▼急須を火にかける若者
近ごろの高校生は急須が満足に使えない、という話が今朝の新聞に載っていた。驚いたね。水にお茶っ葉を入れた急須を、火にかけようとしたので教師が慌てて止めたそうだ。これだから落語がやりにくくてしょうがない。
「家庭でのペットボトル飲料の普及が影響」と新聞記事。確かに、ペットボトルは手軽で便利だが、たまには新茶のひとつも急須に入れ、湯を注ぎ日本茶の香りと味を楽しんではいかがか。スーパーで出来合いの総菜やレトルト食品を買って来て、「晩飯の支度が出来た」。「お茶が欲しければ、冷蔵庫にボトルが入ってる」なんていう生活を続けていたら、急須の使い方など、子どもが知る由がない。
▼携帯、スマホが占拠
電車に乗っていて、目を背けたくなる光景がある。座席に座った若者ばかりか隣りの、中年の主婦やサラリーマンらしき者まで携帯、スマホを手に脇目も振らず、ひたすら、じっと黙って指を動かしている。ゲームをしているのだろうが、車内を携帯、スマホが占拠している。異様な光景だ。
携帯電話がなかった時代には、車内で新聞や雑誌を読んでいる人をよく見かけた。朝夕のラッシュ時など、どっと人が降りた後の吊り棚には、読み終えた新聞、雑誌が散乱していた。そんな光景も今は昔。単行本や雑誌を読んでいる人などめったに見かけない。書物は、若い小生に知らないことをたくさん教えてくれた。私の学生時代はだれもが単行本の1冊や2冊、常にポケットに忍ばせていた。
▼縮む日本の文化様式
日本食の代表であるにぎり寿司にもアボカドや天麩羅ばかりか、焼き肉まで寿司めしの上に乗せている始末。どこのクニの食い物だ。勘弁してもらいたい。こんな具合だから食文化だけでなく、言語、立ち振る舞いといった様式に至るまで日本の文化、伝統が年々、縮んでいる。
日本から英国に語学留学した若者がいた。彼は英国について事前に仕入れた情報を得意げに披露した。ところが、相手の英国人から「イギリスのことはいいから」と、俳句や茶の湯について質問されると、若者は沈黙したまま、ひとつも応えることが出来なかった、という。このように、日本の伝統や文化を知らない日本人が増えてきた。外もいいが、まず自分の足元を知ることが大切だ。
▼がま口、キセル知らない
先日、ホームで電車を待つ間、落語の稽古をしていた。「雑俳」の中にがま口が登場するので、脇に並んでいた若い女性に「知っているか」と聞いてみた。「がま口??? 分かりません」と彼女。ついでにキセル、へっつい、はばかりについても尋ねたが、すべて知らなかった。「はじめて聞く言葉」と言われ、こちらが戸惑った。
▼せっかくの噺が腐る
熊さん、はっつあんの世界では、頻繁に出て来る言葉だ。それが「分からない」、ときた。無理もない。これらの言葉は日常使われなくなって久しい。がま口は財布に代わり、キセルは・・・一番近いのはパイプかな? へっついはカマドだが、余程でない限り、今は使われなくなった。電気釜やガス釜がとって代わった。はばかりはトイレと名を変えた。
さて困った。「へっついというのは今で言う」などと、いちいち説明していたら、せっかくの噺が腐っちまう。落語というものは小川のせせらぎのように流れが大事。途中の解説で噺が止まったら、だらけてしまう。野暮になってしまう。そんなわけで、あたくしの場合は客層を見て、最初のマクラでそれとなく説明したり、落語の後で解説するようにしている。
近ごろの高校生は急須が満足に使えない、という話が今朝の新聞に載っていた。驚いたね。水にお茶っ葉を入れた急須を、火にかけようとしたので教師が慌てて止めたそうだ。これだから落語がやりにくくてしょうがない。
「家庭でのペットボトル飲料の普及が影響」と新聞記事。確かに、ペットボトルは手軽で便利だが、たまには新茶のひとつも急須に入れ、湯を注ぎ日本茶の香りと味を楽しんではいかがか。スーパーで出来合いの総菜やレトルト食品を買って来て、「晩飯の支度が出来た」。「お茶が欲しければ、冷蔵庫にボトルが入ってる」なんていう生活を続けていたら、急須の使い方など、子どもが知る由がない。
▼携帯、スマホが占拠
電車に乗っていて、目を背けたくなる光景がある。座席に座った若者ばかりか隣りの、中年の主婦やサラリーマンらしき者まで携帯、スマホを手に脇目も振らず、ひたすら、じっと黙って指を動かしている。ゲームをしているのだろうが、車内を携帯、スマホが占拠している。異様な光景だ。
携帯電話がなかった時代には、車内で新聞や雑誌を読んでいる人をよく見かけた。朝夕のラッシュ時など、どっと人が降りた後の吊り棚には、読み終えた新聞、雑誌が散乱していた。そんな光景も今は昔。単行本や雑誌を読んでいる人などめったに見かけない。書物は、若い小生に知らないことをたくさん教えてくれた。私の学生時代はだれもが単行本の1冊や2冊、常にポケットに忍ばせていた。
▼縮む日本の文化様式
日本食の代表であるにぎり寿司にもアボカドや天麩羅ばかりか、焼き肉まで寿司めしの上に乗せている始末。どこのクニの食い物だ。勘弁してもらいたい。こんな具合だから食文化だけでなく、言語、立ち振る舞いといった様式に至るまで日本の文化、伝統が年々、縮んでいる。
日本から英国に語学留学した若者がいた。彼は英国について事前に仕入れた情報を得意げに披露した。ところが、相手の英国人から「イギリスのことはいいから」と、俳句や茶の湯について質問されると、若者は沈黙したまま、ひとつも応えることが出来なかった、という。このように、日本の伝統や文化を知らない日本人が増えてきた。外もいいが、まず自分の足元を知ることが大切だ。
▼がま口、キセル知らない
先日、ホームで電車を待つ間、落語の稽古をしていた。「雑俳」の中にがま口が登場するので、脇に並んでいた若い女性に「知っているか」と聞いてみた。「がま口??? 分かりません」と彼女。ついでにキセル、へっつい、はばかりについても尋ねたが、すべて知らなかった。「はじめて聞く言葉」と言われ、こちらが戸惑った。
▼せっかくの噺が腐る
熊さん、はっつあんの世界では、頻繁に出て来る言葉だ。それが「分からない」、ときた。無理もない。これらの言葉は日常使われなくなって久しい。がま口は財布に代わり、キセルは・・・一番近いのはパイプかな? へっついはカマドだが、余程でない限り、今は使われなくなった。電気釜やガス釜がとって代わった。はばかりはトイレと名を変えた。
さて困った。「へっついというのは今で言う」などと、いちいち説明していたら、せっかくの噺が腐っちまう。落語というものは小川のせせらぎのように流れが大事。途中の解説で噺が止まったら、だらけてしまう。野暮になってしまう。そんなわけで、あたくしの場合は客層を見て、最初のマクラでそれとなく説明したり、落語の後で解説するようにしている。