扇子と手拭い

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せっかくの噺が腐っちまう

2013-01-27 12:46:14 | 日記
▼急須を火にかける若者
 近ごろの高校生は急須が満足に使えない、という話が今朝の新聞に載っていた。驚いたね。水にお茶っ葉を入れた急須を、火にかけようとしたので教師が慌てて止めたそうだ。これだから落語がやりにくくてしょうがない。

 「家庭でのペットボトル飲料の普及が影響」と新聞記事。確かに、ペットボトルは手軽で便利だが、たまには新茶のひとつも急須に入れ、湯を注ぎ日本茶の香りと味を楽しんではいかがか。スーパーで出来合いの総菜やレトルト食品を買って来て、「晩飯の支度が出来た」。「お茶が欲しければ、冷蔵庫にボトルが入ってる」なんていう生活を続けていたら、急須の使い方など、子どもが知る由がない。

▼携帯、スマホが占拠
 電車に乗っていて、目を背けたくなる光景がある。座席に座った若者ばかりか隣りの、中年の主婦やサラリーマンらしき者まで携帯、スマホを手に脇目も振らず、ひたすら、じっと黙って指を動かしている。ゲームをしているのだろうが、車内を携帯、スマホが占拠している。異様な光景だ。


 携帯電話がなかった時代には、車内で新聞や雑誌を読んでいる人をよく見かけた。朝夕のラッシュ時など、どっと人が降りた後の吊り棚には、読み終えた新聞、雑誌が散乱していた。そんな光景も今は昔。単行本や雑誌を読んでいる人などめったに見かけない。書物は、若い小生に知らないことをたくさん教えてくれた。私の学生時代はだれもが単行本の1冊や2冊、常にポケットに忍ばせていた。

▼縮む日本の文化様式
 日本食の代表であるにぎり寿司にもアボカドや天麩羅ばかりか、焼き肉まで寿司めしの上に乗せている始末。どこのクニの食い物だ。勘弁してもらいたい。こんな具合だから食文化だけでなく、言語、立ち振る舞いといった様式に至るまで日本の文化、伝統が年々、縮んでいる。

 日本から英国に語学留学した若者がいた。彼は英国について事前に仕入れた情報を得意げに披露した。ところが、相手の英国人から「イギリスのことはいいから」と、俳句や茶の湯について質問されると、若者は沈黙したまま、ひとつも応えることが出来なかった、という。このように、日本の伝統や文化を知らない日本人が増えてきた。外もいいが、まず自分の足元を知ることが大切だ。

▼がま口、キセル知らない
 先日、ホームで電車を待つ間、落語の稽古をしていた。「雑俳」の中にがま口が登場するので、脇に並んでいた若い女性に「知っているか」と聞いてみた。「がま口??? 分かりません」と彼女。ついでにキセル、へっつい、はばかりについても尋ねたが、すべて知らなかった。「はじめて聞く言葉」と言われ、こちらが戸惑った。

▼せっかくの噺が腐る
 熊さん、はっつあんの世界では、頻繁に出て来る言葉だ。それが「分からない」、ときた。無理もない。これらの言葉は日常使われなくなって久しい。がま口は財布に代わり、キセルは・・・一番近いのはパイプかな? へっついはカマドだが、余程でない限り、今は使われなくなった。電気釜やガス釜がとって代わった。はばかりはトイレと名を変えた。

 さて困った。「へっついというのは今で言う」などと、いちいち説明していたら、せっかくの噺が腐っちまう。落語というものは小川のせせらぎのように流れが大事。途中の解説で噺が止まったら、だらけてしまう。野暮になってしまう。そんなわけで、あたくしの場合は客層を見て、最初のマクラでそれとなく説明したり、落語の後で解説するようにしている。

みんなで「本物」を育てよう

2013-01-24 23:58:03 | 日記
▼落語家は「名人」に弱い
 山の頂に立って見渡すと、高層ビルもタワーもみんな、「思ったほどではない」と感じる。それと同様に、抜きん出た噺家と出くわすと、他の落語家たちが小さく、霞んで見える。多分、無意識のうちに聴き比べているからだろう。(敬称略)

 落語家は「名人」という言葉に弱いようで、名人会と名のつく落語会が多い。ちょっと調べただけでも朝日名人会、JAL名人会に始まって、赤坂名人会、行徳名人会、果ては、いつかは名人会、素人名人会などと言うものまである。

▼辛辣だが同感
 2001年に夭折した古今亭志ん朝が生前、落語「文七元結」のマクラで語っていた。「近ごろ、うまい人はいるが、名人と呼ばれるような人はいないのではないか。これから先も多分、出てこないだろう」。

 志ん朝はその理由として、「昔は周りが芸にやかましい。いっぱい要求がある。お前、そんなので、よく人前で噺が出来るな? なんと言われた。ところが今は仲間も言わなきゃ、お客さまも何も言わない。」

 「何か言ったら、うるさいね、と嫌われる。そうなると、言うのよそうとなってしまう。腕が上がらなくなる。名人どころではない」。辛辣だが、同感だ。

▼ゼニ出して聴くなら志ん朝
 志ん朝ほどの、不世出の噺家であるにもかかわらず、自らを「名人には程遠い」とへりくだる。飛ぶ鳥を落とす人気だった若かりしころの立川談志に、「もし、オレが金払って落語聴くとしたら、志ん朝しかいない」と言わせた男である。

 「文七元結」を初めて聴いた時、「ウー」と唸ったきり、何も言葉が出なかった。志ん朝の噺に全身が縮んだ。1時間半近くもかかる大長講である。登場人物は左官の長兵衛とその妻、娘のお久。吉原の遊郭「佐野槌」の女将、使いの番頭。文七と近江屋の主人、そして番頭。さらに酒屋の店主まで大変な数である。

 それらの登場人物を、志ん朝は巧みに使分けている。まるで目の前で芝居を見ているようだ。耳で聴いていて頭に情景が浮かぶ。落語という芸の底の深さを知った。これがきっかけで、私が立ち上げた社会人落語家集団を「文七迷人会」とした。

▼多い、聴かせる落語家
 落語を習い始めて寄席から独演会、ホール落語まで手当たり次第、「ウマイ」と言われる面々の噺を聴き歩いた。文治、小文治、昇太、さん喬、志の輔、権太楼、桃太郎、小三治、小遊三、一朝、鯉昇、一之輔・・・。

 確かに「聴かせる噺」をする落語家は多い。が、本音で上手いと思うかと聞かれたら、答えに窮する。もちろん玄人だから上手いだろうが、「唸るほどの上手さがあるか」、と正面切って問われると???となる。

▼志ん朝が噺の座標軸
 私の場合は、どうしても常に「志ん朝が座標軸」として出て来るのである。無理なのは重々承知している。落語評論家が、「いまの落語家の中で、志ん朝と比べるような者は1人もいない。そもそも、比べること自体が(志ん朝に)失礼だ」と話していた。

 私の勤め先の先輩で、やたら昔の落語に詳しい方が「今の落語など聴く気になれない」と話していた。最近、時々「なるほど」と思うようになった。金馬にしても、圓生、小さんにしても、一世を風靡した昭和の噺家は落語が上手い。CDを聴きながら、フーンとため息をつくばかりだ。

 そういう意味では、聴く側も「いいね」「すごいね」とヨイショするだけでなく、もっと率直な感想を噺家に届けなくてはいけない。でないと、志ん朝が言うように、本物は育たなくなる。

 当たり障りなく、という風潮は落語界だけでなく、今の社会全体に蔓延しているような気がする。ニッポンが縮んでいくようで情けない。

「頼んだら来てくれるか?」

2013-01-21 19:46:41 | 日記
▼水平線の彼方に朝日
 冬の朝は遅い。それでも7時前には水平線の彼方に朝日が顔を出す。4階の展望風呂に浸かって眺める光景はいつ来ても素晴らしい。眼下の長い砂浜に、太平洋の荒波が打ち寄せる。ほかに何もない。房総の宿、サンライズ九十九里。私のお気に入りの場所である。

 ここで開く落語会は、「菜の花寄席」を含めて今回で7度目。2回目以降は支配人の命名で、九十九里にちなんで「つくも寄席」と改めた。今回も午後4時からの夕席と、午後8時からの夜席の2部公演。

▼予想は見事に的中 
 理由は、午後2時ごろチエックインした宿泊客は、ひと風呂浴びた後、部屋でみかんを食べたり、ビールを飲んだりしながらテレビでも見て、午後6時からの夕食までの時間をつないでいる、と勝手に推測。この「つなぎの時間」に落語を聴いていただこう、となった。

 予想は的中。夕席にはたくさんの宿泊客が足を運んでくれた。あたくしの簡単な開演あいさつに続いて、落語仲間が「真田小僧」で口を空けた。次いで、あたくしが「牛ほめ」、さらに落語仲間が小唄と三味線でご機嫌をうかがった。夕席最後は、あたくしが6億円年末ジャンボ宝くじに絡め「宿屋の富」を披露した。2人で計1時間半を受け持った。

▼以前来た客と対面
 レストランで夕食の席案内の順番待ちをしていると、隣に座った夫婦が「お疲れさまでした」と声をかけた。「落語を聴きに来ていただいた方ですか」と聞くと、「皆さんの落語を聴くのはこれで2度目です」とダンナ。びっくりしていると、おかみさんが「前に来た時も聴かせてもらいました」と笑った。

 「夜席もお待ちしています」と言うと、義理堅く2人揃って顔を出してくれた。夫婦とも落語が大好きだそうだ。アルコールが入るとどうかな?と案じたが、夜席も、夕席に負けないほど多くの新顔の客が来てくれた。

 今度は趣向を変えて、「♪梅は咲いたか」など唄と三味線で、にぎやかに幕を開けた。あたくしは落語仲間の「転宅」を挟んで、「粗忽長屋」と「蛙茶番」の2席を高座にかけた。さすがに1日4席は少々、くたびれる。

▼ホテルの協力に感謝
 今回もホテルの皆さんにはお世話になった。チェックインする客ごとに、フロント係が部屋のキーといっしょに「つくも寄席」のチラシを渡してくれた。こちらがポスター用にと送信したものを縮小して、わざわざカラー・コピーし配ってくれたのである。

 1階ロビーには「落語会の会場はこちら→」との案内ポスターまで作成して、目立つ場所に張ってくれた。高座のセッティングからデジカメの撮影まで、至れり尽くせりで協力してくれた。楽しい落語会が開催できたのは、サンライズ九十九里の皆さんのおかげである。

▼「頼んだら来てくれるか?」
 翌朝、帰るまでの間、廊下で、エレベーターの中で、ロビーで多くの宿泊客から「面白かった」「ご苦労様でした」と労いの言葉を頂戴した。そんな中で、「落語やるので、あなたたちは(宿泊代が)タダかい」と聞いてくる人がいる。とんだ見当違い。ちゃんと宿賃を払うから、信頼関係が続くのだ。第一、そんなケチな了見じゃあ、粋な江戸落語など、恥ずかしくてやれない。

 埼玉・久喜から来たという男性客は「頼んだら来てくれるか?」と言った後、「いくらだ?10万くれえか?」。こっちがたまげて、「私たちは落語でおまんまを食っているわけではないので、カネはかかりません」と返事。「本当けえ」と今度は向こうが驚いた表情。後で落語仲間が「きのうの落語は、そんなに値打ちがあったのかな」と言い、2人して大笑いした。

場内に響き渡る「柝」

2013-01-18 02:55:52 | 日記
▼雛人形を見ている感じ
 数日前に関東地方に降った残り雪を横目に、東京・銀座の新橋演舞場には午前中から大勢の人が詰めかけた。新春恒例の「壽 初春大歌舞伎」を観劇する歌舞伎ファンである。17日の昼の部は大入りだった。

 第1幕は「寿式三番叟」。能楽の「翁」を題材とした初春を寿ぐ踊り。緞帳が上がると、舞台中央に梅玉(三番叟)、魁春(千歳)、進之介(附千歳)、我當(翁)の4人がそろってセリで上がった時は思わず息を飲んだ。絢爛豪華な舞台装置に負けないほどの煌びやかな衣装を身にまとい登場。まるで雛人形を見ているようで、舞台が輝いていた。

▼ようすがいい吉右衛門
 次いで「菅原伝授手習鑑」、「戻橋」と続き、4幕目が「傾城反魂香」。吉右衛門がどもり(吃音)の絵師、又平を演じた。素人目にも吉右衛門は上手いと思う。立ち振る舞いの「ようす」がいい。「傾城反魂香」は夫婦の情愛と絆を描いた近松門左衛門の作だそうだ。

 ところで、歌舞伎の演目は時代物と世話物に大別される。時代物というのは、この日演じられた「菅原伝授手習鑑」をはじめ、「仮名手本忠臣蔵」や「義経千本桜」など、公家や武家の社会を題材にした作品。

▼初心者には世話物
 これに対し、世話物は吉原の廓噺や町奴と言った江戸の市井の町人社会を扱った芝居で、「文七元結」、「極付幡隨長兵衛」「青砥稿花紅彩画(白浪五人男)」などがそれにあたる。

 あたくしは、どっちかというと、世話物の方が性に合っているようだ。歌舞伎初心者としては、時代物はセリフ回しがよく分からない上に、馴染みの少ない演目が多いため、観ているうちに、ついウトウトしてしまう。

▼場内に響き渡る「柝」
 木戸銭も馬鹿にならない。落語会の4、5倍はする。これからは観劇の前に、演目をよく調べることにする。とはいえ歌舞伎は素晴らしい。あの雰囲気がたまらない。舞台下手、客席から見て右側に設けた上段の「黒御簾」の中から、三味線、鼓に合わせて長唄、常磐津、清元が流れる。

 しかも、それらの奏者は人間国宝をはじめとした、その世界では名を知られた面々である。そこに、役者の所作に合わせて見事な「柝(き)」が入る。四角の拍子木で舞台の床を叩く音は歌舞伎独特だ。キレのいい音が場内に響き渡る。いいね。

高い人気の志の輔落語

2013-01-10 00:45:18 | 日記
▼高まる志の輔落語人気
 東京・渋谷のパルコ劇場で開演中の「志の輔らくご in PARCO 」は、いつもながらの大盛況だという。1月5日から約1か月間にわたる前売りチケットは、発売と同時に完売となった。

 約1ヵ月もの間、ロングラン独演会を行える噺家など、志の輔の他には誰もいない。木戸銭は6000円と落語の会としては安くはないが、贔屓筋が買い占めるのか、「チケットぴあ」などでは簡単には買えない。「in PARCO」は今年で8回目だそうだが、志の輔人気は高まるばかり。

▼「夢の競演」をテレビ鑑賞
 そんなわけで、あたくしはテレビで志の輔を聴いた。大晦日にBSジャパン(テレビ東京系)が放送した「今どき落語 特別編」である。「夢の競演」と題した特別編は、立川志の輔をはじめ、春風亭一之輔、春風亭昇太、三遊亭円楽の人気落語家4人がそろって出演した。

 寄席やホール落語では絶対見られない豪華な顔合わせである。なぜなら所属する団体が立川流、落語協会、落語芸術協会、圓楽党と違う上、売れっ子揃いだから、スケジュールの調整はまず、不可能だ。

▼一之輔が開口一番務める
 開口一番は若手ナンバーワンの一之輔が、泥棒噺の「鈴ヶ森」を引っ提げて登壇。見事なマクラで引き付け、上手く噺をまとめた。 次いで昇太が古典落語の「長命」でご機嫌をうかがった。綺麗なカミさんのもとにやって来た婿殿が、なぜか次々に早死にする艶っぽい噺を巧みな技で笑わせた。

 三番手は長年、楽太郎の名で親しまれた円楽が、ご存じ「そば清」をかけたが正直言って、あまり面白くはなかった。確かに円楽は、テレビ番組「笑点」のレギュラーとして知られているが、噺に個性がない気がする。

▼当代一の噺家、志の輔
 トリをとったのは志の輔。演目は創作落語の「買い物ブギ」。噺はドラッグストアでのアルバイト店員と客の会話だが、するどい客の質問攻勢にバイト君はたじたじ。全編、抱腹絶倒の連続。それでいて痛いところをついているので納得、ガッテンしてしまう。

 志の輔が自ら創作したものだが、彼の落語は「みどりの窓口」など、名作との評価が高い創作落語が少なくない。志の輔は人気、実力を兼ね備えた当代一の噺家であることを、この日の高座でも証明してみせた。