扇子と手拭い

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チャンスを見逃すな(落語2―97)

2012-06-24 02:22:21 | 日記

▼時の経つのを忘れ
 無沙汰を致しておりました。いや、実はここんところ、3日ばかり東へ旅をしておりましてな。この季節、新緑が何とも言えない美しさで、時の経つのを忘れ、しばし、見とれておりました、ヘエ。泊まった宿がこれまた良ござんしてな。すっかり気に入り9月にもう一度、訪ねようと思っとります。

 先だって恋女房を病で亡くし、気落ちしている親友を、元気付ようと選んだのが東北は十和田湖近くの奥入瀬渓谷。「どうだい」と声掛けしたところ、「行ってみるか」と友。

▼岡本太郎の「森の神話」
 東北新幹線八戸駅からバス1時間余りで予約した宿。ホテルに着いた途端、言葉を飲んだ。玄関正面のラウンジに、覆いかぶさるように鮮やかな緑の森が姿を見せた。天井まで届く巨大なガラス窓。その前に、奥入瀬の川の流れをモチーフにした岡本太郎作の円錐形の大暖炉「森の神話」が吊るしてあった。

 迫力に圧倒された。この「森の神話」。重さは何と、4トンを超えるというから半端ではない。背景の新緑とのコラボは見事というほかない。私たちばかりでなく、訪れた客のほとんどが驚き、見とれていた。

▼ロケーションの良さ
 別の広場には太郎の遺作となった大暖炉「河神」が、同様に天井から吊り下げてあった。レプリカでない。すべて本物。値段はつかない、というから文字通り、“お宝”である。

 ロケーションの良さには目を見張った。地階のレストランを出たところに広場がある。広くて大きなガラス越しの新緑を背に、グランドピアノがデンと構えている。時々、ここで演奏会など開くのだろう。夕食を終えた宿泊客が三々五々、やって来て、ここに並べた椅子に腰かけた。

▼イスの“高座”で落語会
 これはチャンスと考えて、脇の夫婦に「落語は好きですか」と水を向けたところ、「大好き」の返事。数分後に即席落語会が始まった。脇のダンナはひじ掛けイスを前に出して「この上に座ってやってください」。いくら何でも狭すぎるが、何事も稽古と思い、宿のゆかたのまんまイスの“高座”に上がった。

 次第に観客も増えてきたので2席話した。ホテルのフロント係が礼を言った。ところが、最初は急に騒がしくなったので、「もめ事でも起きたのか」と心配して、飛んで来たという。来てみると落語をやっていたので安心したとフロント係。いや、騒がせて申し訳ない。

▼手拭い代わりにナプキン
 次の晩はイスではなく、台の上に1畳分の特製畳を置き、その上に座布団。立派な高座がしつらえてあった。「他に必要なものはありませんか」とホテル側。「手拭いがないとやりづらい」と言ったところ、「これで大丈夫でしょうか」と白いテーブル・ナプキンを持参。「チョイトでかいが、ま、いいや」と、借りることにした。

 用意したイスがすべて埋まり、立ち見が出たので、わが友が急きょ、補助イスを用意した。彼のこうした気配りは、昔っから変わらない。開演に先立ち、念のため、「昨夜、お見えになった方はいらっしゃいますか」と尋ねたところ、4人が手を挙げた。連夜のお越しに感謝。が、同じネタはやれないので、別の噺を披露した。こういうこともあろうかと、昼間に稽古をしていたのが功を奏した。

▼客席から“おひねり”
 今回の旅の目的は、「奥入瀬渓谷の新緑は今が最高」と言われていた渓谷の散策だった。ところが、生憎の台風4号の襲来で豪雨、増水となり危険なため、やむなく中止。1日中、宿に缶詰めで、朝から温泉に出たり、入ったりの繰り返し。その合間に、落語の稽古が出来たのだから良しとする。

 ホテル側が用意したCDラジカセの操作は友が買って出た。出囃子と送り囃子も段取り通りにこなしてくれた。1時間で3席、高座にかけた。足のしびれを防ぐために、1席ごとに高座を降りた。終わったところで、連夜にわたって聴きに来てくれた客が1000円札をタテに二つ折りにして差し出した。突然の出来事に驚き、再三、断ったがなお突き出したので、好意を無にしてはと思い、受け取った。

 多分、“おひねり”のつもりだったのだろうが、落語で“おひねり”はない。噺家への祝儀は楽屋で手渡すようだ。以前、浅草の寄席で桂歌丸・落語協会会長が公演中に、客席の一人が祝儀袋を手渡そうとして会長を怒らせ、落語が中止となったことがある。噺家は、公演中は全神経を集中している。気が散ったら話が出来ないからである。

▼緊張感の積み重ね
 終演後、複数のホテルマンから礼を言われ、恐縮した。礼を言うのはこちらの方だからである。100回の稽古より1回の高座、と師匠から聞かされているから、わずかな機会も見逃さない。見ず知らずの人前での落語は、緊張の連続である。その緊張感の積み重ねが落語上達の近道、とは師匠の教え。恐れずにチャレンジしろ、というのである。2日間で5席は二度目だ。

 3日目の昼、東京へ向かう新幹線に乗り込んだ友の表情が、心なしか輝いて見えた。温泉効果に加え、手作り落語会の面白さも手伝ったのでは?と勝手な想像をしている。