扇子と手拭い

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抜け落ちたサービス精神2(落語2―64)

2011-10-22 20:12:47 | 日記
▼立川志の輔という噺家
 先日、念願だった立川志の輔の落語を初めてナマで聴いた。場所は東京・駿河台の明治大学アカデミーホール。会場は1200人を超える観客でギッシリ。志の輔は満員の客席に向かって自然に語りかける。気負いも、力みもない。ごく普通に話しているのだが、聴いているうちに、いつの間にか噺に引き込まれていく。磨きこんだ芸の波紋が客席に広がった。噂通りの噺家だ。彼はNHKの「ためしてガッテン」の司会をやっているから人気があるのではないことがよく分かる。

 志の輔は古典から新作まで幅広く落語をこなす。その上、自ら創作落語を書き上げ、演じてみせるが、どれも専門家の評価が高い。志の輔落語を聴いた後の充実感は得難いものだった。東京・渋谷PARCO劇場で毎年1月、「志の輔らくご in パルコ」を約1カ月にわたって開催しているが、チケットは発売と同時に売り切れとなる。

▼定席寄席と独演会
 立川談志一門だから、末広亭など都内の定席からは締め出されている。だから高座は毎回が真剣勝負。手など抜けば次の出演はかなわない。その真剣さに落語ファンは引き付けられるのである。私の知り合いは、都内ではチケットが取れないので、わざわざ新幹線に乗って富山まで志の輔落語を聴きに行った、という。

 私もじっくり落語を聴きたいので、近ごろはお目当ての噺家が出演するホール落語や独演会に行くことが多い。このままでは、定席の寄席はますます廃れ、落語ファンは独演会に流れていくことだろう。この二極化の流れを食い止めるためには定席は、原点に立ち返ることだ。いつまでもふんぞり返っていては、そのうち都内から定席が消えよう。「お客様に来ていただくためには何をなすべきか」、を考え直すべきだ。

▼必要な穴をふさぐ努力
 早急に改善すべきは、恒常的な「落語家の休演」対策。もとより噺家は個人営業だから、いい仕事が来たらそれを優先するのはよく分かる。しかし、のべつにこれをやられたら、お目当ての落語家の噺を楽しみにやって来る客はたまらない。

 定席の席亭は、落語家のスケジュールを事前に聞き取り、可能な限り穴をあけないような出番表を作るべきではないか。頻繁に休演を繰り返す落語家には何らかのペナルティーを検討することも必要だ。自分たちの都合だけで勝手に“選手交代”を繰り返すようなことは、いい加減に改めなければならない。時代錯誤も甚だしい。

 繰り返す。客は、あの噺家の落語が聴きたいから、時間をかけて、遠くからでもバスと電車を乗り継ぎ、やって来て、木戸銭を払うのである。いつまでも客を無視した、「サービス精神 ゼロ」を続けていると、客は本当に定席から逃げてしまうだろう。落語ファンとしてはそうならないことを願っている。

抜け落ちたサービス精神1(落語2―63)

2011-10-22 19:34:26 | 日記
▼無気力相撲に似た空気
 大相撲が不人気な一因は「8勝7敗」に代表される無気力相撲だが、久しぶりにのぞいた寄席で、似た空気を感じた。相変わらず落語家の休演が目立ち、高座の手抜きが気にかかる。これでは定席から客が離れるのも致し方ない。落語を聴きたければ、独演会に足を運ぶしかないらしい。

 10月20日。午後2時過ぎに新宿・末広亭の木戸をくぐった。落語の学校、花伝舎の鑑賞日だというのに、この時間に来ている受講生はわずか3人。収容人員約300の客席は、半分近くが空席。木戸口でもらった出番表になじみの噺家の名があるので楽しみにしていたところ、別の落語家が登場し、ガッカリ。

▼意味のない出番表
 休演らしい。いい仕事が飛び込んで来たら、そっちに行くわけだ。当然ギャラも寄席より高いケースがほとんど。その後も、プログラムに名前が載っていない別人が次々に登場。この出番表は一体、何なんだ、と思いたくなるほど休演が目立つ。「この表、もらわない方がよかった」と隣席の声。

 急きょ、差し替えで高座に上がった落語家の1人は、判で押したように毎回同じ演目をかけた。この人物の演じる「真田小僧」は、末広や浅草の寄席に行く度に聴かされた。しかも、マクラまですべて同じ。湯豆腐を追加注文すると高くつくので、代わりに安い冷奴を頼んで鍋に放り込むというマクラだ。寄席に行くたびに6、7回続けて寸プンたがわぬネタを聴かされると、「他にネタはないのか」、と言いたくなる。聴き飽きた。

▼「笑点」ばかり気にする男
 地方公演など別の場所で、得意ネタとしてやるなら一向に構わない。が、浅草や新宿の定席は落語好きがやって来る場所。言わば落語の常連客である。そんな客に毎度毎度、同じ噺を聴かせたら申し訳ないと思わないのか。彼には「噺を磨く」という心意気が微塵も感じられない。「8勝7敗」の無気力相撲を見ている感じで、降格がない真打の座に満足し、安住しているのではと思ってしまう。プロの噺家なら、少しは別の引き出しも見せてもらいたい。こんな話も出来る、ってところを披露してもらいたい。

 もう一つ気になったことがある。複数の落語家がこの日の高座で「笑点」を話題に取り上げた。共通しているのは「あれに出ている噺家は数人で、あとの500人近い落語家はほとんど、テレビに出てない」「笑点の出演者は死ぬまで出る。だから、交代は死なない限りありえない」。

▼その前にやるべきことが
 確かに、「笑点」に出ると顔を覚えられ、知名度も上がる。番組の出演者は、他でやるとギャラも100万円以上と聞く。だから、みんな出たがるのはよく分かる。運のいい者は「笑点」の座布団に座り、そうでない者は、リモコン片手に茶の間でそれを眺めている。

 しかし、「出たい、出たい」という前にやるべきことがあるんじゃないか。テレビなんぞに出なくても、日ごろから噺を磨いている落語家は、客が集まってくる。人気が付いてくる。人気、実力ともに兼ね備えた平治師匠がよく言った。「寄席は上手い人もいれば、そうでない人もいる。いろいろいるから(寄席は)面白い」。その通りだ。

▼値段が下がる、値打ちが下がる
 「テレビ、テレビ」と騒ぐのは、そうでない人に多い気がする。テレビに出るためには目立たねばと、受け狙いでダジャレを満載するが、そんなことで客がついて来ると思ったら大変なお門違い。金儲けだけが目的のような連中の噺など聴くに値しない。人間、卑しさが見えたらもうおしまい。値段が下がる、値打ちが下がる。ゼニより先に、芸が来なくちゃあいけないのではないか。客は本物のプロの落語を聴きたいのだ。
         (抜け落ちたサービス精神2に続く)

長丁場に初挑戦(落語2―62)

2011-10-18 22:32:57 | 日記
▼ひと山超え安堵
 社会人落語家集団「文七迷人会」が、初の試みとして挑戦した長丁場の落語会「あけぼの寄席」はなんとか無事に、お開きを迎えることが出来た。メンバーにとっては貴重な経験だった。と同時に課題もいくつか見つかった。ともあれ、今はひと山超えた感じである。

 10月も半ばだというのに、この日(16日)は30度と真夏の気温。エアコンは入っているが、高座で演じていると汗が滴り落ちる。全身で落語を演じるのでどうしても体がほてる。開口一番を志願したぼて助は、「目黒のさんま」を終えると、舞台稽古のために新宿に取って返した。二番手は手話落語のローリーが「ちりとてちん」を一席。

▼早くて踊れない
 次に得意の安来節を披露しようと釣五郎が、紺絣の衣装に着替えて出を待っていたが、一向に音が出ない。手伝ってくれた人が録音テープを入れ違ったり、早送りしたため、大慌て。「そんなに早くては踊れないよ」と釣五郎。客席をシラケさせてはいけないので、あたしが場をつないだ。そのうちに軽快なお囃子が鳴り、笑顔の釣五郎が竹のザルを手に登場、事なきを得た。

 今度は三遊亭大金持が「松山鏡」で登壇。三遊亭と言ってもプロの噺家ではない。高座に上がるのは、この日が生まれて初めて。その間に着替えを終えた釣五郎が「香典返し」を高座にかけた。上席の最後は、あたしが「宿屋の富」でご機嫌を伺った。

▼光で顔が見えない
 仲入りの間に、外からガラス窓の上部に囲いをしてもらった。客から「話している人の後ろから光が入って顔がよく見えない」とクレームが付き急きょ、主催者に策を講じてもらった。

 午後1時からの下席でも、どじょうすくいを予定していたが、釣五郎の都合が付かず3日前にキャンセルとなった。代わりに応援出演を願ったのが美分亭せん公。期待にたがわず見事な「干物箱」を披露してくれた。前後するが下席の一番手は、あたしが「手紙無筆」でつないだ後が「干物箱」。

▼欠かせないリハーサル
 予定していた釣五郎の「試し酒」がボツとなり、「百川」が繰り上がった。今度はトリを取る予定だったローリーが、オハコにしている「初天神」を手話付きで公演。最後は仕事を終えて到着したにょろ2が「粗忽の釘」を話した。午前10時30分開演の「あけぼの寄席」が終演したのは午後3時10分過ぎだった。

 客の入りは午前の上席が52、3人で、午後の下席が40人ほどだった。予定していた100人には届かなかったが、まずまずの入り。反省点はCDカセットデッキなど機器の点検、リハーサル。それと会場の設営。今回は主催者がすべて引き受けてくれたが、高所からの採光までは気付かなかった。人任せでなく自分の目で見て、細部までの配慮が必要だ。

▼芸協まつりと重なった
 この日は落語芸術協会(桂歌丸会長)が主催する「第5回芸協らくごまつり」と重なった。落語の学校で稽古をつけてもらった桂小文治師匠が実行委員長だから、西新宿の会場に駆けつけたかった。ところが、「らくごまつり」の日程を知った時は、すでに「あけぼの寄席」が決まった後だった。残念至極。

至れり尽くせり(落語2―61)

2011-10-11 23:14:42 | 日記
▼歌舞伎模様の縁取り
 あけぼの寄席が近づいた。あけぼの山公園の秋まつりには毎年、1日で2万人を超す来場者があるという。私たちの落語会への主催者側の力の入れようは大変なもので、感謝以外に言葉がない。主催者の期待に恥じない高座を務めたいと、出演者一同、身を引き締めている。

 前日、借用しためくり台の返却で公園事務所を訪ねた。担当の山口さんが「こんなの作ってもらった」と1枚の紙を見せた。なんと、あけぼの寄席の出演表である。黒、赤、緑の縦縞を並べた歌舞伎模様の縁取りが施されている。その中に上席と下席に分かれて演目と演者の名前が寄席文字で書いてあった。

▼特別誂えのめくり台
 「落語を聴きに来たお客さんに配ろうと思って」と山口さん。さらに続けた。「うちの職員に落語好きがいて、手伝ってもらうが、演目の噺を調べて勉強しているらしい」。恐れ入谷の鬼子母神。申し訳ないやら、恥ずかしいやら・・・。「百川」の河岸の若い衆ではないが、「穴があったらへえり(入り)てえ」心持ちだ。、

 言い忘れたが、めくり台は特別誂えの本寸法。高さ、横幅も、われわれのめくりの大きさに合わせ作ってある。高座名を書いた紙を傷付けないようにと、挟み込み式。カラーのまつりのポスターには、一番目立つ中央部に「あけぼの寄席 午前10時30分開演」と告示。至れり尽くせりとはこのことだ。

▼時間制限なしの貸切り
 この日は若者のバンド演奏や、愛好会による祭囃子、子供のダンスなど多彩だが、各グループの持ち時間は30分。野外の特設ステージで競演を繰り広げる。私たち文七迷人会も昨年、野外ステージで落語をやった。が、季節外れの寒さと折からの大雨で散々な目にあった。

 そこで、「この次は屋内でやりたい」と要望、今回の公演となった。文七迷人会は、あさ10時半から夕方の3時まで、事実上、時間制限なしの貸切りである。有難いことだ。

 主催者によると、この日はJR柏駅から公園に通じる道路は、渋滞が予想される。このため、柏駅のひとつ先の「JR我孫子駅で下車し、バス利用を」と、出演者にメールを打った。

 会場の準備はすべてそろった。あとはこちらの腕次第。主催者の好意を無にしない高座を務めるだけである。

さらうことの大事さ(落語2―60)

2011-10-10 22:42:51 | 日記
▼廊下に人があふれる
 国の重要文化財として、歴史的建造物に指定されている旧吉田家で2度目の落語会を開いた。好天に恵まれ、会場の書院はほぼ埋まり、廊下にまで人があふれる始末。会場には昭和の名人とうたわれた柳家小さんに、剣道の稽古をつけてもらったという旦那もいた。

 駅に出演者を迎えに行き、その足でめくり台を取りに行ったが、話に夢中になって通り過ぎた。同乗者の「ずいぶん遠いんですね」の声で気づきUターン。もう、外で食事を取る時間がない。通りすがりのコンビニで弁当を買った。

▼支えてくれる人たち
 開場時間ギリギリに旧吉田家に着いた。と思ったら、肝心のCD出囃子が見当たらない。慌てて自宅に取りに戻った。開演まであと30分。長丁場なので腹ごしらえにかかったが、時間が気になって食べた気がしない。出囃子に迎えられて、客が次々やって来る。

 最前列に、あたしのご贔屓様のご夫妻が座っていた。毎回来て下さる有難い客である。「来たよ」と後方から声をかけてくれたのは以前、自治会で役員をやった仲間だ。CD担当は前回同様、学生時代の友人。みんなして、落語会を支えてくれている。

▼噺は必ずさらえ
 今回の出演は全部で4人。ローリーさんとあたしが2席ずつ。にょろ2さんとぼて助さんがそれぞれ1席、高座にかけた。「牛ほめ」は何度も演じているので多分、大丈夫だろうと、高をくくっていたら昨夜、稽古の途中で突然止まった。「この次は何だったかな」と思った途端にもうダメ。大体覚えている、は通じない。改めて小南冶師匠の音源を聴き直し、最初から「牛ほめ」をさらって演じた。

 落語の学校で、どなたか忘れたが師匠から「噺を高座にかける前に、必ずさらわないといけない」と言われたが、その通りだ。昨夜の“予習”のおかげで、この日は、すらすら噺が運んだ。客の反応もすこぶる良かった。ローリーさんが、「牛ほめ」から会場の空気がガラッと変わった、柔らかくなった、と言ってくれた。


▼次回はサクラ花咲く春
 「百川」は、浅草での落語会に続いて、高座で話すのは2度目だが、さらった効果が出て、落ち着いて一席うかがうことが出来た。30分を超す大ネタだが2度の体験で、何とかやれそうな気がしてきた。

 それにしても書院から眺める庭は、手入れが行き届いていて見事な限りだ。半日眺めていても飽きないだろう。だが、冬は寒くて、ここでの落語は無理だ。次回の落語会は、サクラ花咲く春になろう。それまでに、春らしい新ネタを仕込んでおくことにする。