「何をぬかしやがる。この丸太ん棒め。血も涙もねえ、のっぺらぼうな野郎だから丸太ん棒ってえんだ。・・・」
先日の東京新聞のコラム「筆洗」で落語二題を取り上げていた。
http://79516147.at.webry.info/201702/article_103.html
「大工調べ」「首提灯」である。ともに江戸落語の名作だ。二作とも、権力や権威を背にした者たちに対し庶民がからかったり、抵抗する姿を現したものだ。
落語の根底には、「権力」や「権威」に対する庶民の密かな抵抗、心意気が脈々と息づいている。殿さまを茶化したり、皮肉ったりして楽しんでいる。笑いの中で侍や町役人をコケにする。
だからあたしの好みなのだ。演じていて楽しいのである。あたしが落語を好きなわけはここにある。
「大工調べ」はあたしも落語会で何度かかけたことがあるが、難しくて、散々な目に遭っている。それでも頑張るところが素人落語の楽しいところ。
この噺のミソは大工の棟梁、政五郎の気っ風のいい啖呵だ。ガマンに我慢を重ね。とうとう堪忍袋の緒が切れて、「やれ、町役だ」とオカミの威光をかさに着て、えばっている(威張って)ごうつく大家に啖呵を切る場面だ。
それが冒頭の「何んぬかしゃーがるべらぼうめ・・・」というセリフである。威勢のいい啖呵は相当長い。
ここをトン、トン、トーンと、息もつかせぬ名調子でやれるかどうかが最大のポイント。途中で息継ぎをするようでは噺が腐っちまう。
本職の噺家でもうまくやれる者は少ない。と言うより、満足な「大工調べ」を演じることが出来る噺家は「今はいない」のではないか、とあたしは思う。
「大工調べ」と言えば、古今亭志ん朝師匠だ。「大工調べ」を語らせたら、この人の右に出る落語家はいない。それほど志ん朝師匠の「大工調べ」は、粋に仕上がっている。
一度機会があったら、ネットで検索して聴いてみてくんねえ。「いよ、待ってました!」と思わず掛け声をかけたくなるよ。