扇子と手拭い

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「ざまー、みゃーがれ」

2014-05-31 22:05:14 | 日記
▼“真夏”になった東京
 新幹線のドアが開いた途端、生温ったかな空気が全身を包んだ。3、4日、留守にしているうちに東京は“真夏”になっていた。31日午後1時56分着の電車で信州から帰京した。3泊4日の短い旅だったが、収穫の多い旅だった。

 3泊とも戸倉上山田温泉に宿をとった。東京から長野新幹線で1時間半足らずで上田に着いた。六文銭の旗印で知られる真田の里だ。そこからは迎えのバスで約50分。都内で昼飯を食べて、電車に飛び乗っても、午後3時前後には宿に着く。

▼“お隣さん”に話しかけ
 近ごろは、あっちこっち引き回されるのが嫌で、同じ宿に連泊する旅が多くなった。泉質がお気に入りの硫黄泉なので、湯船から上がり、身体休めを繰り返しながら、いつものように“お隣さん”に話しかけた。

 「縁は異なもの味なもの 袖すり合うも多少の縁 躓く石も縁のはじまり」というわけで、必ずこっちから話しかける。すると先方も、「待ってました」と応じ、どこそこの温泉は良かった、などと話し出す。

▼素人の暇つぶし?
 そうこうするうちに、話題が落語に移った。落語をやっていると言うと、聴きたいと言う。ここまではいつものパターンだ。やってくれと言っても、宿が何というか分からない。

 支配人に経過を説明すると「では、夕食が終わった後、この食事処で」。とは言うものの、あまり気乗りしない様子。「どうせ素人の暇つぶし」とでも言いたげな様子だった。

▼「ざまー、みゃーがれ」
 いつもの反応なので、別に気にしない。午後8時開演。「牛ほめ」と「粗忽長屋」の2席を披露した。宿の従業員も、出たり、入ったりしながら噺を聴いていた。噺が終わると大きな拍手が沸いた。みんな笑顔で部屋に戻った。

 カラス「カー」で一夜が開けた。朝風呂から出たところで支配人は「おはようございます」と挨拶したかと思ったら、いきなり「師匠、昨晩はご苦労様でした。お客さまは今夜も、との希望ですが、大きな団体客が入りますので、あす、お願いできませんか?」ときた。

 手のひらを返したようなこの態度。フロントまで客の笑い声が届いたそうだ。「ざまー、みゃーがれ、てんだ」と思いながら、「分かりました。結構ですよ」と返事した。


代書屋」にチャレンジ

2014-05-19 09:05:44 | 日記


▼新ネタは間抜けな「代書屋」
 テメエでもって吹き込んだ、ICレコーダーの落語を聴いて、「エヘヘ」と笑ってたら世話はない。いや、今度の文七迷人会に新ネタをかけようと思って6、7人の噺家の「代書屋」を聴いてみた。権太楼のが一番面白かったので、これに決めた。それにしても落語は愉快だ。同じ噺を何度聴いても笑ってしまう。

 本職の噺家も高座に上がる浅草の「茶や あさくさ文七」で定期公演を初めて、今年8月で5年になる。あたくしの持ちネタは出尽くしたので、何か新しい噺はないかと探した。「代書屋」は、素っ頓狂な会話が面白くて一度、やりたいと前々から思っていたので、チャレンジすることにした。

▼ネタ元は枝雀と判明
 権太楼の「代書屋」は、聴く度に笑ってしまう。噺はオチまで知っているが、クスグリのところに来ると、吹き出してしまう。ネタそのものが面白い上に、独特の権太楼調に引き込まれてしまう。

 「よし、これを稽古しよう」と決めたが、セリフを重ねる、あの調子は真似が出来ない。そっくりまねて自分がやると、おかしな感じで、笑いどころではない。自分流にアレンジが必要だ。天才噺家の桂枝雀の「代書屋」を参考に、100カ所近く手を加えた。権太楼の噺も、ネタ元は枝雀の「代書屋」と分かった。

▼落語はリズム、流れ
 その後もネタを写した原稿に、何回も赤字を入れて修正。落語はリズム、流れが大事だ。これがよくないと、聴いていてつまらない。だから手直しした会話は一度、実際に声に出してしゃべらないと感じがつかめない。

 「を」の一文字を省くか、省かないかだけで全然、耳に届く印象が違ってくるから不思議だ。そんなことも考えながら、自分流に手直しする訳だ。大事なことは聴き手に面白い、と思ってもらえるかどうかだ。独りよがりの修正をしていては、落語にならない。

▼噺を腹に収める
 あたくしの場合は、こうして完成させた噺は、ICレコーダーに読み込む。自分で聴いて確かめるのである。つまらない、あそこはくどい、と分かると再度、手を加える。そんなことを繰り返し、どうにか、自分なりの「代書屋」をでっち上げた。

 台本が出来たら覚えなくてはいけない。ここからが一番の難所である。人てー奴は年を重ねるごとに覚えが悪くなる。だが、諦めちゃあオシマイ。ここはひと踏ん張りして覚えるしかない。次回、浅草での公演は7月だ。それまでに「代書屋」をシッカリ腹に収めたい。


三社祭りは江戸の華

2014-05-18 09:07:01 | 日記
▼江戸の華、三社祭り
 「オリャ、オリャ」―。威勢のいい掛け声に合わせて神輿が波打った。テレツクテンテン、スッテンテン。笛、太鼓、鉦の賑やかなお囃子が祭りに色を添える。印半纏、足袋裸足の若い衆が、ここが見せ場と神輿を担ぎあげた。江戸に夏の訪れを告げる浅草・三社祭。17日は町内神輿の連合渡御が行われた。

 「江戸っ子は 五月の鯉の吹き流し 口先ばかりで腸はなし」なんという川柳は、江戸っ子てーのは、口は悪いが腹ん中には何にもねえ、つまり竹を割ったような性格を指したものだ。

▼町内神輿の連合渡御
 もうひとつ、こんなのがある。「江戸っ子の 生まれぞこない カネを貯め」。チマチマゼニを貯めようてな奴は、江戸っ子の恥。そんな粋な時代の心意気を、今に伝えているのが三社祭。だから三社は、数ある祭りん中でも、浅草っ子にとっちゃあ格別の祭りだ。

 この日は町内神輿の連合渡御と言って44カ町の神輿が観音様の境内に次々に繰り出す。子供みこしも含めその数は100基を超す。雷門、駒形、花川戸、壽、聖天・・・。落語や歌舞伎の助六の舞台に出てくる名前が呼ばれると、町内ごとに色、柄、模様の違う印半纏の一団が威勢のいい掛け声に合わせて自慢の神輿を担いで登場。

▼観衆の中から手拍子
 浅草寺の境内は人、人、人の波。「黄色い線から前に出ないでー」と警視庁機動隊のマイクが大声で繰り返す。半纏の上から「三社祭実行委」のたすきをかけた警備係が神輿を誘導。「下がって。下がって」と、通り道を必死で確保しようとする。それでもカメラを抱えた連中は少しでも前へ出ようと頑張る。「押すんじゃないよ」。

 そんな中を「セイヤ、セイヤ」の掛け声に合わせて「仲見世」の町内神輿がやって来た。「猿岩」「雷門」の神輿が後に続く。右に左に神輿が波打つ。観衆の中から掛け声に合わせて手拍子が鳴る。ステテンテンテン、テレツクテン・・・。神輿の後には、お囃子の連中を乗せた屋台が続く。

▼多かった青い目の担ぎ手
 もうこのころになると、浅草周辺一帯に100基の神輿が散った。仲見世も、松屋デパート前の通りも、私たちが落語会を開く「茶や あさくさ文七」がある浅草公会堂通りも、神輿を取り巻く袢纏姿の関係者と観衆でいっぱい。祭りは最高潮に達した。

 今回、驚いたのは見物客だけでなく、担ぎ手にも青い目の外国人が多かったことだ。もちろん観光客ではない。着ている半纏の色柄が違うから、彼らはそれぞれの町内に住んでいる住民だ。ニッポンのフェスティバルを存分に楽しんでいる。

▼無何腹掛けのドンブリ
 もう一つの特徴は、担ぎ手が男女混合だったこと。以前は、女子だけの女神輿だったような気がしたが、この日は男たちの間に割り込んで、うまく足並みをそろえていた。ほとんどの女の子は背丈が届かず、担ぐと言うより、神輿の棒に手をかけぶら下がっていた感じだった。

 それでも、若い女の子の祭り姿はいい。ロングヘアを後ろにクルッとまとめて、額の中ほどに豆絞りのねじり鉢巻き。胸からは、落語の「大工調べ」にも登場する腹掛けのドンブリ。実に様子がいい。粋だ。こんな姿を見せられると、大概の男は惚れっちまうよ。

▼本社神輿の「宮出し」
 先棒担ぐ野郎も、後棒を支える若い衆も、担ぎ手はみんなこの日の主役だ。男も女も担ぎ手の目は輝いていた。祭りは担ぎ手と見ている者、そこにいるみんなの心を一つにする。

 三社祭フィナーレを飾る18日は、本社神輿の「宮出し」「宮入」が行われる。

その名は柳亭市弥

2014-05-11 08:46:26 | 日記
▼修業の厳しさ見た思い
 修業中の若手噺家の独演会に行った。集まった客は10人足らず。終演後の追加料金を払って懇親会まで残った客は、あたくしと落語仲間。それとあと1人。演者、主催者とその知人の計6人で細やかにビールで乾杯した。噺家の修業の一端を垣間見た思いがした。

 池袋で西武線からJRに乗り換え新宿に出た。経堂までは小田急線だ。新宿駅で「経堂に停まる」というので快速急行とやらに乗った。ところが、下北沢の次に停車したのはなんと新百合ヶ丘。経堂などとっくに通り過ぎた。歌の文句じゃないが、思えば遠くに来たもんだ。

▼どうなってる小田急
 新百合ヶ丘で慌てて降りて、戻る電車を探した。13時54分発が準急で、14時発が急行と電光掲示。駅員に「どっちが先に経堂に着くか」尋ねると、「準急です」というので乗った。

 ところがこの準急が、各駅に停車する始末。「小田急電車は一体、どうなってんだ」と思ったら、「次の登戸で、急行と待ち合わせ」の車内アナウンス。半信半疑で急行に乗り換え、やっと経堂に着いた。新宿から15分ほどで着くはずが、1時間近くかかった。

▼演者の目の前に客が
 落語会は商店街の小さな洋食屋の2階。高座が細長い室内に並行してセットしてあるので、話し手の膝下がすぐ客席だ。これでは演者も話づらいだろうし、客も目の前だから、とても聴きづらい。高座と客席は少し距離があった方がいい。

 タテ長の部屋の奥は、ガラス窓のため西日が射すという。それならダンボール紙で窓を覆って、西日を遮蔽する手もある。そのうえ、換気がよくない。揚げ物の天ぷら油の臭いが、部屋中にプンプン漂うのには閉口した。これでは客が逃げ出す。もう少し、臭わない場所はないのだろうか。

▼自分の腕で稼ぐしか
 そんな中で若手は文句も言わず、2時間近くタップリ3席務めた。1時間も座布団の上で正座していると、足がしびれてしばらく立てない。あたくしも東日本大震災のボランティア活動で仮設住宅を巡回し、1日で9席公演し、痺れたことがあるから、よく分かる。

 前座のころは師匠について寄席に行けば、1万から1万5000円の日当が出る。さらに食事は、師匠方がおごってくれる。しかし、二つ目になると、誰も面倒は見てくれない。先輩から声がかり出演させてもらえば多少の金になるが、それがないと収入はゼロだ。自分の腕で稼ぐしかない。

▼答えは真打に上がって
 だから二つ目時代にどれだけ稽古を重ね、ネタを仕込み、高座に上がるかが勝負だ。羽織の着用を許され、自由な時間があるからと、適当にやっていると真打に上がってから「答え」が出る。

 独演会に20人の客さえ呼べない真打が少なくない。中には、年に一度の自分の会さえ開けない者もいる。人気がある噺家は、二つ目時代に大変な努力をしている。だから技量が上がり、客が付くのである。

▼キラキラと輝く眼
 「憶えた噺は?」と聞くと、入門から7年になる若手落語家は、落語40席を少し超えたという。真打になるまでには、少なくとも150席は憶えないと、と語る彼の眼は、キラキラ輝いていた。彼には華がある。

 柳亭市弥。将来が楽しみな落語界のホープである。

手抜きしたツケが

2014-05-08 13:43:35 | 日記
▼「転失気」に「プーウ」
 広い書院二間を客が埋めた。外の寒さと打って変わり室内は人の熱気で、さながら暖房を入れたような温かさ。ところが、高座は、出演者が動くたびに「キュ、キュ」と音を立てた。毎回使う高座のかわりに長い座卓で代用したのがよくなかった。落語「転失気」の最中に「プーウ」と鳴ったから会場は大笑い。

 旧吉田家は歴史的建造物に指定されている国の重要文化財だから、調度品の一つに至るまですべて特注品だ。土間の玄関を入ってすぐの座敷に、櫓ごたつに似た大きな台がある。いつもはこれを借りているのだが、総ケヤキ造りとあって重さが半端ではない。

▼座卓を並べて代用
 上の台だけでも男が4人がかりでないと書院まで運べない。脚組みも同じでどっしりして運びごたえがある品だ。これだと、台の上で踊ろうが飛び上がろうがビクともしない。しかし、この日は重量級の出演者がいないので、長さ2メートル、高さ50㌢ほどの座卓を2つ並べて代用した。

 控室にあったもので、脚をひもでガッチリ結び、固定したつもりだった。上に赤の敷き物を敷き、その上に座布団。これで高座が出来たと座った途端、「キュン」と妙な音がした。だが、落語会は始まっている。今さらどうすることも出来ない。辛抱して噺を続けたが、仕草のたびに前後の座卓がきしみ、間抜けな音がした。

▼クスクス笑い出す客
 落語は朗読と違い、正座しているが身体全体で表現する。カミシモ(上下)と言って、大家が熊に語りかける時、話し手は右を向き、これに対して、熊が応える時は左を向く。そこに仕草が入る。そのたびに「キュキュ」や「プーウ」と、台が鳴くのには往生した。

 三番手に登場した落語は「転失気」と言って、知ったかぶりをする和尚が、転失気が実は放屁、つまりオナラであることを知らず、小坊主の珍念に用を言いつける噺。そこでも容赦なく「プーウ」と音がする。我慢して聴いていた客たちも、あまりのタイミングよさにクスクス笑い出した。

▼身に余る言葉に感謝
 延々、2時間にわたって座卓が落語と“共演”したので、出演者は恥ずかしいやら、やりづらいやらで、大変な目に遭った。終演後の反省会で「次回からは重たいが、玄関口にあるケヤキの台を運ぶ」ことにした。

 今朝がた、こんなメールが届いた。「先日は楽しいひとときを有り難うございました。皆さんプロの方と思いました。笑いを勉強している私はとても勉強になりました」。「プーウ」が連発した会に、こんな身に余るお言葉・・・。お客さまは有