扇子と手拭い

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いぶし銀の噺家「桂小文治」

2016-01-29 20:29:28 | 落語
▼誘った2人も大喜び
 「小文治 十八番 創りの会」を聴いた。実によかった。小文治師匠は上手い。実に巧みだ。まじめな性格が落語に表れている。話が丁寧なうえに、今でも日本舞踊を習っているので女性の表現が細やかだ。いぶし銀の噺家「桂小文治」―。もっと、もっと売れていい噺家だ。


 今回はいつも私たちの無料落語会で世話になっている2人を誘った。1人は落語が好きなカフェラウンジの責任者。後の1人は落語を知ったのは私たちの落語だと言う若者で、ポスター作りを手伝ってもらっている。

 節目の50回記念の独演会はゲストのナイツのほか、午後6時30分の開演と同時に、前座、昇市が「桃太郎」を、二つ目の昇々が泥棒噺の「鈴ヶ森」を高座にかけた。

 そのあと師匠が「かつぎや」を一席披露した。かつぎやと言っても荷物を担ぐのではない。縁起担ぎのめでたい噺である。ここで一息入れる「中入り」。

 後半は漫才人気ナンバーワンのナイツが登場。時事ネタを巧みに盛り込んで笑いを取った。そして最後は師匠の「御神酒徳利」で締めた。この噺は、かつて三遊亭圓生が昭和天皇の前で披露したという落語である。

 小文治師匠は初春らしい噺をとめでたい「御神酒徳利」を高座にかけたと話していた。この噺、寄席では前半だけの10分―15分程度で終いだが、この夜は最後までたどり着いた。1時間近くの長講だ。

 2人に感想を聞いた。「面白くてクセになりそう。これからは落語を聴きに行きます」と若者。ラウンジの責任者は「鈴ヶ森」について「最初のマクラでドカーンと観客の心をつかんだ。とちゅう、携帯が鳴ったが、それを噺に巧みに織り込んで、笑いを取っていたところがすごいと思った」。

 「御神酒徳利」は「素晴らしいの一語に尽きる。一人一人の登場人物の雰囲気を作りながら、巧みに物語を進めた。噺に引き込まれた」と満足気だった。

桂小文治の「御神酒徳利」。これぞ落語、と言うものを聴いた感じがした。

検尿検査と紙コップ

2016-01-28 12:39:10 | 落語
 糖尿病を患っている旦那が定期検診のため病院に行った。いつものように血液を採られる。若い看護師さんに言った。「夏から心を入れ替えて、毎日1時間、散歩している。酒も控えている。だのにどうして数値が下がらないのかな?」。

 可愛い看護師さんが「間食は?」と聞くと、「家でパソコンをいじっていると退屈なのでガムを噛んでいる。ほかにはキャラメルを食べる程度」と旦那が応えた。

 「甘みがなくなっても噛み続けているならいいですが、始終新しいのをかんでいてはダメです。キャラメルは1日に1、2個程度に」と彼女はアドバイスのあと、「ハイ、次は検尿です」と目盛りの入った紙コップを渡した。

 旦那はコップ片手にトイレに直行。棚にコップを置き、さっそく用足しをしながら、「ガムと飴を止めたらきっと、数値は下がるだろうな」などひとり合点。ヒョイと、棚のコップを見て気が付いた時には放尿を終えていた。検尿は“お流れ”になった後だった。

 この話を聞いたナースセンターは大笑い。これこそ春のチン事。

談四楼はエライ いいね!談四楼!

2016-01-20 13:22:45 | 落語
▼噺家はそれぞれが個人商店
 噺家はそれぞれが腕で稼ぐ「個人商店」だ。たとえ同門と言えども、めったにほかの噺家を褒めないものだ。ましてや相手は後輩である。そこへいくてーと、談四楼はエライ。いいものは「いい」と、ちゃんと認めている。それどころか自分のことのように喜んでいる。器が大きい。いいね!談四楼!

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 志の輔紫綬褒章の報が飛び込む。立川流初の快挙だ。無冠の帝王であった談志にいい報告ができるだろう。しかしこれは人間国宝への序章に過ぎない。立川流は法人ではないから人間国宝は絶対出ないと言い切る世間を見返すチャンスなのだ。抱負は地球が呆れて笑う試行錯誤とのことだが、次は旭日小綬章だ。

 ある時どうしても飲みたくなり、カネがないので小銭を掻き集め、居酒屋へ赴いた。懐事情というやつだ。忸怩たる思いを抱えつつレジに細かくてゴメンよと言うと、その若い女の子は、どういたしまして助かりますと応じた。助かります。その一言がどれだけ私に響いたことか。たちまち私は常連となった。

たった1人の客を前に

2016-01-18 22:54:11 | 落語
 一夜明けた関東地方はどこも真っ白。歩行者は転倒するわ、電車は止まるわ、で終日大混乱。雪にからきし弱い東京をさらけ出した。そんな雪の日の午後、都内の画廊で落語会を開いた。訪れた客は1人。

 前日の天気予報で「明日は雪が積もる」と繰り返していたので主催者の落語仲間に問い合わせた。予定通りやりたいという。中学時代の恩師が聴きに来てくれるそうだ。

 明け方目が覚めたので、窓のカーテンを開けて外を見た。どこも一面雪景色。これでは客の入りは見込めない。あたしが客でも行かないだろう。

 案の定、「予定していた人がみんな断りの連絡を入れてきた」と落語仲間。恩師からも欠席の通知があったという。それが正解。無理をして転んだりして、ケガでもすれば一大事。

今 回は二人会とあって二席ずつ。関係者はあたしたち2人と席亭の3人で、客は1人もいない。いなくても開演時間が来れば高座に上がり、落語を披露するのが噺家だ。

 開口一番はあたしが務めた。「時そば」の後半に入りかかったところで、中年男性が画廊にやって来た。てっきり店の客だと思い、噺を中断した。「遅くなって相済みません」との言葉で落語の客と分かった。

 続きをやろうとしたが、うまく噺の歯車がかみ合わない。落語はリズム。流れが大事だ。一度、リズムが崩れると修復は難しい。何とか辻褄を合わせようと思えば思うほど、狂いが大きくなる。

 集中力が途切れたのである。落語を話している時は、演者は噺に神経を集中。登場人物になりきっている。そのピーンと張ったタコ糸が、中断でプッツンと切れた。気力が萎えたら噺はできない。だから落語は「100点と零点しかない」というのである。

 客席、と言っても客は一人だが、その客席を再び温めてくれたのが相方の「堪忍袋」である。中入りにお茶と菓子をつまみながら、4人でしばし談笑。後半は相方が「金明竹」を披露。あたしが「明烏」を高座にかけた。

 これまでに、いろんな場所で落語を披露した。350人を前に一席うかがったこともある。が、客が1人と言うのは今回が初めてだ。本職の落語家は「プロはたとえ客が1人でも手は抜かない」と言うことを聞いたことがある。その言葉を思い浮かべながら、高座を務めた。いい経験をさせてもらった。

出の姿は小さんにそっくり

2016-01-18 11:37:53 | 落語
談四楼のつぶやき今回はこれ。
 権太楼の出の姿勢は先代小さんにそっくりだ。前座の頃に師匠つばめを失い、小さんに引き取られるも直弟子からは外様扱い。どれだけ悔しかったことか。

 それ故に小さんの芸を権太楼が強く意識したと見るのは穿ち過ぎだろうか。握り拳で頭を下げる。その位置が少し違うだけで、小さん譲りの笠碁に入った。