扇子と手拭い

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平成の遊郭の里、隠微な飛田新地!

2017-05-29 11:13:56 | 落語
 大阪で私の面倒を見てくれた男がいた。親友のAである。ブラタモリの神戸に行く。ついでに飛田も見てみたい。高野山も訪ねたい。そう電話で言ったら彼は「俺に任せろ」と言った。

 22日、夕方、新大阪に着くとAが迎えに来てくれた。「近くに魚のうまい店がある」と案内。生ビールで乾杯し、旧交を温めた。ホテルはどこだ、と彼。あべのハルカスの近くだと私。ハルカスは高さ日本一を誇る複合ビルである。

 それでは「ご希望の飛田に行こうか」となった。飛田新地は大正時代に作られた遊郭。今も当時の雰囲気を留めるというので、一度は行ってみたかった。

 どうしてかと言うと、私は落語をやっている。吉原や花魁の噺をよくかける。ところが、浅草の吉原はとっくの昔に跡形もなく消え、今は名前も「千束」となり、ソープランドの花園となった。これでは遊郭の雰囲気など学べない。

 上方なら「ある」というので是非にも見学したかった。JR新今宮駅を降りてしばらく歩いて行くと、何やら隠微な雰囲気が漂ってきた。

 棟続きの長屋のような軒先に、どこも「飛田新地料理組合」と書いた提灯がぶら下がる。「春」を売るのが商売だが、建前は「料亭」で、女の子は「仲居」。

 間口一間ばかりの狭い玄関口に座布団の上で若い女の子がちょこんと座っている。脇にやり手ババアと呼ばれる年配の女性が、「上がっていって」と声をかける。女の子は笑顔を振りまくだけだ。

 話がまとまれば客と2人で二階に上がり「自由恋愛」という寸法だ。恋の相場は15分で1万1000円。10分単位で加算されるというから3万―4万円は覚悟した方がよさそうだ。

 店の数は100軒や150軒ではきかない。縦も、横も、通りと言う通りはどこもこの種の店ばかり。しかも、びっくりしたのは若くてきれいな子が多いことだ。

 8割がたがかわいい子で占めていた。セーラー服姿や漫画の主人公のよう格好。中には浴衣姿で男心をくすぐろうとした子もいた。

 見たところ、現役の女子大生ではないかと思える子が何人もいた。生活費を稼ぐためか?それとも別の目的があるのか?

 「気にいったのがいたら上がってみるかい」とA。私はご辞退した。時間の経過とともに若者たちが3人、5人と連れ添ってやって来た。中年の男性もいる。

 さっきまでいたかわいい子がいなくなった。そこには座布団だけが残っていた。きっと客がついたのだろう。

 後日タクシーの運転手に尋ねた。「おばはんがびっくりしてまっせ。ほんまに可愛い子がぎょうさん勤めに来ている、なんでやろ、て言ってましたで」
 
 飛田探訪記は大変有意義だった。現場を知るということはいいことだ。本を読むだけでは絶対に分からない。艶笑落語に磨きがかかるかな。

兵庫と神戸が別々の町だった!

2017-05-29 11:12:03 | 落語
 22日から4泊五日の旅をした。きっかけはテレビ番組「ブラタモリ」である。神戸は好きで何度も訪ねたが、兵庫と神戸が別々の町だったとは知らなかった。

 のちに境界の湊川の流れを変え、土手を崩して平地にした。土手の端を、羊羹を斜めにカットするようして双方をつなげたというのだ。これが今の国際都市、神戸である。

 面白い。現場を見に言った。そこは何の変哲もない公園に衣替えしていた。ただ、海岸に向かって歩いて行くと新開地の商店街が傾斜しているのがよく分かった。

 東京―大阪の往復新幹線はぷらっとこだまを利用。これだと片道1万4140円のところが1万500円でOKだ。しかも缶ビールまたはお茶が1本付く。少し時間がかかるが急ぐ旅ではない。指定席を離れて自由席に移り、3人掛けを独占してゆったりした。

堅物の若旦那が町内のワルに連れられて!

2017-05-18 10:33:17 | 落語
ここんとこ、結構忙しい。落語のボランティア。昨日は午前中、デーサービスセンターに出前寄席に行ってきた。

例によって職員の皆さんが、高座をしつらえ、イスを並べ替えるなど準備万端整えてくれた。出囃子に合わせて登場すると、みなさんが拍手で迎えてくれた。

会場の雰囲気を落語モードにするために、日本昔話の中から落語版「桃太郎」を一席、披露した。まだ、会場の雰囲気が硬い。

「皆さん!落語は笑ったからといって消費税は取られませんよ。笑うと免疫力が高まります。元気になりますよ!」と、全員で声を上げて笑う稽古をした。次第にノリがよくなってきた。

ネタ卸の予行演習のつもりで「権助魚」を高座にかけた。笑いの多い、落語を始めて聞く人にも楽しい噺である。みなさんが喜んでくれた。

これでこの日の予定はすべて終了、といきたいところだが、係りの人が「師匠!まだ時間がたっぷりありますので」と脇から声をかけた。

このまま高座を降りるわけにはいかなくなった。「困った。何をやろうか?」―。用意してくれたお茶をひと口ゆっくりと飲んだ。決まった。

「それではもう一席。今度は古典落語の名作をやらせていただきます」と断って、まじめで堅物の若旦那が町内のワルに連れられて初めて吉原に行き、「男」になるという、チョイト粋な「明烏」をかけた。

都合、約1時間、座布団に座り放しだから、足がしびれて立ち上がるのに苦労した。衣装を着替えて帰ろうとしたところ、おばあちゃんたち6人が玄関まで来て、「楽しかった」「またお願いします」と声をかけてくれた。

今は落語にとって厳しい時代!

2017-05-05 14:05:50 | 落語
 落語ブームと言われている。落語家は東西合わせて800人。戦前戦後を通じて最多となった。落語界の現状について芸能生活50年の桂文枝が思いを語った。

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 落語家の人数は増えていて、大阪だけでも260人を数えます。ただ人数がいるだけでは駄目で、才能のある人が出てこないといけません。

 あえて言えば、今は落語にとって厳しい時代。テレビにお笑いの人はたくさん出ているけれど、落語家が出るのは「笑点」くらい。30分の高座を流してもらうのは難しい。

 東京では(五代目)圓楽、談志、志ん朝、圓鏡の各師匠がお亡くなりになられ、大阪でも四天王(六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝、三代目桂春團治、五代目桂文枝)が亡くなりました。東西ともに、大変な時代を迎えていると言っていい。

 伝統芸能といっても、落語は歌舞伎や文楽とはまったく違います。時代をきちんと見つめる必要がある芸能なので、新作落語は非常に大事。

今、古典と言われている落語も、誰かが作った新作でした。新作を作るのは、財産づくり。今の噺家が次代に残る新作を作っていかないと、300年の歴史を持つ落語が未来へつながらないと思っています。

 落語は、ライバルになるかもしれない若手に噺を教えるという、考えてみればすごい世界です。本当は企業秘密であるようなものも、惜しみなく渡す。

しかも無料です(笑)。私も米朝師匠はじめ、いろいろな師匠方にたくさんの噺を習いました。こうしたシステムは、日本から失われつつある、美しいものなのかな、と思いますね。 (AERA 3月27日号)