今はどこのうちも炊飯器だから「かまど」と言っても分からない。ましてや「へっつい」などと言おうものなら目を丸くする。落語をやっていていつも悩むのはこの点だ。
あたしは基本的に新作落語はやらない。古典落語を軸にして覚えているが困るのは言葉。今月、小学校の出前寄席。予定では「饅頭こわい」をやるつもりだった。この噺には「ヘビが嫌いだ。とにかく細くて長いものはみんな嫌いだから、うどんもそばも食わねえ。ふんどしもしていない」というくだりがある。
「ふんどし」の登場で客の笑いを誘うのだが、先生に聞くと4年生にはわからないという。パンツや下着と言い換えては落語にならない。下帯などと言えばなおわからない。先生が「お相撲さんが締めているマワシと言えばわかると思いますが」と言った。
それ、いただき。落語を始める前に、ボードに「ふんどし=お相撲さんが締めているマワシのようなもの」と説明を書いた。最初に「時そば」を披露したが、早々に「振り分けの行灯という荷を担いで」というセリフが出てくる。
「荷を担いで」と言っても、児童には天秤棒が理解できないだろう思い、身振り手振りで説明。同様に「行灯」も解説した。しかし、あまりこれをやり過ぎると落語のリズムが狂ってくる。落語は「間」と同様に「流れ」が大事だ。この「流れ」が滞ると笑いが起きない。
時代とともに日常の生活が変化する。銭湯などもドンドン姿を消している。「番台」を知らない世代が増えている。そのうち落語の「湯屋番」もできなくなるかも知れない。
この噺は、道楽息子が親父に勘当されて居候の身となる。「若旦那、あなたもそろそろ働いたらどうです」と催促されて向かったのが銭湯。うまくすれば女湯がのぞけると番台に上がった若旦那の愉快な物語。残したい噺である。
あたしは基本的に新作落語はやらない。古典落語を軸にして覚えているが困るのは言葉。今月、小学校の出前寄席。予定では「饅頭こわい」をやるつもりだった。この噺には「ヘビが嫌いだ。とにかく細くて長いものはみんな嫌いだから、うどんもそばも食わねえ。ふんどしもしていない」というくだりがある。
「ふんどし」の登場で客の笑いを誘うのだが、先生に聞くと4年生にはわからないという。パンツや下着と言い換えては落語にならない。下帯などと言えばなおわからない。先生が「お相撲さんが締めているマワシと言えばわかると思いますが」と言った。
それ、いただき。落語を始める前に、ボードに「ふんどし=お相撲さんが締めているマワシのようなもの」と説明を書いた。最初に「時そば」を披露したが、早々に「振り分けの行灯という荷を担いで」というセリフが出てくる。
「荷を担いで」と言っても、児童には天秤棒が理解できないだろう思い、身振り手振りで説明。同様に「行灯」も解説した。しかし、あまりこれをやり過ぎると落語のリズムが狂ってくる。落語は「間」と同様に「流れ」が大事だ。この「流れ」が滞ると笑いが起きない。
時代とともに日常の生活が変化する。銭湯などもドンドン姿を消している。「番台」を知らない世代が増えている。そのうち落語の「湯屋番」もできなくなるかも知れない。
この噺は、道楽息子が親父に勘当されて居候の身となる。「若旦那、あなたもそろそろ働いたらどうです」と催促されて向かったのが銭湯。うまくすれば女湯がのぞけると番台に上がった若旦那の愉快な物語。残したい噺である。