扇子と手拭い

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

恐れを知らない試み(落語2-56)

2011-09-26 01:21:08 | 日記
▼初の大ネタに挑戦
 「素人の落語はせいぜい7、8分がいいところ。15分の噺など、とても聴くに堪えない」。私たちの師匠ではないが、あまり知られていない真打の落語家が言ったのを覚えている。それなのに今、30分を超える大ネタに初挑戦している。恐れを知らない試みである。さあ、どうする。

 私たちは今月30日、浅草で落語会を開く。そこで「百川」のネタ卸しをしようと考えている。何しろ大作だ。なかなか覚えきらない。場面展開に合わせて、ぶつ切りにして、稽古するが無手勝流だから、肝心の仕草が分からない。カミシモにも自信がない。再度、落語の学校に通うのは落語会の前日からだ。とても間に合わない。

▼のどはカラカラ
 第一、こんな長い噺は、師匠に稽古をつけてもらえない。私たちがやるのは寄席と同じで、一席15分と決められている。悪戦苦闘していたが先日、三鷹に向かう途中の電車内で「百川」を復唱していたら、偶然にも通しで出来た。一度でも上手くいくと、妙に自信がつく。

 圓生さんの「百川」は30分少々だが、同じ噺を私がやると35、6分かかる。向こうは昭和の名人、噺のテンポが違う。この辺りが素人芸の悲しさ。圓生さんは「百川」の中で、何度も脇の湯呑みからお茶を含む。自分で演じてみて初めて分かった。とにかくのどが渇く。何しろ延々としゃべりっぱなしだからカラカラ。

▼落語専用の田舎弁
 「縮めなくては」と、噺をドンドン刈り込んだ。ストップウォッチをそばに置いて、最初からやり直し。「刈り込み」と「稽古」を繰り返すうちに、どうにか30分近くに収めた。あとはどう、仕草を付けるかである。生きのいい河岸の若い衆は、手ぬぐいを片手に持って演じてみた。老舗の旦那は、ゆったりとした感じでやってみよう。

 問題は「百川」のスターである百べえさん。田舎から江戸へ出てきた百べえさんを演じるのが一番難しい。「山かもんで、一向わけ分かんねえもんでがすが」。「がす」などと言う方言はない。鹿児島だ、富山だ、と特定地域を連想させるような言葉は好ましくないとして、落語専用の田舎弁が出来上がったのだろう。

▼落語を腹に入れる
 落語仲間は「もっと大げさに、言葉に抑揚を付けたら」と言う。百べえさんの仕草はどうする。落語は芝居と違い、舞台装置も何もない。あるのは扇子と手拭いだけ。しかもたった一人で、いろんな人物を演じ分けなくてはならない。覚えた言葉をしゃべっているだけでは、「誰が何を」話しているのか、見当がつかない。

 時々、自分で今、だれの役をやっているのか、こんがらがってしまうことがある。間合いや仕草を意識し過ぎるとそうなる。そうならないためには「落語を腹に入れること」と師匠。完璧に覚えろ、と言うのである。以前、師匠から「稽古100回」と教わった。落語は100点と零点しかない。中間点がない。90点は零点と同じ。ほとんど覚えた、ではダメなのである。

▼もう、やるしかない
 高座に上がって1カ所詰まったら、後が続かない。パニックって、焦りばかりが頭の中を駆け巡る。そうなると落語どころではない。初めて高座にかける「百川」。どうなるか分からないが、もう、ここまで来たらやるしかない。

落語でつながった同志(落語2-55)

2011-09-22 00:47:17 | 日記
▼悔しい、がんが憎い
 台風15号が関東地方を直撃したさ中に訃報が届いた。落語の同志、花伝亭笑龍さんが亡くなった。がんに侵されながらも「落語が一番の薬だ」と、入院直前まで高座に上がり続けた。陽気で味わいのある、あの笑龍落語を聴くことはもう、かなわない。・・・悔しい。がんが憎い。

 宇都宮付近を台風が通過中とテレビが伝えた時、脇の携帯電話が鳴った。笑龍さんの奥様からだった。訃報を聞き、一瞬、言葉に詰まった。こんなに早く悲しい知らせを聞くとは思ってもいなかったからである。前日、奥様と電話で話した時、私からの手紙が届いたので、「きょう、病院へ持っていきます」と言っていた。

▼新ネタが覚えられない
 面会がかなわず、笑龍さんが楽しみにしているというので、落語絡みで近況を綴った手紙を数日置きに書いた。今月30日には浅草で恒例の落語会を開くことになっている。この会は笑龍さんを中心とした落語会で、毎回、お友達を大勢お連れいただいている。そのおかげで、私たちは落語をやらせてもらっている。

 「声が出なくて・・・。なかなか新しいネタが覚えられない」と、公衆電話から笑龍さんの声。院内からかけたのだろう。か細い声に、無理をして話しているのが分かったので早々に、こちらから電話を切った。食道がんが再発し、日を追って声が出なくなった。8月22日午後8時ごろ。これが笑龍さんと交わした最後の会話である。

▼落語でつながった同志
 笑龍さんと私は、落語仲間というより、落語でつながった同志である。歳は向こうがはるかに先輩。だが、腰が低く、人なつっこい人柄は、年齢差を感じさせない。いつも笑顔を絶やさず、ニコニコして聞き上手。私のよき相談相手だった。それだけに突然消えた今、心に空洞が出来たようで、気持ちの整理がつかない。

 笑龍さんは、落語を習い始めて2年余りだが、ボランティア歴は50年近いというからすごい。ビジネスマン時代は海外生活が長く、駐在した国は25カ国を超えている。その中にはキューバやブータンなどあまり知られていない国もある。現地の人たちと言葉も通じず、最初は「苦労した」と聞いた。そんな時、子供のころ覚えた手品や腹話術が役に立ったという。

▼玄人裸足の“芸人”
 トランプのマジックや、手のひらに乗せた1枚の板の上で、5個の独楽(こま)を1個づつ自在に回してみせると、子供ばかりか大人たちまでが驚き、手をたたいて喜んだそうだ。笑龍さんは仕事の合間を見つけて、現地でボランティア活動を続け、どこへ行ってもたちまち人気者になった。当時の活躍ぶりは日経新聞や日刊ゲンダイに写真付きで大きく掲載された。

 落語会でも子供さんが来ていると分かると、一席うかがう前に、即座に取り出した白いハンカチでウサギを作り、ニンジン代わりの赤いハンカチを食べさせる。食べ終わったところで、白いハンカチをパッと開くと、ニンジンが消えてなくなっている。これには大人も子供も??? 笑龍さんは玄人裸足の“芸人”である。人を笑わせ、喜ばせるのが大好きだ。

▼全身で落語を聴かせる
 数日前、とうとう酸素吸入器を付ける段になって、「これでもう、落語が出来なくなる。ボランティアにも行けない・・・。もっと落語がやりたい」。そばで看病する奥様にそう告げた。笑龍さんは心から落語が好きだった。入院前に、「落語と出会えてよかった」と奥様に話したそうだ。

 出番まで楽屋の柱によっかかって体を休ませていても、出囃子が鳴って高座に上がると人が変わる。背筋をシャキッと伸ばして、全身で落語を聴かせた。大したものである。下手な玄人などそばにも寄れないほどの迫力。落語に取り組む姿勢は、私たち社会人落語家の鏡である。

▼「ズルイゾ、笑龍さん」
 私は笑龍さんの「片棒」が、どのプロの「片棒」よりも好きだ。表情の豊かさ、身振り手振りの細やかさ、それにやさしい心遣い。どれをとってもかなわない。あの30分近い大ネタを、聴く者を飽きさせないで、最後まで引き付けて笑わせる。何度聴いても楽しい。クスクスと吹き出してしまう。まことに笑龍さんの落語は品がいい。もっと、もっと聴きたかった。どうして聴かせてくれないんだ。ズルイゾ、笑龍さん。