扇子と手拭い

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いっそのこと「赤螺屋五輪」にしては

2015-09-01 21:30:02 | 落語
▼「赤螺屋五輪」にしては
 東京新聞の名物コラム「筆洗」が落語「片棒」を取り上げて、新国立競技場の工費についてワサビが効いたコメントを載せた。額を抑えたかのように見せかけて「後で追加、追加」といういつもの手口でやられたらたまったものではない。見せかけの額もまだ高過ぎる。1千億円程度が妥当な線だと私は考えるが、いかがか。

 以下は東京新聞の「筆洗」である。

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 財布の紐(ひも)の固い人を指し「赤螺(あかにし)屋」というのはその名の巻き貝が殻を閉じるとなかなか開かぬことに由来するという。

 落語の「片棒」。主人公は「赤螺屋けち兵衛」というから、いかなる人物か想像できよう。倹約に励み、身代を大きくしたけち兵衛の心配は後継者。三人のせがれを面接する。

 問題はけち兵衛が死んだら、「どんな葬式を出すか」。長男は弔いを計画する。通夜は二晩、坊さんは二十人。豪勢な料理。香典返しには、舶来金時計。激怒される。

 次男は色っぽい弔いをという。芸者衆の手古舞(てこまい)に山車、御神輿(おみこし)。もちろん却下。三男は二人の兄とは反対に質素な葬式を提案する。通夜に出すのはお茶と煎餅。棺桶(かんおけ)は菜漬けの樽(たる)。けち兵衛を喜ばせる。けち兵衛に言わせれば、なお不十分かもしれぬ。

 新国立競技場の工費について政府は千五百五十億円を上限とすることを決めた。旧計画から約千百億円縮小した。屋根は観客席上部のみ、冷暖房設備も見送られた。

 お客さまを迎えるのにお茶とせんべいの葬式ではあるまいかと心配する向きもあろうが、その額は、ロンドンや北京の五輪を大きく上回っている。費用をあまりかけたくない世論の意向が反映されたことに胸を張るべきだろう。

 問題は上限が守られるか。金時計や芸者衆が紛れ込まぬとも限らぬ。上限には固いふたを。「赤螺屋五輪」。結構ではないか。