▼チョットしたこと
自分では結構、真剣にやっているつもりでも、他から見るといろいろアラが目立つ。この日の稽古で、講師の小文治さんから貴重な指摘を受けた。ほんの、チョットしたことだが、そのチョットに気が付かない。プロとアマの差である。
持ち時間の関係で「宿屋の富」の半ばから始めた。私の噺が終わると「志ん朝さんの噺ですね。プンプンしてますよ」と小文治さん。「真似るのはいい、手本にするのは結構。しかし、ぺん太さん、自分が千両当たったら、どんな感じで喜ぶか。それを想像しながらやるといい」。
▼独りノロケは陽気に
小文治さんの指摘は続いた。富の会場、湯島天神の境内に集まった人を指差し、「お前さんも千両当てたいんだろう?」と念押しする場面で、常に同じ方向を指している。並んでいるのではない。少しずつ指差す方向をずらすと、大勢いる中で「お前さんも」「そっちは、どうだい」の問いかけが生きてくる。
そして、まだ当たってもいないのに、当たったつもりで懐手で鼻歌を歌いだす場面。「ここは独りノロケだから、(演者は)笑顔で陽気にやらないといけない」「真面目な顔をして演じると、観ている者はつまらなくなる」とアドバイス。小文治さんの的を得た指摘に、ただ、「なるほど」と言うだけである。
▼位置関係を考えて
他の演目をやった受講生にも次々と的確な指摘。「たらちね」に登場する大家さんが嫁を紹介する。目の前にいる長屋の若い衆に語りかけるのに、高っ調子で大声を張り上げるのはヘン。位置関係を考えて話さないといけない。それだと、遠くにいる人に話しかけているように聞こえる。第一、大家さんが若過ぎる。
噺に登場する人物像をハッキリさせることが大事。そうでないと、聴く側の頭の中に“絵”が出てこない。大家さんの年まわりを考えると、もっと低い声で静かにやった方がいい。ここに登場する若い衆はがさつ者。細かいところまで気が回るような男ではない。そんなところも考慮して描きたい。
▼落語は愉快な頭の体操
落語は想像芸である、とよく言う。話し手が投げた言葉のボールを聴き手が受ける。頭の中で噺の場面を描く、という塩梅だ。だから、ボーとして聴いていたら、話し手が今、何をしゃべっているのか見当がつかなくなる。頭の体操としては、これほど愉快なものはない。
自分では結構、真剣にやっているつもりでも、他から見るといろいろアラが目立つ。この日の稽古で、講師の小文治さんから貴重な指摘を受けた。ほんの、チョットしたことだが、そのチョットに気が付かない。プロとアマの差である。
持ち時間の関係で「宿屋の富」の半ばから始めた。私の噺が終わると「志ん朝さんの噺ですね。プンプンしてますよ」と小文治さん。「真似るのはいい、手本にするのは結構。しかし、ぺん太さん、自分が千両当たったら、どんな感じで喜ぶか。それを想像しながらやるといい」。
▼独りノロケは陽気に
小文治さんの指摘は続いた。富の会場、湯島天神の境内に集まった人を指差し、「お前さんも千両当てたいんだろう?」と念押しする場面で、常に同じ方向を指している。並んでいるのではない。少しずつ指差す方向をずらすと、大勢いる中で「お前さんも」「そっちは、どうだい」の問いかけが生きてくる。
そして、まだ当たってもいないのに、当たったつもりで懐手で鼻歌を歌いだす場面。「ここは独りノロケだから、(演者は)笑顔で陽気にやらないといけない」「真面目な顔をして演じると、観ている者はつまらなくなる」とアドバイス。小文治さんの的を得た指摘に、ただ、「なるほど」と言うだけである。
▼位置関係を考えて
他の演目をやった受講生にも次々と的確な指摘。「たらちね」に登場する大家さんが嫁を紹介する。目の前にいる長屋の若い衆に語りかけるのに、高っ調子で大声を張り上げるのはヘン。位置関係を考えて話さないといけない。それだと、遠くにいる人に話しかけているように聞こえる。第一、大家さんが若過ぎる。
噺に登場する人物像をハッキリさせることが大事。そうでないと、聴く側の頭の中に“絵”が出てこない。大家さんの年まわりを考えると、もっと低い声で静かにやった方がいい。ここに登場する若い衆はがさつ者。細かいところまで気が回るような男ではない。そんなところも考慮して描きたい。
▼落語は愉快な頭の体操
落語は想像芸である、とよく言う。話し手が投げた言葉のボールを聴き手が受ける。頭の中で噺の場面を描く、という塩梅だ。だから、ボーとして聴いていたら、話し手が今、何をしゃべっているのか見当がつかなくなる。頭の体操としては、これほど愉快なものはない。