扇子と手拭い

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ついつい誘惑に負けて

2013-03-23 22:58:37 | 日記
▼敷居が高かった邦楽
 「春の海 ひねもす のたりのたりかな」ー。昼食を終えたばかりの私はこんな調子で、いつしか舟をこぎ始めた。23日、東京・千代田区の国立小劇場で催された「第43回 邦楽演奏会」。門外漢の身には、少しばかり敷居が高かった。

 国立劇場の正面玄関前は、今を盛りに桜が咲き誇る。小劇場というので、せいぜい100-200席の会場かと思ったら600席の立派なホールだった。しかも満席。邦楽愛好者の多さに驚いた。着飾った着物姿が多く、客層は落語より歌舞伎に近い。

▼睡魔の誘惑に負けた
 落語会に来てくれる三味線のお師匠さんが出る、というので頼まれてチケットを買った。この日、出演した浄瑠璃の竹本駒之助や鶴賀若狭掾、三味線の新内仲三郎という方たちは、みな人間国宝だという。大阪からは、人形浄瑠璃の出演者ら総勢100人が楽屋入り。

 お師匠さんは「色増栬夕映」(雁金)で出演した。私は前から2列目にいたので、舞台からは分かるはず。眠らないで聴かなくてはと思ったが、陽気の誘惑には勝てず、ウトウトを繰り返す。きっと気づかれたに違いない。

▼早く抜け出したい
 聴いていても内容がサッパリ分からないので、我慢し切れず瞼が閉じる。これだけはどうしようもない。早くロビーに飛び出したかったが、開演中の退出は堅く禁じられている。辛抱するしかなかった。

 司会は三遊亭王楽が務めた。「笑点」メンバーの三遊亭好楽の息子である。「星の王子さま」の愛称で親しまれた5代目圓楽の最後の弟子だという。「僕は高校2年の時から踊りを習っています」と王楽。巧みな話術で会場を和ませた。

▼大阪人は情報を先取り
 この日のために、わざわざ大阪から日帰りで聴きに来たという人と、最寄りの地下鉄駅まで歩いた。大阪の人は切符を買わず、札入れをかざして自動改札を通り抜けたのでビックリ。確か、関西の交通カードは使えないはずだが・・・。

 自宅に帰って謎が解けた。関東の私鉄系が発行している「PASMO」やJR東日本の「Suica」 など全国のJRや私鉄10種類の交通系ICカードが、きょう23日から全国共通で利用できるようになったと夕刊で報じていた。大阪人は情報を先取りしていた。

▼改まらない朝寝坊
 ICカードに慣れると、大阪などに行った際、電車に乗る度に窓口まで行き、小銭を出して切符を買うのが煩わしかった。これからは、難波でも「PASMO」を出せばOKとなると有難い。

 それにしても「春眠 暁を覚えず」と言うが、このところ朝寝坊が続いている。セットしてある携帯が毎朝6時に鳴る。が、なかなか寝床から這い出せない。ニュースを「聴く」ためにテレビはかけるが、またベッドに戻る。困ったものだ。

二番煎じに甘んじるな 2

2013-03-15 23:23:50 | 日記
▼笑ってナンボの世界
 私から見ても、芸協の噺家は地味な気がする。もちろん、昔昔亭桃太郎や瀧川鯉昇、桂文治ら人気噺家がいる。が、全体的にはどうも「華」に欠ける。はたから見ていても、最も元気であるべき中堅どころが真打の座に安住していて、今一つやる気が伝わってこない。それでは困る。

 噺家は人気商売である。笑ってもらってナンボの世界。誰よりも陽気で、元気が不可欠だ。名人と呼ばれるような功成り名を遂げた人は別にして、昇り竜であるべき中堅どころの噺家が、キセルを加えてくつろいでいては世話はない。受け身で、来た仕事だけをこなしていては、いつまで経っても売れっ子にはなれない。三三のように懸命に開拓、営業した噺家が芸協の中堅の中に何人いるだろう。

▼夢中で探した落語の場
 花伝舎で「100の稽古より1回の高座」と師匠から言われた。私はこの言葉を座右の銘として、夢中で落語が出来る場を探した。20回電話をかけて1回OKが出ればいい方だ。1回の電話に1時間以上かけ、①どこで、誰に習ったか、②無料寄席をやる目的は何か、③どんな場所で落語会を開いたか、など詳細に説明する。

 旅に行けば、宿に頼んで即席落語会を始める。こうして東京・東雲をはじめ柏市、新座市などに避難している東日本大震災の被災者をさがし、支援落語会も開いた。国の重要文化財に指定された歴史的建造物である旧吉田家書院(千葉県柏市)で定期的に落語会も催している。すべてこちらから声をかけ、開拓したものだ。

▼芸協幹部の責任は大
 素人の私でもこの程度のことはやれるのだから、落語を業にしている噺家が本気になって開拓すれば、高座の機会はいくらもあると思う。要はやる気だ。受け身でなく、自分から動かないと道は開けない。

 芸協の幹部は「笑点」に出るのもいいが、もっと真面目に協会全体のことを考えてもらいたい。新宿末広亭の席亭から、奮起を促されたことを忘れたのだろうか。一向に改善された形跡がみえない。とにかく、落語協会に比べ、「一枚看板」の噺家が少なすぎる。いつまで二番煎じに甘んじているのだ。悔しくないのか。幹部の責任は大である。

 芸協の中堅のみなさん、もっとチャレンジしよう。もっと大きく羽ばたこう。高座を増やそう。スケジュール帳を黒く塗りつぶそう。そうすれば、後から「看板」が追いかけてくる。

二番煎じに甘んじるな 1

2013-03-15 23:13:06 | 日記
▼紙面三分の一が落語会
 週末、金曜日の夕刊は映画、演劇のオンパレード。わが家の紙面の半分以上がこれらの記事と広告が占めている。落語会の案内もいくつかあるが、出演者のほとんどは落語協会所属の噺家である。この現状を、落語芸術協会(芸協)の幹部たちはどう受け止めているのだろう。

 15日付け朝日新聞夕刊の7面は、三分の一が落語会の案内だ。「権太楼たっぷりと若手精鋭の会」。出演者は権太楼のほか白鳥、一之輔。その次の案内は、「小遊三・さん喬・白酒&小菊」とある。さらにその下には、「上方落語、桂文珍独演会」。右横に移って、「江戸落語の会」として圓楽、雲助、馬生らの名が並ぶ。「前座卒業生の会」には、たい平、白酒、馬石、可龍らが出演する。

▼「ゼニが取れる」噺家だけ
 10面には横見出しで「気軽に楽しむ落語」という4段の読み物が載る。脇に紹介記事として「銀座ハイカラ寄席 」が登場。出演者は円楽・喬太郎・菊之丞の3人だ。以上の中で芸協所属の落語家は小遊三と可龍のみ。あとは落語協会や五代目圓楽党のメンバーだ。

 プロの落語会の多くは、呼び屋と言われる業者が主催する。だから人気がない噺家は声がかからない。「ゼニが取れる」噺家だけ集めるので、おのずと顔ぶれが固定化する。こうしたメンバーに加わるには、師匠、先輩の引きもあるだろうが、まず噺家本人が技量を磨かなくてはならない。

▼年間600以上の高座
 そういえば、売出し中の柳家三三は若いころ、「落語をやらせてほしい」と片っ端からいろんなところに、自らを売り込んだという。技を磨くためには客の前で演じるのが一番と思ったからだ。努力の甲斐あって、ここ数年は、年間600以上の高座に上がっているという。しかも、会場は常に満員。すごいの一語に尽きる。 

 一枚看板で落語をやるには、みんな陰で大変な努力をしている。努力しないところに絶対、チャンスは訪れない。協会と芸協の違いは、「中堅どころのガンバリの差だ」と、落語仲間が言っていた。私もそう思う。15年の修業を終え、やっとかなえた真打。晴れて「師匠」と呼ばれる身になった。だが、真打という名の座布団の上で「納得」していたら、とても一枚看板にはなれない。        (続く)    

知らないことばかり

2013-03-09 23:34:35 | 日記
▼空席だったわけ
 開演直前に駆け込んだところ、たった一つイス席が空いていた。着席して、「空席」のわけが分かった。前の席に頭でっかちの男がいて、前がよく見えないのである。身体を右に、左に振って、大アタマを避けながら、高座を眺めた。9日、お江戸日本橋亭での桂宮治独演会。相変わらずの大入りである。

 前座は雷門音助の「たらちね」で幕開け。はつらつとして好感が持てた。宮治は「つる」「親子酒」「明烏」の3席を高座にかけた。いずれもなかなかの出来だったが、特に「つる」が良かった。客を宮治ワールドに引き込み、たっぷり楽しませた。MXテレビの時のような引っ掛かりは感じさせず、安心して聴くことが出来た。

▼一足先に会場は格上げ
 何度も言うが、二つ目でこの人気。主催者が放っておくはずがない。次回からは、お江戸日本橋亭よりひと回り広い会場で独演会を開くことになった。人形町の日本橋教育会館。名だたる人気落語家が一席うかがう会場である。

 宮治もこの会館ホールで開催する落語会に呼ばれて出演したことがあるが、独演会はない。ここでやれるなんて、宮治は大したものだ。今度は全席指定だそうだ。「次回来る時は友だち3人、絶対連れてきてね」と宮治はさっそくPR。

▼千社札の元祖と遭遇
 落語会からの帰り道、「江戸古町祭り」と書いたぼんぼりに促されて立ち寄った。JR神田駅に近い金物通りでのイベント。道の両側に屋台が軒を連ねる。そのうちの一軒に、見慣れない札が並んでいるので、「何だろう」と覗いた。閻魔大王のような姿を描いた色鮮やかな札の数々。脇には3階建ての山車の模型が3台飾ってあった。てっぺんには仁王様のようないかつい人形が乗っている。

 綺麗な札は、千社札の元祖だそうだ。千社札と言えば、噺家の名前や、店の屋号などが書いてあるのが普通で、こんなのは見たことがない。そして模型は、江戸の祭りに登場した山車だそうだ。落語の「百川」に登場する江戸きっての老舗割烹、百川が建っていたのは、「あすこんところだよ」と指差した。

▼知らないことばかり
 説明をしてくれた人は江戸祭礼の研究家だった。道理で詳しいはずだ。これまで江戸三大祭とされた祭りも、怪しいことが分かった。「下町」の意味も間違って理解していた。落語のマクラによく出て来る「かねやすまでは江戸のうち」も見当違いだと分かった。世間で「常識」とされていることが、なんと疑わしいことか。

 アマとはいえ、落語を演じる身としては、知らないことばかりで恥ずかしい。勉強不足だ。長く立ち話を続けるわけにもいかないので、一度、日を改めて詳しく話をうかがうことにした。その上で、しっかりとした「百川」をやりたい。

宮治へのラブレター

2013-03-09 11:36:53 | 日記

▼苦い薬を盛ることも
 ご承知の通り、宮治落語のファンである。だから「すごいね。いいぞ」とヨイショするだけでなく、苦い薬を一服盛ることも忘れない。これからお江戸日本橋亭に、彼の独演会を聴きに行く。

 東京のローカル民放局MXテレビで、毎週日曜日に放送する落語番組「東京スカイ座 一朝一席」に宮治が出演、「道灌」を演じた。その時の感想である。桂宮治が出るというので事前に知人に連絡し、ぜひ見ていただきたいとお願いし、私も楽しみにしてテレビを見た。

▼落語は、漫談ではない
 ところがガッカリ。いつもの宮治落語ではないのだ。テレビを意識し過ぎて、何か、客に媚を売っているようにみえた。「クスグリという笑い場」を無理して作っているように聞こえた。

 お江戸日本橋亭での独演会ような、宮治らしさが伝わってこなかった。あのおかしさ、素晴らしさはどこへ消えたのだろう。 無理をして笑いを取ることはない。宮治はこれまで通りでいい。

 私の大好きな古今亭志ん朝が言っていた。「落語は、漫談になっちゃあいけない」。笑いを取ろうとしてクスグリを入れすぎると、本来の落語が台無しになる、というのだ。さすが志ん朝、いいことを言う。

▼宮治は凄いよとPR
 落語好きの友人が私に言った。「だから芸協(落語芸術協会)はダメなんだ」。彼が落語を聴きに行くのは、もっぱら落語協会の噺家だという。「芸協はつまんない」と彼。「だけど、今度出てきた宮治は凄いよ。他とは違う。一度、聴いてみてくれ」と私。

 芸協が運営する落語の学校、花伝舎で落語を教えてもらった私としては、耳が痛い。確かに権太楼や一之輔ら腕のいい噺家が協会にいる。だが、そんな噺家は一握りで、残る相当数は???といった感じだ。だから私は芸協であろうと、協会であろうと関係ないと思っている。どちらにも下手な落語家がいるし、上手いのもいる。

▼努力が足りない芸協
 ただ、割合からいくと、芸協は協会の後塵を拝していると思う。例えば300人の協会に、上手い噺家が100人いたとしたら、130人の芸協に40人いるかと言えば、残念ながらいない。中堅が踏ん張るか否かで団体の勢いが変わる。「中堅はもっと奮起しろ」と重鎮の桃太郎が嘆く。

 みんな、落語が好きで入ったこの世界。スタートが同じなのに、差が付くのは日々の努力、研鑽の違いだと思う。降格がないので真打の中には、真打の席に安住している連中が少なくない。この点は芸協も協会も同じだ。彼らの噺はつまらない。聴くに耐えない。だから、私はほとんど定席の寄席には行かない。もっぱらホール落語や独演会に足が向く。

▼宮治は本寸法の噺家に
 志ん朝はどんなに遅くまで飲んも、帰ってきて必ず稽古を怠らなかったという。稽古の虫と言われた名人、桂枝雀は、米朝の子供を乳母車に乗せ交差点を渡ろうとして、すんでのところで事故に遭うところだった。野球のイチローもしかりだが、名を残すような人は、陰で大変な努力をしている。それゆえ、みんなが一目も、二目も置くのである。

 
 宮治には本寸法の噺家になって欲しいと願っている。一之輔や菊之丞も私の好きな噺家だが、早く彼らと肩を並べる落語家になって欲しい。出来れば追い越すほどの噺家になってもらいたい。

 今は噺を覚え、磨く時だ。客に媚を売る必要はない。チョロチョロしなくてもいい。宮治の実力はみんなが認めている。宮治という原石を磨けば、素晴らしい宝石になる。桃太郎が言うように「これからの落語界をしょって立つ1人」である。あれだけの「元犬」が演られる宮治だ。期待してますよ。