扇子と手拭い

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ファンあっての噺家(落語2―53)

2011-07-30 21:15:02 | 日記
▼閉じた入り戸に張り紙
 柳家小三治・入船亭扇橋二人会があるというので東京・池袋まで出張った。私としては珍しく早く、開演1時間前に着いた。ところが、会場の入り口には張り紙が1枚。「整理券が定員に達したため、あしからず」だと。入り戸は閉じたまま。何だいこりゃあ?券を配るなんて―話は、事前にひと言もなかった。

 ウチからバス、地下鉄、JRを乗り継いで2時間近くかけて行って、この有様だ。朝からがっかりである。私は落語芸術協会(桂歌丸会長)の師匠連に習ったため、どちらかというと、落語協会(柳家小三治会長)より芸協の噺家の落語を聴く機会が多い。

▼人気に胡坐ではダメ
 小三治の噺は、CDで聴いたことはあるがナマはない。「小三治は上手い」という声をよく聞く。いい機会だと思って、早起きしてやって来たのだが、早々に締め出しを食った。整理券を配るのだったら事前のお知らせで、一言触れて欲しかった。会場に行ったら「ハイ、おしまい」では情けない。

 この日の落語を楽しみに次々やって来た落語ファンは、「もうダメなの?」「どうして?」と不満を口にしていた。会場の入り口の前では、落語協会の若手が「入れません」と機会的に客に応答。人気に胡坐をかいて、ファンをないがしろにしてはいけませんぞ。

▼落語仲間の演劇応援
 私は、小三治はそれほど上手いとは思わない。本題に入る前のマクラがやたら長い。ネタと何の関係もない話をだらだら続けられると、ソバがのびたようで間延びする。加えてあの無愛想な語り口。小三治の追っかけは、「あれがいい」という。私にはわからない。だから、ナマで聴きたかった。確かめてみたかった。

 近くの喫茶店でコーヒーを飲み、気分を切り替えて、池袋から下北沢へ移った。演劇をやっている落語仲間が、舞台に出るというので公演を観に行った。劇中劇で落語を一席うかがっていた。なかなか堂に入っており、14、5人いた出演者の中で、演技も彼女が一番光っていた。

▼高座にぴったりのサイズ
 われわれ文七迷人会のメンバーは、日替わりで劇場に駆けつけ彼女を応援。私なんぞは落語を覚えるだけで精一杯なのに、仕事をしながら芝居の稽古や、落語を見事にこなしている。若さの後押しがあったとしても立派なものである。

 下北沢といえば若者の街。初めて下車した駅だが、なるほど、どこを歩いても若者でいっぱい。細い路地裏には古着屋が軒を連ね、本多劇場をはじめ演劇小屋がいくつもある。

 午後2時の開演までチョイト、時間があったので店を冷かしていた。小さなブティックで、色鮮やかな赤い布を見つけた。全部広げて見せてくれ、とレジの女の子に頼んだ。思っていた通り、落語の高座にぴったりのサイズである。これを広げて、その上に座布団・・・。「買った」。お古ではなく、新品である。

舞い上がった落語会(落語2―52)

2011-07-24 19:43:47 | 日記
▼手薄だった「お知らせ」
 念願の旧吉田家初の落語会を24日、開いた。国の重要文化財に指定された建造物で公演出来るというので少々、舞い上がった。「何をやろうか」「時間はどのくらいがいいか」などと、自分たち出演者のことばかり考えていた。おかげで聴き手に対する「お知らせ」が手薄だった、と反省している。

 23(土)、24(日)の両日は、延べ60万人を超える人出で賑わう柏市最大のイベント「柏まつり」。各種パレード、踊り、山車のほか、今回はねぶたも登場するという。テレビの人気番組「水戸黄門」のうっかり八兵衛じゃあないが、そのことに全く気付かなかった。

▼めっきり少ない人の出入り
 遠方から来る落語仲間をJR柏駅まで車で迎えに行く予定だった。今朝のラジオで柏駅周辺は、まつりのパレードなどで交通規制が敷かれ、近寄れないことを知った。臨時バス停も離れた場所に出来たそうだ。あわてて関係者に、詫びとともに経緯を説明、ひと駅先まで来て下車するよう頼んだ。

 正午前に、この日の会場の旧吉田家に着いたが、すでに何人か客が待っていた。急ぎ高座を設営、着物に着替えて文七迷人会の名入りの法被をまとい、長屋門で客を迎えた。だが,人の出入りがめっきり少ない。開演の時間が刻々と迫ってくる。

▼急きょ大襖を取り払う
 そばのボランティアガイドさんが言った。「日にちの設定がよくないよ。今日はみんな、まつりの方に行ってるよ」。落語会を設定した際に、そのあたりを見落としていた。被災者の皆さんへの「お知らせ」も2日前では遅すぎた。仕方がない。すべて自分たちのせいである。客が10数人でも文句は言えない。

 開演10分前になって、客の出足が急によくなりはじめた。「きのう、問い合わせの電話をした者です」に、「有難うございます。どうぞこちらへ」と案内。書院に入りきれず、急きょ次の間との境の大襖を取り払った。また客が来る。「よかった」。出演者一同に笑顔が戻った。

▼1台しかない扇風機
 手入れの行き届いた広い庭園が見渡せるように、外側の戸障子は全部外してあるが、人の熱気で「暑い」と観客。ガイドさんに掛け合って、扇風機を貸してもらったが、1台しかないという。ないよりはまし、と後方に置き「強」にして回転させた。

 客の反応はすこぶる良く、子供たちは笑い転げている。どの噺でも爆笑が起きた。こういういい客だと、われわれもリキが入る。出演者3人で5席、2時間近くタップリしゃべった。次回は庭のモミジが色づくころやりたいと考えている。

▼いろいろあった反省点
 反省点も多かった。市で一番の「柏まつり」の日程を事前に把握していなかった点は最大の誤算。知っていれば日程をずらすことが出来たからだ。次に、もっと早くから時間をかけて落語会の案内をするべきだった。直前では「お知らせ」が十分、行き渡らない。

 客から「今日のプログラムは」と聞かれた。チラシは刷って、来た人に配るべきだった。落語好きは来た“記念”に持ち帰るそうだ。さらに人目に付く「本日午後1時から落語会開催」などの垂れ幕か、大看板を入り口付近に掲げておきたい。この点も反省点。次回の落語会では生かしたい。

打てば響くこの対応(落語2―51)

2011-07-22 22:44:01 | 日記
▼当代の当主は43代目
 これまで何度か落語会を開催した近くの病院から「めくり」台と、赤い敷物を借りた。24日に千葉県柏市の旧吉田家で開く落語会の準備である。出囃子に使うラジカセは当日、手伝いに来てくれる友が持参する。私たちの落語会は、こうした周りの支えがあって開催できる。

 旧吉田家は約180年前の天保年間から続く千葉県内屈指の豪農。江戸末期には醤油の醸造に手を染め、その後、乗合自動車や鉄道開発など広範な事業活動を展開。戦後は農地解放で広大な所有地のほとんどを手放したが、最盛期には、現在のJR柏駅から自宅まで他人の土地を通らずに往来できたというから並みの名主ではなかったようだ。

 当代の当主は43代目。25㍍にもおよぶ長大な長屋門から屋敷内に入ると、茅葺き屋根の重厚な作りの主屋が姿を現す。格調高い書院、コケに覆われた風情ある庭園や雑木林、竹林などが続き、町の中とは思えない安らぎをおぼえる。

▼ここで一席がやれたら
 広大な芝生広場を含む2.2㌶の敷地は、8棟の歴史的建造物とともに平成16年、柏市に無償で寄贈。現在は「旧吉田家住宅歴史公園」として一般に公開されている。昨年12月には国の重要文化財に指定された。TBSの人気ドラマ「JIN―仁」の舞台として使われたほか、6月には羽生善治棋聖らによる棋聖戦第1局が行われた。

 昨秋、初めて見学した際、書院から眺める見事な庭に魅了された。「庭のサクラが蕾を膨らませるころ、ここで一席やれたら最高」と密かに願っていた。早々に市側に掛け合ったところ、申請書だ、何だと書類の提出を求められ、書式に合わないとして、書き直しの指示を受けた。

▼被災者の皆さんを招待
 江戸落語、伝統文化の普及ということで、何とか3カ月目に「合格」。今年5月4日に落語会を開催する予定だったが、突然襲った3・11ショックで話す気力が萎え、中止に追い込まれた。そんなわけで約2ヵ月半遅れの落語会となった。

 今朝になってふと、原発震災の被災者の皆さんが市の住宅や社宅に避難していることを思い出した。「この方たちを招待しよう」。市役所と連絡を取った。こちらから市の担当者に送信した紫陽花寄席のチラシをさっそく、午後から関係住居に配布してくれるという。打てば響くこの対応。うれしいね。


▼人の心を和ます笑い
 ついでに、ひと言書き添えた。
被災者の皆さん、落語会を開催します。「笑い」は免疫力を高めるだけでなく、元気が出ます。しかめっ面して笑っている人を見たことがありません。笑顔は人の心を和ませます。気分が朗らかになります。みなさん、思いっきり、笑ってください。待ってま-ーす。      文七迷人会一同
    

台風を目の前に落語会(落語2―50)

2011-07-21 00:05:14 | 日記
▼老舗鰻屋で一席
 映画「フーテンの寅」で知られる東京・柴又の老舗鰻屋で20日、一席うかがった。台風6号の接近でキャンセルが相次ぎ、客の入りはメロメロ状態。それでも雨、風に臆することなく訪れた客はしっかり聴いて、笑ってくれた。演じる側も、まずはひと安心の落語会だった。

 老舗は創業が安永年間、約250年前というから大変なものである。柴又と言えば、渥美清演じるフーテンの寅さんの故郷。監督の山田洋次もここで鰻を食ったそうだ。古くは高松宮、市川猿之助なども訪れたという。そんな老舗で、どうして落語をやる羽目になったかと言うと、話は今年の正月にさかのぼる。

▼招待客はご婦人ばかり
 松の内の1月3日から5日まで、銀座の呉服屋で無料落語会を開いた。その縁で、「鰻屋にお得意様を招くので、また落語をお願いしたい」と出前寄席の注文がきた。招待客はご婦人ばかり20人だという。柴又は一度も伺ったことがなかったので注文を受けた。

 松戸から舟による矢切の渡しで柴又まで行きたかったが、生憎の台風で無理。仕方なく金町から京成電車に乗り込んだと思ったら、すぐ柴又に着いた。毎度のように寅さんが振られて、マドンナを見送るあの駅のホームである。ひょっとすると、妹役のさくら(倍賞千恵子)が柱の陰から顔を覗かせるかも、と目を凝らせたが、現れなかった。

▼必死で雰囲気盛り上げ
 主催者の話では、当初の20人が台風接近で前夜に5、6人がキャンセル。さらに今朝になって2人、3人と続き、最終的に会場に姿を見せたのは7人。ガックリきたが、帰るわけにもいかない。気を取り直して会場に向かった。さすが老舗だ。高座の後ろには立派な金屏風がしつらえてある。天井板も1枚1枚異なった細かな文様が見事に描かれていた。

 台風が近づいている中を駆けつけていただいたみなさんが7人。ラッキーセブンだと私が言えば、落語仲間が「みなさんの顔が七福神に見えますよ」とそろってヨイショ。必死で会場の雰囲気を盛り上げた。それまで緊張気味の7人にやっと笑顔が蘇った。落語の後は、店自慢の鰻を食べながら落語談義に時を忘れた。うな重は美味かった。鰻が口の中でフワッととろけた。飯もいい。たれも文句なし。一時ながら幸せな気分に浸った。

▼また訪ねたい柴又
 この日は石畳の参道に並ぶ商店も台風のあおりを受け大半が店を閉めていた。落ち着いた雰囲気のあるいい参道だ。改めてゆっくり、訪れてみたい。帰りによもぎ団子をひと箱買った。