扇子と手拭い

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見えない客席に救われる(落語2-9)

2010-10-31 22:37:27 | 日記
▼約200人の観客の前で
 隣町で昨日と今日の2日間、文化祭が開かれた。落語のエントリーは初めてということで出場できた。歌に、踊りに、芸達者な人が多く、存分にゆく秋を楽しんでいる様子だった。

 落語を演じるので和室を想定していたところ、案内された会場は何と体育館。舞台の上では「津軽三下がり」を舞っている最中だった。150の椅子席はほぼ満席状態で、ほかに立ち見の客が5、60人。こんな大勢さんの前で落語を披露するのは初めてなので、面食らった。

▼出番が近づきドキドキ
 舞台袖の音声さんに持参した出囃子のCDを預け、出番を待った。私は12番目。10番目が始まったところで、「楽屋で待機」の指示が出た。「町内の文化祭だから」と自分に言い聞かせても、出番が近づくとドキドキする。

 「いけない。緊張したら途中で噺が飛んでしまう」と思い、控室に戻ってペットボトルのお茶をゴクンと飲んだ。気のせいか少し落ち着いた。楽屋に戻ったところで、前の出番のみなさんが舞台から降りてきた。

▼見えない客席に救われる
 そばにいた係りの方から「では、よろしくお願いします」と声がかかった。舞台を挟んだ反対側袖の音声さんがゴーサインを出した。座布団の前にはマイク。出囃子といっしょに大きな幕が左右に開いた。

 天井と、舞台側面の双方からライトが照らされたので、客席がよく見えない。返ってこれが良かったようで、落ち着いて「手紙無筆」を演じることが出来た。

▼痛いところを突かれた
 みんなで後片付けをした後、打ち上げ会。落語の話で盛り上がったところで、1人の女性が「楽しかったですよ。でも、最後の方で、八っつあんの顔の向きが違ってましたね」。痛いところを突かれた。

 隠居と八っつあんのやりとりが続く場面で、しかも、次第に早口になり、まくし立てるところである。いわゆる、聞かせどころだ。難しい部分。そこを指摘された。でも、こういう指摘は有難い。演じていると、自分の悪いところは案外気づかないものだ。だから、なるべく違った人に見て、聴いてもらうことが必要なのである。毎回、反省することばかり。

「出前寄席」に四苦八苦(落語2-8)

2010-10-30 16:43:17 | 日記
▼57万部の月刊紙
 月刊紙の「定年時代」が届いた。タブロイド判で毎月1日付けの朝日新聞朝刊にはさんで配られる。無料紙だが千葉県だけで57万部の配布だという。大変な数だ。で、それがどうした、ってんだ? 

 落語を習っている私たちは、ホテルや病院で「出前寄席」をやっている。だが、先方からお呼びが掛かるわけではない。すべて、こちらから声がけして話が始まる。近ごろは振り込み詐欺ではないが、手を変え、品を変えて人を騙す輩がやたら多いので、時にはそんな連中と間違われる危険性もある。無理もない。いきなり電話で「ボランティアで落語をやります」と言って100%信用する人はいない。ほとんどが「何か裏があるのでは」と疑う。

▼まず氏素性を明らかに
 信用していただくためにはまず、こちらの氏素性を明らかにすることが必要。私は「テレビ番組の笑点の司会者、桂歌丸師匠が会長を務める落語芸術協会。そこの師匠から直に稽古をつけてもらっている者です」と詳しく自己紹介。同時に、「落語の学校」での稽古の様子を詳細に説明する。

 その上で、「企業倒産やリストラ、シャッター通りなど、薄っ暗い話題が多い世の中で、道行く人はほとんどが、眉間にしわを寄せて歩いている。そんな方に、ひと時でも笑ってもらおうと、落語仲間と出前寄席をやっている」。誤解を避けるために、「ボランティアですから出演料などは一切不要。交通費や宿泊費もすべて自己負担」と先に断りを入れる。

▼10件に1件の割合
 さらに、実際に指導いただいている師匠連の名前も列記するほか、過去の出前寄席の具体例も記載しメールで送る。ここまでして、初めて相手は安心する。それでも「出前寄席」がまとまるのは10件に1件あるかないかだ。1日中、電話口にかじりついて、この作業を繰り返すにはかなりのエネルギーがいる。夕方になるともう、グッタリである。

 そこで思いついたのが月刊紙「定年時代」。千葉県全域に57万部を発行と聞いて放っておく手はない。掲載してもらえたら、「出前寄席」のリクエストが来るのでは、と期待した。同紙は毎号、様々なボランティア活動を扱っている。それだけに関係者の関心も高いはずだ。早々に連絡を取り、取材に来てもらった。

▼どこでも飛んで行く
 定年前の職業は?「会社員です」。落語をやるきっかけは?「偶然、目にした朝のNHK番組」など約40分間、インタビューに応じた。11月1日配達の11月号に掲載とのことである。問い合わせ先に自宅の電話番号を記載してある。リクエストがあれば、私たち落語仲間は、どこでも飛んで行くつもりだ。出来れば、あまり交通費がかからないところが有難いが・・・。

古き良き時代の名残り(落語2-7)

2010-10-30 00:10:44 | 日記
▼場所は目と鼻の先
 横なぐりの雨ん中を小走りに駆け抜けて、やっとたどり着いたと思ったら「ウチではありません」。ガクンと肩が落ちた。落語のチケットを求めて、駆けずり回った10月28日午前の、人形町でのひとコマである。

 東京穀物商品取引所のホールで開く落語会なので、事務所も「ここにある」と思い込んでいた。ところが、「ウチはホールを貸しているだけ」と受付のガードマン。事務所を尋ねると、「知らない。その辺で聞いて」。道行く何人かの人に尋ねたところ、事務所はホールと目と鼻の先にあった。

▼有志が運営引き継ぐ
 人形町商店街の事務所だった。「チケット、預かってますよ」、と言って手渡してくれた。出演は圓鏡さん(橘家圓蔵)や春雨や雷蔵、立川ぜん馬、三遊亭小歌さんら。何しろこれだけの顔ぶれで無料とあって、チケットは即刻はけたそうだ。

 この「東穀寄席」は、東京穀物商品取引所が平成4年から主催していた。ところが、昨今の経済事情から昨年をもって開催中止となったため、地元商店街有志が運営を引き継いだ。今回は中央区の支援を受け、区の観光商業まつりの一環として開催にこぎつけた。

▼古き良き時代の名残り
 人形町と言えば、かつての寄席の名門「人形町末廣」があった場所。100年近い歴史を刻み、昭和43年に惜しまれつつ閉館した。そんな由緒正しい街だけに、街の至る所に古き良き時代の名残を今に残している。

 ちょうど、昼時とあって小腹が空いてきた。せっかくだから、チョイト気の利いた店で何か食べたい。こんな時は地元の人間に聞くのが一番だ。傘をさした2人組の女性に尋ねると、「それでしたら、ここがいい」と年代ものの店を指差した。外見からすると高そうな店だが、「お昼はお手ごろな値段です」と2人組が解説してくれた。

▼うまいメシで心豊かに
 玄関先は季節の緑に包まれ、奥に通じる小路の脇には、ほんのりと明かりが灯る。後で聞いた話だが、店は元置屋だったそうだ。なるほど、道理で粋なはずだ。アジの南蛮漬けにシジミ椀、香の物などがついて1000円は誠にリーズナブル。甘露煮ではないかと思うほど、骨までホワッと柔らかく、いい頃合いに酢も効いていた。酢が好きな私は大満足。ご飯の炊き加減も文句なし。さすがである。

 うまいメシをいただくと、気持ちまで満たされる。

***(編注)
 さっそく、読者から「人形町末廣」について貴重な情報が届きましたので、追加掲載します。
 「人形町末廣」は畳敷きで両側に桟敷席があり、下足番がいた。入って右側に休憩所のような部屋があり、だるまストーブが置いてあって、冬はそこで暖を取った記憶がある。夏など下町の女性が浴衣姿できていて風情があり、1番好きな寄席でした。渋谷から都電で行けたように記憶している。本郷からも近かったのでよく通った。
懐かしい話をありがとう。








床本のないしゃべくり芸(落語2-6)

2010-10-29 21:59:43 | 日記
▼落語も出来る作家?
 噺家には多彩な方が多い。立川談四楼さんもその1人。全国紙の夕刊に毎週金曜日、連載コラムを担当しているが、これが面白い。「落語も出来る作家」と言って笑いを取るだけあって、筆の運びも滑らかだ。

 「どえりゃあ1日」と題した10月29日の紙面では、名古屋で開いた出版関係者を集めた講演について綴っている。「まずはドラゴンズの快進撃、おめでとう」と名古屋人の顎をくすぐった後、「COP10開催」で再び名古屋をヨイショ。これで「拍手が巻き起こった」という。

▼“居眠りタイム”に挑戦
 出版界は電子書籍の登場などで厳しい環境にあり、2時間の険しい討論の後の90分の記念講演は、その後の懇親会に備えて“居眠りタイム”と相場が決まっていたという。そこで作家に代えて、白羽の矢が立ったのが談四楼さん。参加者を眠らせまいと90分、必死で頑張った様子が文面から伝わってくる。控室に引き下がると、担当者が「何年ぶりかでお客が寝ませんでした」と褒めてくれたそうだ。

 この分野で忘れてならないのは、人間国宝の桂米朝師匠。戦後、崩壊寸前だった上方落語を見事に復興させた大変な方だ。上方落語大全集(全43集)など数多くの専門書を著すなど、落語研究家としても知られている。そうした功績から東西の噺家で初の文化勲章を受章した。

▼高座の落語と、活字の落語
 師匠の著書「桂米朝 私の履歴書」(日本経済新聞社刊)にこんな一文がある。
「落語は床本のないしゃべくりの芸で、融通むげなところがある。演者の裁量が多いだけに、力量の差が歴然とする。いかに名作と世評の高い落語でも、演者によっては凡作になる。逆に拙作とされていたものが、すぐれた演者の手になると目を見張らせる作品に生まれ変わる。高座の落語と、活字の落語はまったく違ったものなのだ」。落語を習う私の座右の銘である。

 この書の冒頭で、師匠はこう綴り、案内役を買って出た。
「いくら人気が出ようと、私どもは世の中のおあまりなのである。先輩から引き継ぎ、修得した芸の数々をこの言葉を添えて次代に伝えたいと思う。それでは上方落語の盛衰とともに歩んだ私の道中記、しばしお付き合いのほどを。“舟が出るぞー”」。

なんと、清々しいー。心の底から落語を愛する人の言葉である。
 

新しい輪がまた一つ(落語2-5)

2010-10-29 17:49:23 | 日記
▼温かで楽しい落語会
 昨夜の赤坂は寒かった。その上、雨ときたからお手上げ。落語会はそんな中で開かれたが、店内はアットホームな雰囲気と笑いで終始、包まれた。暖房を切りたくなるほど、温かで楽しい集いだった。そんな温もりを土産に、家路についた。

 落語の学校の稽古を終えて外へ出た途端、激しい雨粒が足元を濡らした。最寄りの地下鉄の駅まで、わずか5、6分歩く間に、こうもり傘の骨が1本折れ曲がった。高層ビル群から吹き降ろす強風のせいである。“12月の寒さ”と雨で「このまま帰ろうかな」と一時、躊躇した。が、先日問い合わせの電話を掛けた際、店の主人に「行きます」と約束したこともあり、思い直して赤坂に踵を返した。

▼「文七元結」で盛り上がる
 店に入ってまず、冷で日本酒を一杯やった。店の主人は、子供の時から大の落語好き、と隣席の旦那。やけに詳しいと思ったら、何と弟さんだった。落語の噺で意気投合。ご合席で、と目の前の席に座った姐さんは志ん朝さんの大のファン。古典落語の名作「文七元結」は何度、聴いても涙が止まらない、と意見が一致。場は一気に盛り上がった。

 この店で落語会を開催するようになったのは、知人の噺家のひと言がきっかけ。「演じる場が少ない若手に場所を提供してくれないか」、と話を持ちかけられた。「ガッテン承知だ。みなまで言うな」と二つ返事で店主が応じ、落語会の開催となった。

▼落語を汚しはしないか
 この日も二つ目さんが落語を二席公演。ぺん太の席の斜め前の席の女性が「英語落語を習ってる」と言うので、周りのみんなが「ぜひ、聴きたいな」と囃した。「出る、と思ってないので、何の支度もしていない」と女性。ぺん太の手拭いと扇子を貸してあげ、英語落語の披露となった。

 「ぺん太さんもどうです。折角だからおやんなさいよ」の声に促されて、衣装カバンを片手に、高座わきの楽屋に消えた。足袋をはきながら、「酒を飲んで落語をやっていいものか」と多少、後ろめたさを感じた。伝統文化の「落語を汚しはしないか」、と思うと同時に、シクジリはしないかと案じたからである。

▼冷静だが70点の出来
 そうこうするうちに出囃子が響いた。梯子段を上って高座へ上がる。普段よりかなり高めだ。眼下の客を前に「手紙無筆」をうかがった。以外に冷静だった。大きなシクジリもなく、自分としては70点の出来。笑っていただけてよかった。新しい輪がまた一つ、広がった。