扇子と手拭い

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好きでたまらない

2013-08-23 01:17:09 | 日記
▼落語の凄さに圧倒
 「アンタは本当に、落語が好きなんだね」とよく言われる。好きでたまらないくらい落語が好きだ。古今亭志ん朝の「文七元結」を初めて聴いた時は、身体がゾクゾクっとした。噺に涙した。落語の凄さに圧倒された。10年経ったら、「文七元結」をやりたいと思った。それから4年が過ぎ、6月からは5年目に入った。

 志ん朝の「文七元結」は何度、聴いてもいい。年の瀬に、博打に負けた左官の長兵衛が、長屋の薄っ暗いわが家に戻って来る場面などは、まるで芝居を見ているようで、臨場感に満ちている。CDだから画像がない。喋りだけで頭の中に情景が浮かぶのである。大変な技だ。名人芸に聴き惚れ、酔った。

▼100の稽古より1度の高座
 落語を習ったのが4年前。初級、中級と進み都合、5講座、落語塾の「花伝舎」に通った。日数にして約35日。噺を覚えないといけないので指導は1、2週間に1度の割合だ。桂小文治・桂平治・三遊亭圓馬・三遊亭遊雀・三遊亭遊馬・橘ノ円満・春風亭柳橋ら第一線の師匠たちは真剣に教えてくれた。

▼落語の武者修行
 ある師匠が「100回の稽古より1度の高座。腕を磨くには高座に上がること」と言った。別の師匠は「仲間内だけで稽古を繰り返しても力はつかない。環境が異なる場へのチャレンジが大事だ」と助言した。そのためには高座の開拓が必要になる。

 あたくしが旅行先のホテルや旅館で落語会を開くのは、この「教え」が念頭にあるからである。行く先々で、落語の“武者修行”だ。泊り客は、予想外のプレゼントに喜び、宿側は、無料で出来るイベントを歓迎。こちらは腕を磨く絶好の機会と三方みな笑顔、という塩梅である。

▼努力で得た輝き
 柳家三三は、二つ目のころ、「噺をさせてくれ」と片っ端から声をかけ、なんと年間、700回も高座に上がったそうだ。その努力が実り、今は押しも押されぬ人気噺家となった。

 三三の姿勢を手本にした落語界のスター、春風亭一之輔は、昨年、800回を超える落語会を開き、周囲を驚かせた。4000本安打を達成したイチローもそうだが、輝く者たちはみんな血のにじむような努力をしている。おおいに学びたい。

▼笑い上手に助けられ
 初対面の人たちの前で落語をやるのは恥ずかしい。しかし、高座に上がらないと、いつまで経っても腕は上達しない。失敗を重ね、恥をかくのも稽古の一つだ。あたくしたちはプロではないので木戸銭は取らないが、笑ってもらってナンボの世界だ。

 「噺家殺すにゃ刃物はいらぬ 欠伸一つもすればいい」なんという川柳があるが、客席に笑いがないと、こちらの気持ちが段々と沈み込んでしまう。2席の予定が「1席でやめとこー」、となる。逆に「噺家は 笑い上手に助けられ」、というわけで客に恵まれた時は、「もう1席おまけだ」となる。

▼落語はキャッチボール
 承知の通り落語は、話し手と聞き手のキャッチボール。舞台装置など何もない想像芸だ。高座から投げた噺の球をキッチリ受け止めて、頭の中で噺の情景を描き、想像していただく。だから落語はボーとしていたら理解できない代物だ。

 言葉だけで笑ったり、怒ったり、悔しがったり、時には涙する。落語は楽しい。稽古を重ねて人前で、「文七元結」が話せるように早くなりたいと思っている