扇子と手拭い

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ヨセキの件ですね

2013-09-24 02:45:02 | 日記
▼ヨセキの件ですね
 ○○さんから留守番電話があり、かけたところ、若い女性が出てきて「ああ、ヨセキの件ですね。○○は今、席を外していますが」ときた。「え、何です?」とあたくし。「18日のヨセキの」で、分かった。出前寄席の件だ。彼女は寄席を「ヨセキ」と言ったのである。

 ヨセキと読めないこともないが、ヨセと言って、落語を・・・と簡単に説明して納得してもらった。落語がブームだといっても、認知度はこの程度だ。そんなわけで、今回は寄席について考えてみたい。

▼寄席が大事なわけ
 噺家にとって寄席は切っても切れない場所である。新宿末広亭など定席は、1ヵ月を上席、中席、下席と10日ごとに分け、落語協会と落語芸術協会(芸協)所属の落語家が交互に出演する。出演料は、その日の客の入りと出演者の数で決まる。これを「割り」と言って1人が手にする「割り」は数千円。

 別の場所で独演会などを開けば数十万、人によっては100万単位の日銭が入る。稼ぎだけを考えたら、そっちでやった方がいいが、噺家は寄席を大事にする。ちゃんとした理由があるのである。

▼必ず目を通すネタ帳
 寄席に足を運ぶ常連客は落語通が多く、耳が肥えている。だから手抜きが出来ない。厳しい客の視線にさらされると勉強になるという。1日に昼席、夜席合わせて30-40人が出演する。つまらないと思うと、居眠りをしたり、中には、わざとスポーツ紙を広げたりする客がいる。

 楽屋には「ネタ(根多)帳」がある。昔、大店で使った大福帳のような横長の台紙に、前座がその都度、筆で出演した噺家と演目を書く。出番が近づいてくると、だれがどんな噺をしたか「ネタ帳」に必ず目を通す。

▼寄席は噺家の修業場
 同じ演目は当然、同じジャンルのネタが先に出ていたら避ける。例えば、与太郎噺や廓噺を誰か先に高座にかかったら、泥棒噺や長屋噺など別のジャンルの中から演目を選ばないといけない。寄席の高座に上がる前日に、噺家は10近くの演目を「さらう」のはこのためだ。「さらう」というのは予習をする、稽古をするということである。

 これでお分かりのように、寄席は噺家が腕を磨く修業の場なのである。だから、給金は雀の涙程度でも、高座に上がりたがるのである。これに対し、ホール落語は特定の落語家がお目当ての客が集まる。収入にはなるが、あまり修業の場にはならない。噺家は独演会で稼いで、寄席で修業する。この兼ね合いが難しい。

▼寄席の権限は席亭に
 寄席の出演者はどう決まるか。決めるのは新宿末広亭、池袋演芸場、浅草演芸場、それに上野鈴本演芸場の4定席の席亭だ。「席亭」とは寄席の経営者。寄席の出演者を決めることを「顔付け」といって、席亭のほか支配人、各協会の事務員らが集まる。

 来月の上席が芸協の番だとすると、所属する噺家、マジックや漫才などの色ものの芸人全員の名前を書いた木札が並ぶ。その中から誰をトリにするか最初に決め、仲入りのすぐ後に出る「くいつき」は誰かなどを順々に決める。

▼噺家は同席できない
 協会の事務員が「この人はしばらく出ていないので、お願いします」と言っても、席亭が「こいつは客が呼べない」と思ったら、「うちはいらない」と札が外される。「顔付け」には、例え協会会長と言えども噺家は同席できず、口をはさむことが出来ない仕組みになっている。

 噺家と寄席。今宵はこんなところでお開きとしましょう。

失敗は繰り返さない

2013-09-23 13:11:54 | 日記
▼落語仲間に迷惑かけ
 きのうの秋葉寄席は、あたくしの勘違いで落語仲間に迷惑をかけた。東京・松が谷の秋葉神社で22日、開催した奉納落語会は、後の集いに若い芸者が登場するなど盛り上がった。が、肝心の落語会は時間切れで大幅なカットとなった。

 奉納落語会に先立ち、出演者全員が神殿で宮司からお祓いを受け、玉ぐしを捧げた。最初にあたくしが秋葉神社が登場する「牛ほめ」を披露する予定だった。ところが、マクラを話しているうちに、中身が「千両みかん」の方向に走った。

▼突然の知らせに仰天
 山手線に乗るつもりが、気付いたら中央線に乗っていた。もう、どうすることも出来ない。走行中の乗り換えは不可能だ。「千両みかん」で突っ走った。前半の3席が終わったところで、中入りの10分休憩に入った。

 会場が社務所。畳に座布団だったので、足を伸ばしていただこうとした。そこに「午後3時から宴会に入りたい」との連絡が届いた。「エッ、何だって?」。驚いた。時計を見たら2時45分を過ぎていた。後半の3席が残っている。

▼可愛い振り袖姿
 宮司に尋ねたところ、落語会の後、町内会の宴会に芸者2人呼んでいる、とのことだった。慌てた。玄関脇の別室を見ると、可愛い2人が振り袖姿ですでに待機していた。どうしよう。困った。10分余りで3席こなせない。3時終演のところを、あたくしが3時半と勘違いしていた。

 「あたくしの落語はカットしていい。が、あなたの牛ほめはやらないといけない。でなければ、奉納落語会の意味がなくなる」と落語仲間が助け舟を出してくれた。有難かった。この方はこの日のために連日、稽古を重ねてきた。その成果を披露するためにやって来たのに・・・。申し訳ないことをした。後の演者も噺を大幅に削って高座を降りた。

▼大事な事前の確認
 一夜明けて、別の落語仲間から厳しい忠告を受けた。「始まる前に確認しておくべきだったのではないか」。返す言葉がない。全くその通りであたくしが、それを怠ったばかりに、みんなに迷惑をかけた。

 午後1時30分からスタートした落語会は、3時30分までに終了すればいいと、思い込んでいた。3時に終える必要があった。あたくしの勘違いだった。事前にもう一度、確認していたら今回のようなトラブルは起きなかった。すべてあたくしの不手際。思い違いが原因と反省している。

▼友の忠告に感謝
 嬉しいのは落語仲間が本気で忠告してくれることだ。大概の人は、言えば相手が気分を害するからと小言を言わない。だから当たり障りのない世辞を並べる。それだけに、「いいことはいい。悪いことは悪い」と、ハッキリ言ってくれる友は有難い。

 そんな落語の友を持ったことを幸せだと思っている。感謝している。もう、こんな失敗は繰り返さない。

大変だ、お祓いだ

2013-09-20 19:52:48 | 日記
▼鎮火の秋葉神社
 火事と喧嘩は江戸の華、なんと言って、木造家屋が密集する江戸は火事が多かった。明治に入っても東京は火事に悩まされた。そこで登場したのが火伏せ、鎮火の秋葉神社だ。22日、ここで奉納落語会を開く。上野、浅草近辺の、町内の衆が集まるというので、落語仲間は今から緊張気味だ。

 今朝がたの地震で目を覚まし、ベッドから飛び起きた。関東にもいよいよ来たか、と腹をくくった。「午前2時25分ごろ、福島県いわき市で震度5強の地震があった」とNHKが伝えた。幸い大事に至らなくてよかった。

▼地震、雷、火事・・・
 昔っから「地震、雷、火事、親父」と言って、恐いものの順だった。近ごろ、親父は恐いものに入らないそうだが、後の3つは用心しないといけない。親父に代わって竜巻を入れたっていい。不意にやって来て、屋根をはがし、家屋ごと吹っ飛ばすから手が付けられない。

 江戸は何度も大火災に見舞われた。今と違って消火設備も整っておらず一旦、火が出たら延焼を防ぐために隣の家屋をたたき壊すしか手がなかった。そんな状態は明治まで続いた。東京府は、現在のJR秋葉原駅周辺に火除地を設け、鎮火を願って神社を祀った。秋葉神社である。

 ところが、そこに鉄道の貨物駅を新設することになり、神社は明治21年に現在地の台東区に移転した。あさって、あたくし達がお邪魔する神社である。現在の「秋葉原」という呼び名は、秋葉神社に由来する、と境内の案内板に記してあった。

▼「牛ほめ」に秋葉神社
 「どうしてまた、そんな場所で落語をやるんだ」って? ご縁ですよ、ご縁。前にも話したと思うが、あたくしの持ちネタ「牛ほめ」に秋葉神社が登場する。ご存じ、与太郎が台所の柱の大きなフシ穴に困っている叔父さんに知恵を授ける。

 「叔父さん、その穴だったら心配することはないよ。場所が台所だから、秋葉神社のお札を貼ってご覧。穴が隠れて火の用心になるよ」、ってな噺が出て来る。

▼懸命に宮司説得
 早速、秋葉神社を探し回って、見つけたという塩梅。押しかけ女房よろしく、こっちから宮司を説得。ご縁があって、落語会を開くことになった。先だって神社を訪ねた際、偶然にも町内会長がやって来たので、「町内の、旦那衆のお運びをお待ちしております」と頼み込んだ。 「よろしゅうがす」、と圓生張りでの返事はなかったが、笑顔で頷いてくれた町内会長。

 当日は選りすぐりの落語仲間が、「弥次郎」「皿屋敷」「親の顔」「初天神」などを高座にかけることにしている。開演は午後1時30分だが、上野での集合は午前11時30分。

 みんなで打ち合わせを兼ねて腹ごしらえをした後、神社に伺う。宮司の話だと、落語会の前に出演者はお祓いを受けることになっている。大変だ。

本職なら自分色を

2013-09-19 20:56:07 | 日記
▼本職なら自分色を
 あたくしが稽古をしている「宮戸川」が、18日の池袋の寄席でかかった。格好の教材だと高座に目をくぎ付けにし、耳を澄ました。登場した噺家は、自分の師匠の噺をそっくりコピーしていたがこれではダメだ。本職なら自分色を出さないとつまらない。そこがアマチュアとの違いではないか。

 当方の「宮戸川」は、春風亭小朝の噺を基本に、古今亭志ん朝と古今亭菊志んの噺を参考にしている。18日の寄席では、志ん朝の弟子の古今亭志ん輔が「宮戸川」を引っ提げて登壇した。最初のサワリの部分を聴いただけで、「志ん朝師匠のコピーだな」と分かった。

 直弟子だから師匠の噺を覚えるのはいいが、コピーはちょっと・・・。第一、いくら頑張ったところで、名人志ん朝にかなうはずがない。ハナはそっくり覚えても、本職の噺家であれば、自分なりの色を出さないと落語好きは納得しない。プロはみんな創意工夫で苦労するのだ。

▼本寸法の古典落語
 志ん朝と言えば、五街道雲助も志ん朝に憧れた1人だ。粋で本寸法の志ん朝の語り口は、江戸っ子そのもので、落語を志す多くの者が志ん朝を目標にした。18日の高座に雲助は、黄檗色に縦縞模様の唐山の着物姿で登場した。艶っぽい廓噺の「品川心中」を語るにはピッタリの、誠に粋で、様子のいい高座姿だった。

 その雲助は、明大落研で立川志の輔の先輩だそうだ。志の輔もまた志ん朝の大ファンだった。プロになる前は、語り口から仕草まで志ん朝をそのまま真似たが、本職になってからはとてもかなわないと思ったのか独自色にこだわった。その結果、「親の顔」をはじめ数々の創作落語で一気に落語界のスターに躍り出た。

▼すそ野広げた志の輔
 ただ、彼の落語は古典より新作が中心で、ファン層もパスタを好むような若い女性が軸になっている。いわば落語の初心者だ。古典落語を好む落語通とは違ったファン層である。しかし、それまで落語とは無縁の層を新たに開拓、落語のすそ野を広げた志の輔の功績は小さくない。

 加えて、志の輔が創作した「親の顔」や「歓喜の声」、さらには長い時間をかけて調べ上げ、書き上げた伊能忠敬物語の「大河への道」などは将来、「古典と呼ばれるのは間違いない」と今から高い評価を受けている。


▼異なる“噺の味”
 不思議なもので、落語は同じ演目を何度、聴いても楽しめ、笑える。歌舞伎の「忠臣蔵」を観るのと似ている。赤穂浪士が切腹する「忠臣蔵」の結末は、誰もが知っている芝居。だが、「忠臣蔵」はいつ観ても楽しい。演者や演出が変われば、さらに鮮度が増す。

 それと同様に、落語も同じネタを高座にかけても、圓生と小さんでは“噺の味”が異なる。塩、コショウのふりかけ具合が微妙に違うからだ。それが楽しくて、寄席や独演会に通うのだ。だから、本職の落語家にコピーは通用しないのである。塩加減を知らないといい味にならない。そこが腕の見せどころ、ではないのかい?

雲助って誰?

2013-09-19 08:54:15 | 日記
▼噺家の実力の違い
 博学で知られる北野武監督(ビートたけし)は毎朝、必ず7つの新聞に目を通すというが、落語家の春風亭一之輔も、それほどではないがよく勉強している。落語の本題に入る前の、1、2分のマクラに最新の世相をさりげなく折り込み、笑いを誘う。久しぶりに寄席に行ったが、噺家の実力の違いが分かり勉強になった。

 池袋演芸場はJR池袋駅のすぐ近くにある。建て替えて今年で20年だそうだ。昼席、夜席通しで聴いた。あたくしのお目当ては、古典落語の第一人者である五街道雲助と一之輔。そして林家正蔵だ。

▼雲助演じる女の仕草
 雲助、と言っても落語通以外は知らないだろうが、江戸落語を語らせたら現在、この人の右に出る噺家はいない、と言われるほどの実力の持ち主だ。18日は廓噺の古典、「品川心中」を高座にかけたが、見事な話術に引き込まれ、もっと聴きたくなった。

 注目したのは雲助演じる女の仕草。彼は手を置く位置ひとつで、男と女を使い分ける。そして目線と肩の角度。ひょいと肩を少し傾けて畳に片手をつく。この仕草で女の色気を表現するのである。これがこなせないと吉原や花魁が登場する廓噺は出来ない。この種の噺が難しいといわれる所以だ。

▼期待滲ます正蔵
 当代若手落語家の人気No1の一之輔は、「蒟蒻問答」を15分の中で披露。その筋の元親分が和尚になって、禅問答を挑んだ修行僧をけむに巻くという愉快な噺。一之輔は冒頭のマクラで先日、実家がある千葉県野田市を襲った竜巻を題材に、オヤジとの電話でのやり取りを巧みな話術で展開。客席の笑いを取った。

 数年前からタレント活動を抑え、古典落語に本格的に取り組んでいる林家正蔵(元のこぶ平)は、歌舞伎物の「七段目」を一席。正蔵の「七段目」を聴いたのは2度目だが、前回同様、聴かせた。このまま精進すれば、彼は大看板に恥じない噺家になるだろう。期待したい。

▼高座の空気は客席に
 反対にガッカリしたのは橘家文左衛門なる落語家が演じた「夏泥」。終始、苦虫をかみつぶしたような表情。落語は本来、楽しく、愉快なものだが、彼の顔を見ていると不快になってきた。十一代桂文治が高座にかける「夏泥」は抱腹絶倒で、天と地の差があった。ちなみに「夏泥」は泥棒に入った男が、反対にカネを恵んでやると言う面白い噺。

 柳家喬太郎と五明桜玉の輔もバツだ。2人とも下らない近況を長々やった。喬太郎はちょっと売れたので、天狗になっているとの声をよく聞く。この日の高座は明らかに手抜き。それが客席に伝わるから恐い。客を軽んじると、手痛いしっぺ返しを食らいますぞ、喬太郎ダンナ。

▼聴くに耐えないマクラ
 玉の輔はボスの落語協会会長の小三治をヨイショ。その上、マクラまで小三治を真似てダラダラ20分近くやった。落語好きは「落語」を聴きに来たのだ。つまらない世間話などどうでもいい。玉の輔は夜席の大トリだが、聴くに耐えなくて、あたくしはマクラの最中に退席した。

 マクラと言うのは、落語の本題に入る前の「助走」であって、長くやる必要はない。ところが、小三治が長講マクラをやり始めて、下の連中がおもねるように小三治の真似をし出した。時として彼は、本題と関係ないバイクで旅した自慢話を延々40分も、50分も平気でやり、肝心の本題はたった15分という高座がある。本末転倒も甚だしい。

▼天狗になれば終り
 高い木戸銭を払って聴きに行った落語ファンは、「アイツの落語はもう、聴きに行かない」と怒っていた。こんな小三治がなぜ人気があるのか、今もって理解しがたい。彼ほどファンの好き嫌いがはっきりした落語家は珍しい。

 強いて挙げれば晩年の立川談志ぐらいか。談志には熱狂的な追っかけがいた反面、4文字熟語の下ネタを乱発する談志が、下品で嫌いという落語通が多い。

 それはともかく、落語家は天狗になったらオシマイだ。そんなことを感じさせた池袋の寄席だった。



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