扇子と手拭い

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「文七元結」の“隠し味”(落語2-28)

2010-12-28 14:17:00 | 日記
▼平治師匠が「文七元結」
 何度聴いても「あの落語には泣かされる」ー。多くの落語ファンが決まってそう話すのが古今亭志ん朝さんの「文七元結」である。私も、いつの日かこの噺を演じてみたい、との思いから時々、CDを聴いている。その「文七元結」を平治師匠が高座にかけるというので、飛んで行った。

 新宿の小さな居酒屋で27日夜、開かれた落語会は、狭い場所に4、50人がすし詰め状態。落語の学校の受講生も7、8人顔を見せていた。日ごろは滑稽噺が中心の平治師匠が人情噺の極め付け「文七元結」を演じるというのでみんな興味津々。

▼めずらしく言い間違え
 噺の確かさでは定評がある平治師匠が、めずらしく言い間違えた。こんな師匠を見たのは初めてだ。1時間にわたる熱演を終えた師匠は、「数年ぶりに、この噺を高座にかけた。表現に間違いがあった」と率直に認めた。さらに、「人情噺の多くは(柳家)さん喬師匠から習った。私と口調が似ているので覚えやすかった」と言った後、志ん朝さんが演じる1時間半にのぼる「文七元結」を楽屋一同で聴き入った過去のエピソードを披露。

 「文七元結」は“落語中興の祖”と呼ばれる三遊亭圓朝氏の創作。これまでにも三遊亭圓生、古今亭志ん生、林家彦六(八代目林家正蔵)さんなど歴代の名人が演じているが、私は志ん朝さんのが一番気に入っている。人物描写の情感、表現力が飛びぬけているからである。「志ん朝師匠は芝居の経験があるので、他の噺家には真似できない」と平治師匠。

▼努力に勝る天災なし
 「名人、志ん朝」の稽古は半端ではなかったようだ。関係者の話によると、贔屓筋からのお呼ばれで、どんなに遅く帰ってきても、落語の稽古は欠さなかったという。しかも、納得がいくまで稽古を繰り返したそうだ。人はよく訳知り顔で「彼は才能があるから」などと決めつけたがるが、「努力に勝る天才なし」、なのである。

 「文七元結」は素晴らしい噺である。これまでも歌舞伎や映画でたびたび演じられてきたほどの傑作。論より証拠。一度、古今亭志ん朝さんの「文七元結」を聴きいていただきたい。きっと「落語の魅力」が体感出来る。聴きたい方は当方までメールしてくださいまし。

 

賀状に代えて年末状(落語2-27)

2010-12-26 19:44:41 | 日記
                   年末状

▼17回の出前寄席
 2010年を振り返ってみると落語で始まり、落語で終えた。まさに落語一色だったような気がする。自ら開拓したり、招かれてうかがった出前寄席が実に17回。昨年5月に初めて扇子と手拭い片手に、高座に上がった者としては、過ぎた結果だと喜んでいる。

 最初に出前寄席を配達したのは、千葉県は房総半島のリゾートホテル。菜の花が咲き誇る季節に、落語の学校のメンバー4人で乗り込んだ。他流試合はこれが初めて。全員に不安があったが、初の落語会は予想外の大成功。ここで失敗していたら多分、次の他流試合はなかったかも知れない。それほど、この会は私にとって、大きな意味を持っていた。

▼百の稽古より一度の本番
 芸事は「百の稽古より一度の本番」というように、実践を重ねるごとに力が付いてくる。そのためには高座に上がる機会をつくることが必要と考え、関東近郊のホテル、旅館に片っ端から電話をかけ、出前寄席の“売り込み”を試みた。3人のメンバーにも電話をかけるよう促したが、「無理だよ」といなされた。

 だが、じっとしていて素人落語に声がかかるわけがない。高座に上がるためには根気よくアタックするしかない。観光施設には比較的、暇な時間を見計らい電話を掛けた。1か所平均30分から40分、長い場合は1時間半近く話し、説得を試みたこともあった。

▼満員に出演者感激
 大体が、体よく断られるのがオチである。「いい話ですが、広い場所がなくて・・・」「月に何度かピアノ演奏会をひらいておりまして・・・」。このあたりの事情については当ブログ、10月30日の「出前寄席に四苦八苦」(落語2-8)に詳細を掲載しているので参照されたい。

 それでも、3月以降で17回もの出前寄席が実現できたことは嬉しい限り。今月(12月)17日に開いた病院での「楽笑寄席」は1階ホールが満員で、2階吹き抜け通路も客であふれ、出演者を感激させた。浅草の中心街で開催するわれわれ文七迷人会の定期落語会。こちらは出演者それぞれの努力もあって毎回、満席状態の大盛況続き。

▼落語にもらった出会い
 落語と出会ったおかげで、この1年は実に楽しい毎日を送ることが出来た。愉快な落語仲間と知り合えた。会社勤めのそれとは異なり、落語を介した友人との交流は時を忘れる。新しい輪が広がり、いい機会に恵まれたと感謝している。

 寄席やプロだけでなく、アマの落語会にもよく聴きに行った。目の前で演じるのを拝見するのは、とても勉強になる。明日27日夜は桂平治師匠が、名作「文七元結」を高座にかけるというので聴きに行く予定だ。

▼賀状に代えて年末状
 来年は、新年早々の1月3日から銀座で高座に上がることになっている。1月7日には初めてのホール落語に6人で出演する予定だ。今年以上に落語と親しく付き合い、落語を楽しみたいと考えている。そのためにはもっと演目を増やし、出前先を増やさないといけない。われら文七迷人会はタダで出前を届け、出演致します。どうぞ、ご贔屓に。

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 さて、来年は卯年です。ウサギが跳躍する姿から、飛躍を表す年だそうです。皆さまにとって名実ともに「飛躍」の年となりますよう祈念して、年末のご挨拶といたします。賀状に代えて。
                         2010年12月26日                                        煩悩は百八減つて今朝の春   漱石作


定年を境に賀状やめた(落語2-26)

2010-12-26 19:42:26 | 日記
▼もういくつ寝ると・・・
 もういくつ寝るとお正月・・・。気づいたら、もう、そんな時期である。子供時分は本当に正月が待ち遠しかった。「お年玉」がもらえるからである。師走も25日を過ぎると、「早く正月が来ないかな」と毎日、小さな指を折ったものだ。

 今年もあとわずかとなった。とっくに年賀状を書き終えた人、これから書き始める人と様々だろう。当方は「勤め人卒業」を機に賀状を出すのをやめた。ほとんどが義理でのやり取りだからである。「謹賀新年」などの後に「旧年中はウンヌン」と決まり文句が並ぶ。

▼「一杯やろう」は空証文
 しかもパソコンなどの普及で、はがきの裏も表もきれいに印刷した文字が並ぶ。だから差出人の名前をチラッと見る程度で、あとはごみ箱行きだ。中には「近いうちに一杯やろう」「今年こそ一度会おう」などと手書きで添え書きしたのもある。が、その後、この連中と一杯やったことも、会ったためしもない。すべて空証文である。仕方なしにお義理で書いているのが見て取れる。

 ファクスやメールがなかった私たちの子供時代には、「元気にやってますよ」と日ごろの無沙汰を詫び、安否を知らせる手段として、年に一度の賀状はそれなりの意味があった。しかし、今は、各種情報手段の発達によって、瞬時に相手の存在を確認できるようになった。

▼たった一度の面識に賀状
 そんな背景もあり、定年を区切りに賀状をやめた。暮れの気忙しい時期の賀状つくりは大変だ。煩わしい限りである。その上、郵送料も馬鹿にならない。現役時代、宛先が300人を超えたことがあった。パソコンなどなかった時代だから、自宅に戻って毎日の、あて名書きが嫌になった。たった一度しか面識がないのに毎年、賀状が届く。こうなると出さないわけにはいかない。「バカバカしい」と思いながら書く辛さといったらない。

 無駄な浪費から解放されて、今はスッキリした気分だ。2010年から11年に年が改まるというのは、一つの節目である。この、節目の時期に、今年1年を振り返ると同時に、新たな年への思いを「年末状」として整理したいと考えている。次号に続く。

知ってる?「がす」と「ぶつ」(落語2-25)

2010-12-15 23:40:36 | 日記
▼バカバカしい噺
 次の新ネタは「百川」に決めた。先の落語会で聴いた柳亭燕路さんの噺が、えらく面白かったからである。さっそく、いろんな噺家の「百川」を聴き比べたところ、どうやら三遊亭圓生師匠がネタ元と分かった。

 「百川」は田舎からやって来た訛りのきつい奉公人と、話を取り違えた河岸の若い衆とのチグハグなやり取りが中心の、何ともバカバカしい噺である。随所にクスグリ、腹を抱えて笑う場面があるから、落語に馴染みのない人が聴いても面白い。

▼てんこ盛りの訛り
 音源だけなので仕草は分からないが、圓生師匠が聴かせる若い衆は威勢がいい。切れのいい江戸弁でまくしたてる。河岸の勢いをそっくり座敷に上げた感じで“絵”が目に浮かぶ。反対に、受ける側の百べえさんは、動じる様子はこれっぽっちもなく、訛りをてんこ盛りにして対峙する。

 前々から感じていたことだが、落語に登場する田舎の人は「落語用の田舎弁」というか、独特の田舎弁を話す。「百川」でも「分かんねえもんでがすが」「このうち(家)いは奉公ぶてねえ」などといった語り口が登場する。

▼落語独特の田舎弁
 おそらく、これは特定の地方を指す、と推測できるような表現をできるだけ避けたためだろう。こういう場面で「がす」だとか、「ぶつ」などという言い方が現実にあるのかどうか、私は知らない。が、「がす」や「ぶつ」は、田舎からやって来た、という感じがよく出ていて愉快だ。

 新年は、正月早々から出前寄席の注文が舞い込んでいる。圓生師匠の「百川」は30分を超える落語だ。初春の幕開けの高座には無理だが、1月下旬の出前には間に合わせたいと考えている。今は、師匠の「百川」を録音したICレコーダーのイヤホーンを耳に散歩している。

感慨よぎった修了式(落語2-24)

2010-12-10 00:50:00 | 日記
▼感慨よぎった修了式
 「それではお手を拝借。ヨーオッ」。三遊亭遊馬師匠の威勢のいい掛け声を合図に、全員で三本締め。落語の学校、花伝舎の第15期は9日夕、発表会のあと無事、修了式を終えた。11期から受講しているぺん太にとって修了式はこれが5回目。だが、今回だけは感慨がよぎった。

 次回の受講はかなわない、との思いからである。花伝舎は落語芸術協会(桂歌丸会長)の関連団体で、落語の普及が目的。このため、なるべく多くの人たちに受講の機会を提供したい考えだ。初級の後の中級では、連続4回までの受講が限界とされている。この基準からすると、次回の受講資格はおそらくない。あとは独自に稽古をするだけである。

▼初高座は頭が真っ白
 落語の学校の門をたたいたのは昨年5月28日。その時のブログを振り返ってみると、「未知への期待でワクワクしている」と素直に記してある。さらに、「噺家が演じる場をなぜ“舞台”と言わず“高座”と言うか、などについて説明を受けた」。文字通り「落語」という未知との遭遇への期待である。

 扇子の扱い方も分からなかった。稽古で初めて高座に上がった時は、覚えたはずの噺がひと言も出なかった。前の人が上がってしまいボッとなったのを目の前で見たせいで、頭が真っ白になり、わけが分からなくなった。師匠が「どうしました?大丈夫ですか」と言って、「牛ほめ」の噺の糸口を付けてくれ、やっとわれに返り、しゃべりだしたことを憶えている。

▼師匠の指導に感謝
 懐かしい思い出である。「牛ほめ」からはじまり、「粗忽長屋」「大工調べ」「蔵前駕籠」「手紙無筆」、それに今回の「宿屋の富」まで演目も6つに増えた。落語の「ら」の字も知らなかった者が、今では生意気に、人前で一席うかがえるようになったのも、山遊亭金太郎、桂小文治、平治師匠らのおかげである。

 ズブの素人の私たちと真剣に向き合い、本当によく指導してくれた。ありがたく、感謝している。発表会のこの日も、小文治師匠から「宿屋の富」について貴重なアドバイスをいただいた。ほんのちょっとした違い。その微妙な「違い」が私たち素人には分からない。同じようにやっているつもりでも、どうして違うのだろうか、と常に感じている。そんな点を細かくアドバイスしていただいた。

 ▽宿の主人の挨拶は、もっと表情をにこやかに▽(カネと富札を同時に交換しているように見える)一分銀の受け取り方はまず、もらったカネを袂にしまい込み、その後で富札を渡す▽「金が余って困ってんだよー」と言う言葉は、主人の姿が見えなくなるのを見届けてから、正面を切って、「ハアー」、とため息をつく▽「当たらねえもんだなー」の嘆きは、もっとしんみりと▽当たりが分かった時、下を向かないで正面を切って顔を客席に見せる▽サゲはあせらないこと・・・。

▼24時間落語漬け?
 落語の学校担当の事務局、関さんから「1日のうちで落語に割く時間はどのくらいですか」と聞かれた。「24時間全部です」と応えたら、笑っていた。これは少しオーバーだが、寄席など落語の鑑賞、落語仲間との連絡や打ち合わせ、ボランティアのまねごととして実施している出前寄席の段取り、出演者の交渉、落語ブログの作成、それに大事な稽古とくると、相当な時間を割いていることは間違いない。

 それほど落語は私にとって大事な部分を占めている。以前の勤め先の仲間が、「楽しそうで、生き生きしている」と羨ましがる。知り合いの医師に落語を習っていると話したところ、「大変いいことです。止めてはいけませんよ」と言われ、「うちの病院でもやってくれないか」と声を掛けられた。

▼落語で人生変わった
 落語仲間の多くが言っている。「落語と出会って、人生が変わった」。本当である。私も同感だ。とにかく楽しくてしょうがない。落語を聴くたびに愉快で、「この噺も覚えてみたい。あの噺もやってみたい」と前のめりになる。

 そんな私たちの後押しをしてくれた師匠のみなさんにもう一度、申し上げたい。本当に、本当にありがとうございました。