扇子と手拭い

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輝き増した談志の「芝浜」(落語2ー75)

2011-12-16 22:53:03 | 日記
▼後世に名遺す噺家
 立川談志が亡くなって20日以上経つというのに今なお、メディアが取上げる。異端児。無鉄砲。風雲児。いろんな冠が付いた噺家だ。談志落語については「好き」「嫌い」がはっきりしているが、のちの世に名を遺す噺家であることは間違いない。(敬称略)

 朝日新聞はきょう(16日)の夕刊で、5段抜きで談志の人となりを伝えている。昨夜(15日)のNHKの人気番組「クローズアップ現代」は、談志の特集を組んだ。その中で番組は古典落語の名作「芝浜」に触れ、談志落語を語った。4年前に演じた「芝浜」は落語通から「落語の金字塔」と絶賛された。

▼輝く談志の「芝浜」
 飲んだくれの亭主に意見する恋女房。この時、談志はむき出しの感情を激しくぶつける女房を演じて見せた。これまで聴いたことも、見たこともない「芝浜」。観客は型破りの演出に驚嘆。すぐに割れんばかりの拍手を談志に返した。

「芝浜」と言えば、三代目桂三木助のおはこだが、談志はこの噺を反芻し、談志の「芝浜」をこしらえた。落語に出て来るような人生を送りたいと、弟子たちに言っていたぐらいだから、四六時中、それこそ落語漬けの毎日だった。「芝浜」も高座にかけるたびに輝きを増した。

▼何も隠さないと談志
 だが、談志は自分の出来に不満を持つ。十八番となった「芝浜」を毎年のように噺を変え、そこに工夫を重ねた。それでもなお満足しない談志に、立川流顧問のイラストレーター、山藤章二は「常に向上心を忘れない人だった」。

 「己を語れ。オレは何も隠さないから、ONもOFFもない」と山藤に語った。談志が著した「現代落語論」は“落語のバイブル”、と言われている。落語に係わる者としては、一度は目を通しておきたい書籍だ。

▼落語に危機感の談志
 彼の偉才は早くから衆人の知るところだったが、20代後半ごろ、既に落語の現状に危機感を抱いていたという。そんなこともあってか、談志は落語協会を脱退、新たに落語立川流を創設。定席からも排除された中で、志の輔を筆頭に談春、志らくなど多くの逸材を世に送り出した。

 後進の育成はどの世界でも重要な務めだが、平成の時代に談志ほど、落語界で人を育てた者は他には見当たらない。噺家のニューリーダーが次々と巣立っていった。野球に例えるなら名監督である。この一点だけみても、談志の落語界への貢献度が分かろうというものだ。

▼違った芝浜やれた談志
 噺家志望とは別に、ビートたけしや放送作家の高田文夫、ロカビリー歌手だったミッキー・カーチス、漫画家の内田春菊、映画監督の山本晋也らが弟子入り。ほかに元警視庁幹部や元参院議員、一足先に亡くなった人気漫画家の赤塚不二夫らもおり、弟子は多士済々。

 談志は鳴り止まない拍手の中、「また違った芝浜がやれました。よかったと思う」とにっこり。テレビカメラがアップでとらえた。一呼吸おいて「こんなにできる芸人を殺しちゃあもったいないよ」といって笑わせた後、観客に向かって「一期一会。有難うございました」と深々と頭を下げた。

客の声は栄養剤(落語2―74)

2011-12-10 19:26:28 | 日記
▼張り切り3席独演
 ああー、くたびれた。落語会から今、帰って来たところ。出演者は、あたし1人だから独演会である。3席、高座にかけた。トークを交えて1時間45分。途中、着替えで5分ばかり席を外したほかは出ずっぱり。ハードな高座だったが、客の反応が上々で、張り切ってしまった。

 「何でございますなあ。暖冬かと思っていたら、師走に入った途端、急に寒くなりました。こんな時は温かい蕎麦でもすすって、中から温もりたいもんですな」。こうマクラを振った後、「江戸の昔は二八蕎麦と申しまして、一杯が十六文」と「時そば」の本題に入った。

▼難しい落語のマクラ
 噺の導入は難しいもので、ダラダラとマクラをやると、蕎麦ではないが、肝心のネタが延びてしまう。サラッとやって本題に入る。これが、なかなか難しい。この日は2席やることになっていたので、マクラを短くした。

 今回、出前寄席の依頼主は、JR駅近くに建つ大型マンションの自治会のみなさん。住宅棟とは別にしっかりしたイベントホールが設けてある。控室は、訪問客が宿泊できる平屋の和室。よく出来たマンションである。周囲のモミジが葉を紅色に染める。

▼心持ちがいい客席
 2席目は、千両富が当たる縁起のいい「宿屋の富」。これでお開きにする予定だったが、きょうのお客さまは聴き上手。笑いのツボを心得ていて、こちらが投げたボールをきちんと受けて、笑ってくれる。演じていて、心持ちがいい。

 「宿屋の富」を終えて客席を見ると、まだ聴き足りなそう。そばの主催者に「お時間はありますか」と尋ねたところ、「十分あります」。「ではもう1席やりますか」、と言うとわっと拍手が来た。音楽リサイタルによくあるアンコールってやつだ。

▼一番の栄養剤は客の声
 おまけの1席は「蛙茶番」。自分でいうのも何だが珍しく、落ち着いて最後まで乗ってやれた。噺の出来、不出来は本人が一番よく分かる。乗っている時は、川の流れのようにスラスラ運ぶ。ところが、噺の途中で1か所でも「シクジッタか」と感じた時は、出来がよくない。

 「忙しくて、なかなかナマの落語を聴く機会がなくて。本当に楽しかった」。こんな言葉を聞くと、次はもっと頑張ろう、という気持ちになる。お客様の声は、私たちの一番の、栄養剤だ。

度肝抜かれた腕前(落語2―73)

2011-12-08 23:17:44 | 日記
▼恐れ入谷の鬼子母神
 8日は落語の学校、花伝舎17期の発表会。昼の部初級と中級の計27人が4教室に分かれて、師匠の前でネタを披露した。初級の皆さんの上手いのには驚いた。それぞれが自分なりに落語を消化して演じていた。私たちの初級のころと比べると雲泥の差。恐れ入谷の鬼子母神だ。

 卒業式を兼ねた発表会は午後2時からスタート。前半に初級の受講生が登壇し、中級が後半を受け持った。開口一番、優岳さんの「牛ほめ」に度肝を抜かれた。「何だ、これは」。初級にしては上手すぎる。元ネタは桂小南治師匠だが、正直、師匠の「牛ほめ」より面白い。

▼出る幕なしの中級
 のんきさんは、三遊亭遊之介師匠の「真田小僧」を演じたが、なかなかのもの。金坊がおとっつあんから小遣いをせしめるやり取りに、吹き出してしまった。親父の留守中に、おっかさんのところにおじさんがやって来た。座敷に上がり込んで戸を閉めた。「で、どうした?え?」と続きを聞きたがる親父に、「ここから先を聞きたければ5銭よこしな」と金坊。

 こんな按配で、また5銭、また5銭とせびられる。知恵者の金坊と間抜けな親父の掛け合い場面に工夫が施されており、師匠の「真田小僧」を超える愉快な噺に仕上がっている。若手にこれだけ楽しい落語を披露されると、われわれ中級は出る幕がない。

▼客席から「待ってました!」
 発表会と言っても内々の会だから、これまではOBなど関係者以外はほとんど来ない。ところが、今回は立ち見が出る大入り。初級の皆さんのご贔屓さまが多かったようで、客席から「待ってました!」と掛け声がかかった。ゲストの評論家が「17期の上手いのには驚かされた」と語っていたが、その通りだ。

 すべて終了した段階で1人1人、講評したメモをもらった。あたしの「時そば」に、「誠に結構です。軽い調子で聴きやすいですね」と橘ノ圓満師匠。さらに「細かいことを言えば、蕎麦が出来る間の会話で、蕎麦屋が何か作業をしている様子があった方が、リアリティーがあると思います」と助言があった。出直します。ハイ。

昭和が息づく小さな食堂(落語2―72)

2011-12-07 22:04:47 | 日記
▼昭和が息づく小さな食堂
 全面ガラス張りの高層ビルが林立する東京・西新宿に、くたびれたような小さな食堂を見つけた。周りとは似ても似つかぬ店である。そこだけに昭和が息づいているようで、堪らなくなって飛び込んだ。以来、落語の稽古に行く度に立ち寄っている。今、一番のお気に入りの店である。

 入り口の前に「焼きサバ定食700円」と手書きの立て看板。わきのショーウインドウはすすけて、中に何が陳列してあるのかよく見えない。いいね、この感じ。高度成長期以前には、こんな店がどこでも見られた。暖簾をくぐると、厨房前に4、5人掛けのカウンター。それに4人用のテーブルがふたつ。

▼3代目。100年ぐらいかな
 壁には、しらすおろし、きんぴら、アジフライ、冷やっこ、オムレツなどと書いた板がぶら下げてある。親父とせがれが厨房を預かり、母親が御用聞きを担っている。今年74歳の親父は口数が少なく、黙々とサバを焼き、飯を盛っている。親父の背中を見て育ったせがれも無口で、「焼きサバ頼むよ」と注文すると、「ハイ」と一言。

 サバを焼くのに時間がかかる。間が持たないので、「いつからやってんの?」と聞くと、「お父さんで3代目。100年ぐらいかな」と母親が返してくれた。何でも戦前は生菓子屋を営んでいたが、先の大戦で店舗は丸焼け。敗戦で砂糖なども思うように手に入らず、仕方なく食い物屋に商売替えしたという。

▼和紙に東京市淀橋区
 母親が店の奥から“証拠の品”を持ってきて見せてくれた。「練羊羹」と書いた鮮やかな紅色の和紙の熨斗紙である。紙の隅に「東京市淀橋区 井筒屋製」とあった。「この東京市淀橋区が珍しいからと言って、時々、写真を撮らせてほしいと雑誌社が来るのよ」と教えてくれた。そう話す母親の表情はちょっぴり、誇らし気だった。

 お気に入りは700円の焼きサバ定食。身が引き締まっていて、焼き加減も私好み。一緒に出てくる赤出しの味は最高だ。しっかりダシが効いている。白菜の浅漬けも、結構な漬け加減。出て来る品に手抜きがないのがうれしい。味は店構えではない。

 腹ごしらえも整った。さあ、後は稽古だ。

ツボ心得た児童たち(落語2―71)

2011-12-06 23:30:49 | 日記
▼ツボ心得た児童たち
 小学校で落語を披露した。「子供たちにナマの落語を聴かせてやって欲しい」。校長先生から出前寄席のリクエストが届いた。児童対象の落語はやったことがないので戸惑った。が、こちらの心配をよそに、児童はよく笑う。大人以上に感受性が強い子どもたちは笑いのツボを心得ていて、そこに来ると一斉に声をあげて笑った。45分が短く感じた。

 話は半年ほど前にさかのぼる。突然、校長から電話があった。なんでも、4年生の教科書に落語「ぞろぞろ」が登場するそうで、「子供たちは、本物の落語がどういうものか知らない。児童の目の前で演じてもらえないか」と校長先生から注文。「ああ、ようがす」と二つ返事で引き受けた。落語に対する子どもの反応を見たかったからである。

▼与太郎が心配でやめ
 この小学校での落語会開催が、「時そば」を習い始めた一因でもある。私の持ちネタに「寿限無」や「饅頭怖い」といった子供向けの噺がない。「宿屋の富」「百川」「蔵前駕籠」などなど大人向けのネタばかり。「蛙茶番」に至っては艶笑落語で、児童に聴かせる噺ではない。

 「時そば」ともう一席は最初、「牛ほめ」をやろうかと考えていた。だが、これは与太郎噺。大勢の中には、与太郎に似たちょっと、おっとりした子もいるのではないか。後でその子が「やーい、お前は与太郎だ」などと、からかわれはしないかと心配になり、「牛ほめ」はやめた。

▼そば食べる仕草にゲラゲラ
 持ちネタの中では比較的、子供に分かり易い噺として「粗忽長屋」と「手紙無筆」が浮かんだ。このうち、どっちにしようか迷った末、「粗忽長屋」に決めた。授業の一環だから持ち時間は午後1時35分から45分間。噺に集中していると、時間の経過が分からない。残り時間2、3分前になったら合図をしてもらうよう校長先生に頼んでおいた。

 4年生百数十人を前に、江戸時代の蕎麦屋と二八蕎麦のいわれについて説明した後、「時そば」を高座にかけた。児童の後ろに校長先生ほか、4年担任の先生がずらりと並ぶ。そばを食べる仕草に、児童はゲラゲラ笑った。振り分けの行燈を担いでやって来た蕎麦屋を呼ぶところは、AKB48風に大げさな振りで手招きしたら大喜び。子供は、動きに即座に反応する。

▼ネタを子供用に改める
 元ネタでは「いよ、当り矢、いいね、何がってオメエ、オラ、これからチョイト脇行って、サイコロで悪さしようと思ってんだ」という客の「サイコロで悪さ」は、「3億円のジャンボ宝くじを買いに」と子供用に改めた。児童の前で「ガラッポン」とサイコロ賭博の真似は出来ない。手直しした個所を間違わないかと心配したが、どうにか乗り切ることが出来、子供たちも楽しんでくれた。

 続いて「粗忽長屋」を披露。これはマクラでは笑ったが、本題に入ると4年生には少々難しかったのか、笑いが途切れた。噺そのものは、慌て者が「行き倒れ」を親友の熊公と勘違い。とんでもないシクジリをやらかす愉快な話。しかし、子供たちには「行き倒れ」という言葉自体がよく理解できなかったようだ。

▼子供向けは難しい
 途中から足を投げ出し、退屈する子もちらほらで、演じながら「ネタ選びを間違えた」と焦った。子供向けの落語は難しい。もし機会があれば、この次は「饅頭怖い」を覚え、高座にかけたい。

 もっと時間があれば手拭いと扇子で、いろんなものを表現する仕草を見せてやりたかった。そのあたりが少し心残りだったが、次の授業が待っていた。最後に4年生の代表からシクラメンの鉢植えをいただいた。ありがとう。いい勉強になった。楽しかった。