6年前に綴った落語日記のアーカイブ。ご笑覧ください。
▼落語には無駄はなし
落語塾に顔を見せた落語評論家の花井伸夫が話した。落語は言葉をぎりぎりのところまで削っている。だから無駄は一つもない。だが、近ごろは受けを狙って、そこに自分流に言葉を付け足す人がいるがよくない、と注意した。
注意したのにはわけがあった。受講生の中に該当者がいた。人生経験の豊かな50デコボコの女性が高座に上がり、しゃべくりの最中にひとくさり。自分の高座名××をわざわざ噺に入れて、「××と同じで、とっくに(月のものが)上がってんだ」とやった。
▼落語は男が演じる芸
彼女は受けを狙ったのだろうが、周りで聴いていた受講生は引いてしまった。このひと言で稽古がシラケた。女性の受講生はオロオロ。面白いどころか、男性陣からは「不愉快だ」と悪評散々だった。
もともと落語は男の世界だ。「あら、チョイトやだよお前さん、そのまま行っちまっちゃあ」てなことを言って、若旦那の袖を引っ張る吉原の花魁。これを男がやるから愉快なので、女がやってもちっとも面白くない。落語は男が演じる芸だ。
▼「下衆な、助平ばばーだ」
落語には屁や糞といった噺が登場する。男が演じるからそんな落語も聴けるのであって、これを女性がやったら下品になる。女性の皆さんは、そのあたりを考えながら演目を選ばないとシャレにならない。笑いなどとても取れない。
ましてや、「もう年だから、とっくに月のものは上がった」などと言って笑いが来ると考えたらとんだ勘違い。粋とはほど遠い。「何だい。下衆(げす)な、助平ばばーだな」と思われるのが関の山。ダメだよ、こんなことを言っては。
▼アマは落語をいじくるな
余分な言葉を付け足すな、と花井が言ったのはそこだ。先人が長い間、時間をかけて練ってきた古典落語を素人が生意気にいじくってはいけない。生半可な人間に限って余計なことをしたがる。 (2010年3月27日記) 以下次号に続く。
▼落語には無駄はなし
落語塾に顔を見せた落語評論家の花井伸夫が話した。落語は言葉をぎりぎりのところまで削っている。だから無駄は一つもない。だが、近ごろは受けを狙って、そこに自分流に言葉を付け足す人がいるがよくない、と注意した。
注意したのにはわけがあった。受講生の中に該当者がいた。人生経験の豊かな50デコボコの女性が高座に上がり、しゃべくりの最中にひとくさり。自分の高座名××をわざわざ噺に入れて、「××と同じで、とっくに(月のものが)上がってんだ」とやった。
▼落語は男が演じる芸
彼女は受けを狙ったのだろうが、周りで聴いていた受講生は引いてしまった。このひと言で稽古がシラケた。女性の受講生はオロオロ。面白いどころか、男性陣からは「不愉快だ」と悪評散々だった。
もともと落語は男の世界だ。「あら、チョイトやだよお前さん、そのまま行っちまっちゃあ」てなことを言って、若旦那の袖を引っ張る吉原の花魁。これを男がやるから愉快なので、女がやってもちっとも面白くない。落語は男が演じる芸だ。
▼「下衆な、助平ばばーだ」
落語には屁や糞といった噺が登場する。男が演じるからそんな落語も聴けるのであって、これを女性がやったら下品になる。女性の皆さんは、そのあたりを考えながら演目を選ばないとシャレにならない。笑いなどとても取れない。
ましてや、「もう年だから、とっくに月のものは上がった」などと言って笑いが来ると考えたらとんだ勘違い。粋とはほど遠い。「何だい。下衆(げす)な、助平ばばーだな」と思われるのが関の山。ダメだよ、こんなことを言っては。
▼アマは落語をいじくるな
余分な言葉を付け足すな、と花井が言ったのはそこだ。先人が長い間、時間をかけて練ってきた古典落語を素人が生意気にいじくってはいけない。生半可な人間に限って余計なことをしたがる。 (2010年3月27日記) 以下次号に続く。
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