「一文笛」を発見
 これらを一つひとつ開いて整理する作業から始めていったのだが、資料整理は本と文献を置き直し、本棚に並び替えるだけでは終わらない。長年にわたって細かくノートにつづった内容を、誰でも読めるようにして、師匠の考え方や情熱を次の世代に受け継いでもらうことが資料整理の大きな役割である。

 今まで無いと言われていた師匠自作の落語「一文笛」の原稿が意外なとろから出てきた。12年11月15日のことである。別室にある古いSPレコードやオープンリールの録音テープを整理しようと片付けている時、雑多な書類の中から見つかった。

 その日の夕食時に米朝師匠は原稿用紙を手に取って眺めながら「うん、書いた覚えはあります」と一言。

 
▼19歳の「病牀日記」も
 その後、弟子たちが師匠を囲んだ酒席で、「一文笛」の原稿用紙を見せたところ、「これは米朝一門のお宝です」と大いに喜ばれた。このお宝原稿が、今回の全集第8巻の巻頭を飾ることになったのである。

 また、師匠自筆の「根多帳」や、自作の新作「莨(たばこ)道成寺」「淀(よど)の鯉(こい)」の台本、さらに19歳で軍隊に入隊して間もなく腎臓炎を患い入院生活を余儀なくされた時の大学ノート2冊からなる「病牀(びょうしょう)日記」も見つかり、所収することができた。


御見逸れしやした

2014-07-31 11:36:48 | 日記
▼無類の読書家正蔵
 林家正蔵が本好きとは知らなかった。「感じてほしい“言葉の香り”」と題して、
毎日新聞の夏の読書特集に、私と本について語った。九代目正蔵と言うより、「タレント こぶ平」のイメージが強過ぎて、私の頭からはいまだに抜け切らない。だから無類の読書家と聞き、別の顔を知った。

 本と親しむようになったのは、読書好きだった父、故三平と母の影響が大きい。「小学生のころ、フィクション、ノンフィクションに限らず、週刊誌や漫画雑誌以外はどんな本でも無制限に買ってくれました。本はいくらでも読みなさいって。小学校高学年からいろいろ読みました」と正蔵。

▼小学時代に落語全集
 手にした本は遠藤周作、吉川英治、池波正太郎、アーネスト・ヘミングウェイ、レイモンド・チャンドラー、小林秀雄……。「たまたま小学校の恩師が埼玉大学の落研(落語研究会)の人だったんです。本の話になって青蛙房から出ている落語全集も読みましたね。小さん、金馬、文楽、志ん生」。

 驚くほど多岐にわたっている。「意味が分からないところがあっても、文字を追っているだけで楽しかったですね」。最近の子供は本を読まないとよく言うが、正蔵の話を聞いて、原因は親にあることを改めて確信した。

▼心に留める「言葉の香り」
 落語協会会長になったばかりの柳亭市馬の下で、副会長に就任。古典落語にも一層、磨きがかかってきた。最近は滑稽噺だけでなく、人情噺や三遊亭円朝物へと芸の幅を広げている。正蔵が心に留めているのが「言葉の香り」。

 「古典落語に力を入れてやり始めた時に、(春風亭)小朝兄さんに『言葉って香るよね。名人上手の噺を聴くと、言葉に香りがある。すごく重要な要素なんだよ』って言われたんです」。

▼「お艶殺し」と「鼠小僧次郎吉」
 それは文学にも当てはまると言って、正蔵は谷崎潤一郎の「お艶殺し」と芥川龍之介の「鼠小僧次郎吉」を挙げた。「とにかく読んでごらん」と人に薦められたという。

 正蔵は続けた。「見事な江戸言葉で、江戸の風、香りがプンプンしてくるんです。自然と文章から湧き立つんです。こんな語りができる落語家になれたら素敵だろうなあ。この二つは手放せない。いい本に出会えたと思います」。

▼「いつになってもひってんだ」
 「江戸の香りがプンプン」なんと書かれたら、拝見しないわけにはいかない。早々に近くの図書館に駆け込んだ。あった。「鼠小僧次郎吉」は手元に、そして「お艶殺し」は、数日中に届く手はずだ。

 「おれが3年見ねえ間(ま)に、江戸もめっきり変わったようだ」「変わらねえのはあっち(私)ばかりさ。へへ、いつになってもひってんだ」―。汐留の船宿、伊豆屋の表二階。遊び人らしい2人の会話である。

▼御見逸れしやした
 この「いつになってもひってんだ」の「ひってんだ」が、分からない。と思っていたら、ちゃんと解説があった。ピーピーしている、貧乏から抜け出せないでいるという意味だそうだ。

 この本にはこんな江戸言葉、粋な会話が随所に登場する。なるほど落語をやる者にはいい教科書だ。芸の肥しになる。御見逸(そ)れしやした。


尊敬されない“国宝”

2014-07-31 11:34:12 | 日記
▼小三治“国宝”に距離
 柳家小三治が人間国宝に選ばれた。目出度いハズだが、意外に落語界は覚めている。理由は彼の人間性にある。とにかく評判がすこぶる悪い。「芸は人なりと言われるが、あの人は別か」との批判が聞える。ちなみに夕刊紙にこんな見出しがついていた。「人間国宝・柳家小三治 誰も尊敬していません」。

 落語界での重要無形文化財保持者(人間国宝)は、五代目柳家小さん、上方落語の桂米朝に続いて3人目。五代目小さんは、任意団体だった協会の法人化を実現するなど落語界の発展に努めた。

▼なぜ、小三治なのか?
 また、米朝は先の大戦で滅びかけていた上方落語の復興に努め、40数年かけ、ついに自らの手で上方落語全集をまとめ上げるなど多大な功績を残した。このため、「上方落語中興の祖」と言われている。

 このように前任の2人は、人間国宝に選定されるにふさわしい実績を残した。ところが、どこをどう、探しても小三治にこれと言った業績は見当たらない。出て来るのは不満ばかり。なぜ選ばれたのか不思議なくらいだ。

▼披露興行に顔出さず
 とにかく「言っていることと、やっていることがあれだけ違う人は珍しい」とささやかれる人物なのである。協会会長の就任当初だけは人気取りに、真打昇進に伴う抜擢人事で話題をさらった。だが、次の年からは元の年功序列に戻った。

 毎年のように二つ目から真打に昇進する。その度に、新宿・末広亭など都内の定席で披露興行が行われる。会長は協会の責任者として挨拶をするのが大事な仕事。ところが小三治は、「われ関せず」と、よほどのことがない限り出ない。

▼尊敬されない“国宝”
 こんなことがあった。「NHKのコンクールで優勝したら抜擢あり」と言われ、ある理事が優勝した若手を推薦したところ、「俺には、あの芸は合わない」、と小三治は真打昇進を却下した。どこかの首相と同じで、言ってることと、やることがまるで違う。

 素顔の小三治を知る落語家はみんな、嫌っている。身勝手な小三治を腹の底では誰も尊敬していない。それでも人間国宝になった。安倍政権と格別のつながりでも持っているのか? 真相は藪の中だ。