扇子と手拭い

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お辞儀したら問答無用

2013-04-20 19:51:56 | 日記
▼目の下に隈を作って
 「病気か?顔色が悪いよ」と2年ぶりに再会した落語仲間が開口一番、私に言った。このところの寝不足が、表情に出てたらしい。節目の「文七迷人会」を前に、これまでになく稽古を重ねた。が、18日夜の落語の出来は、自己採点で30点がいいところ。目の下に隈を作って頑張ったが、満足のいく噺にはほど遠かった。

 第10回文七迷人会で、当初は「宮戸川」をかける予定だったが、他の出演者が同じジャンルの艶笑落語をやるというので急きょ、「大工調べ」と差し替えた。この噺は、4年前に落語を習い始めたころ、好きになり、訳も分からないままかじった。後で、腕の立つプロがやる落語と知った。

▼まずは手本を忠実に
 しかし、他にやる噺がない。この文七迷人会は出来るだけ、ここにかけたことがない落語をやろうと仲間で話し合った。言い出しっぺとしては、後に引けない。その結果が「大工調べ」となった。そうとなれば、泣き言は言っておれない。公演の日が近づいている。春風亭柳好師と、古今亭志ん朝師の2本の音源「大工調べ」を何度も聴き直して、ノートに書き写した。

 世阿弥の言葉に「守破離」がある。まずは手本を忠実に真似る、そっから始めろと言う教えだ。両師匠の噺に真剣に耳を傾け、抑揚、喋りの間、声の大きさなどを聞き漏らさないようにした。「上手いなー」と感心しながら、繰り返し聴き直す。そして真似るわけだが、吹き込んだ自分の声を聴き直すと、ちっとも面白くない。

▼どう演じる粋で鯔背な棟梁
 この噺は、江戸っ子の代表、大工の棟梁が主人公。粋で鯔背(いなせ)な棟梁を、どう演じるかが大事なポイント。あと一つのポイントは、剛突く大家に堪忍袋の緒が切れた棟梁が「何ぬかしゃーがるベラボウめ」と、威勢よく啖呵を切るくだりだ。ここでとちったら、噺はオジャンだ。とにかく難しい。覚えるだけで精一杯で、とても仕草までは届かない。

 限られた期間内で、まず、噺を覚えることだ。開演までの約10日間はほぼ毎日、午前2時、3時まで稽古した。もちろん昼間は眠くて寝るが、横になっても気になって、じきに起きてしまう。そんなわけで、寝不足になった。こんなに真剣に落語の稽古をしたのは初めて。そして迎えた18日、動揺する気持ちを抑えて高座に上がった。話終えた後、不出来を詫び、捲土重来を期することを約束して高座を降りた。

▼お辞儀したら問答無用
 後で落語仲間の一人から厳しくお灸をすえられた。「話し終えて、お辞儀をしてから客に詫びる落語家をはじめて見た。一端、お辞儀をしたら言い訳なし。黙って高座から降りる」。さらに、高座に上がったら、他の人が口を挟むことは禁じられている。話し出したら例え、師匠と言えども、終わるまで割ってはいてはいけない。弟子が高座でしくじっても、その間、師匠が助け舟を出すのはご法度だという。これが高座の基本だと言われた。

 彼は落語歴が私よりずっと長く、この世界のルールをよく知っている。他意はなかったが、私はルール違反を犯したわけだ。いい勉強になった。

被災地復旧に願いを込めて

2013-04-19 21:16:24 | 日記
▼節目の10回記念
 私たちの社会人落語家集団「文七迷人会」が江戸文化の発信地、浅草で定期公演を行うようになって今回で10回目を迎えた。ここまでたどり着けたのも、ご贔屓さまの支えがあってのことと感謝している。私たちはこの会で互いに競いながらも、信頼の輪を広げている。節目の10回記念を機に、さらに技量を磨きたい。

 「東北の被災地復旧に願いを込めて」と題した今回は、浅草から復興支援を呼びかける落語会。開演に先立ち、過日訪ねた被災地、気仙沼の実情を紹介し、「とにかく一度、被災地を訪れ、自分の目で現場を見て欲しい」とお願いした。落語を聴きに来た人々は当初は、何が始まるのかと、キョトンとしていたが、事前に配布したチラシに目をやりながら、あたくしの話を聞いてくれた。

▼1人でも多くの人に足を
 チラシは阪急交通社の「三陸復興応援企画」で、往復の東北新幹線、指定席が付いて2泊3日で29900円というものだ。格安だから、これならお手軽に行けるのではと思い、阪急に配布の趣旨を説明。「50部ばかり送ってくれ」と電話した。翌日、速達でわが家に届いた。

 能書きはこのくらいにして、節目の落語会に話を移そう。開口一番は、前回に続いて登場した「こりす」。演目は何と艶っぽい噺の「紙入れ」。ダンナの留守をいいことにカミさんが、旦那の弟子の若い男を自宅に呼び寄せた。そこに、突然、ダンナがご帰還と相成った。さあ、慌てるのは若い衆でオロオロするばかり。

▼女性が演じた艶笑噺
 「チョイト待っておくれ。いま、戸を開けるから」とダンナを家に入れる前に、男を逃がすカミさん。何とか逃げ延びたのはいいが、若い衆は後になって、親方からもらった紙入れを忘れたことに気付く。さあ大変だ。どうする・・・。こんな艶笑噺は男が演じることが多いので、女性がどう話すか注目して聴いたが、見事な話しっぷりだった。

 後を受け、あたくしが高座に上がった。かけた噺は「大工調べ」。この間、仕事を切り上げリュックをしょって駆け込んだ「木凛」が楽屋で着替え。キリッとした姿で、おハコの「松山鏡」で前半を締めくくった。
 楽屋入りは午後7時過ぎと言っていた「ローリー」も、「仕事場から直接、車のハンドルを握って浅草まで来た」と、予定より早く到着。

▼もはやセミプロ級
 出演者5人がそろったところで約10分の「お仲入り」を挟んで、後半がスタート。「ローリー」の「粗忽長屋」は初めてだ。あたくしもこの噺をやるが随分、感じが違う。当方のは、素っ頓狂なところを強調するためにテンポが速い。が、「ローリー」のそれは、手話落語をやっているせいか、ゆったりとして落ち着いている。「こういうやり方もあるのか」と勉強になった。

 そして、最後に登場したのは「万福」。与太郎噺の「道具屋」をかけた。随所に「万福」調の味を加えて客を喜ばせた。この人は笑わせどころを心得ている。ここまで来ればセミプロである。

いくら何でも無茶だ 2

2013-04-02 18:42:35 | 日記
▼粉雪が舞う悪天候
 次の会場は、南三陸町の志津川小学校グラウンドに設けた仮設住宅。1軒1軒訪ね、「集会場で落語会が始まります。お越しください」と声をかけて歩いた。が、日曜日とあって若い人は、出かけている人が多かった。「お父さんはお仕事」と小学生。

 この日は生憎、朝から粉雪が舞う悪天候。「人が集まらず“開店休業”になるかも」と案じていた。それでも、高座を設営し、着物に着替えるなど準備だけはして待った。開演時間を30分遅らせ、午後4時とした。

▼のどを潤し再度、高座に
 集会場の前で人の声がしたと思ったら、次々に被災者が姿を見せた。子ども連れの姿もあった。3人の表情に安堵が戻る。「志津川寄席」では「雑俳」「手紙無筆」を披露し終演。しかし、だれも席を立とうとしない。まだ、聴きたそうな表情に、「おまけ、やりましようか」と私。

 拍手で応じる被災者の皆さん。「分かりました。のどがカラカラなので、1分だけお時間をください」と言って、高座を降りた。これで5席目 。ペットボトルのお茶でのどを潤し、再度、高座に上がった。今度の演目は「蛙茶番」。終えた時、時計の針は午後5時3分を指していた。

▼高座の前には肘付きイス
 今夜の宿、南三陸のホテル観洋に直行した。湯に浸かって汗を流した後、夕食に向かった。アルコールは終演後だ。私たちは高座に上がる前は絶対、酒を口にしない。飲みたいが、赤い顔での高座は客に失礼にあたる。2人も私に付き合ってくれ、しばし禁酒。3つ目の「観洋落語会」の支度に取り掛かった。

 観洋は自らが大津波に洗われ被災したにもかかわらず、地域救済のキーステーションの役割を果たしたホテル。天井が高く、広い5階ロビー。そこに特設会場を設営。高座の前には肘付きイスを何列も並べ、客席をこしらえてくれた。ホテルでは、左右から高座を照らすライトまで準備してくれた。

▼3か所、3時間で9席
 震災の際、連日奮闘した従業員の皆さんに落語を聴いてもらいたかった。が、午後10時過ぎでも手が空かないという。代わりに、ホテルには企業ボランティアがかなり泊まっているので、「泊り客に聴かせてほしい」と女将。

 「観洋落語会」は午後8時から始まった。ここでは「雑俳」「蛙茶番」それに「牛ほめ」をかけた。1日で3か所、3時間で計9席。初めての経験だ。プロの落語家の独演会でも2席か、せいぜい3席だ。さすがに、声がかすれた。はじめての経験。9席は無茶である。それはよく承知している。

▼1席でも多く落語を
 だが、日程が限られている。近ければ、何度でも往来できるが、東京からは距離がある。気持ちはあっても再三は無理だ。今回は、せっかくの機会である。落語を聴く機会が少ない人々に、下手な落語だが、1席でも多く届けたい。笑って、一時でも元気を取り戻していただきたい。そう考えて、無茶にチャレンジした。

 翌朝、2人の友から「お前、また声変わりしたのか」と冷やかされた。

いくら何でも無茶だ 1

2013-04-02 18:39:21 | 日記
2泊3日の出前寄席
 東日本大震災の被災地に、2泊3日で落語のボランティアに行った。いっとき、ドッと訪れた芸能人やスポーツ選手の姿は、今はない。仮設住宅の人たちは、久しぶりのイベントである落語会を楽しんでくれた。

 友人2人と東京から岩手県一関市まで車で行き1泊。翌日、朝早めに宿を出て宮城県の被災地、気仙沼市の反松仮設住宅で1回目の公演。午後1時からの落語会に先立ち、仮設商店街で腹ごしらえ。

▼余りの安価に泣けそう
 ラーメン屋に入ったつもりが、暖簾が重なり隣接の海鮮丼の店だった。ところが、そこの三色丼が実に美味かった。新鮮な上に、ネタがいいときている。さらに値段が安い。ダシの効いた吸い物が付いて800円と聞き、嬉しくてなけてきた。夫婦2人で切り盛りする店で7、8人入ると満員札止めになる。主人は震災前まで漁師だった。

 当たり前のことだが、ボランティアは会場の設営から後片付けまで準備万端すべて、こちらでやるのが鉄則。だが、中には、それらを現地の被災者にやらせるなど、迷惑をかける不心得者がいるそうだ。勘違いも甚だしい。それだったら、行かない方がよほど被災者のためになる。

▼3人の手作り落語会
 仮設内の集会場で開催の「反松落語会」は、たくさんの方が聴きに来てくださった。予定では「雑俳」と「時そば」の2席だったが、笑顔いっぱいの会場の雰囲気に、もう1席「手紙無筆」をサービスした。皆さん、楽しかったと喜んで下さった。1時間があっという間に過ぎた。

 高座やめくり台は、同行の友人が車に積んで持って来てくれた。ラジカセの出囃子と送り囃子の操作は、もう1人の友人が買って出た。3人による手作り落語会である。                            (続)