扇子と手拭い

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演説上手は落語好き(落語2―70)

2011-11-29 02:18:31 | 日記
▼「芝浜」はもはや常識?
 “バーナンキ氏は落語「芝浜」の賢妻か”、という見出しの記事が経済紙に載っていた。が、「芝浜」を知らないと賢妻か、愚妻か、と言われても、何のことか分からない。それはさておき、昨今は新聞紙上のコラム欄に落語がしばしば取り上げられる。落語ブームとやらの影響か、それとも「芝浜」などは知っているのが常識、ということなのか!?(敬称略)

 バーナンキ氏とは米連邦準備理事会(FRB)の議長のことで、欧州の経済危機が続く中、FRBの支援の様子を捩ったものである。しかし、いきなり「芝浜」の妻が飛び出したら戸惑う人もいるはず。ところで、落語はブームというより人気が定着した感がある。人気落語家が出演する落語会には、客席に若い女性が目立つようになった。

▼シゲ公と言っとくれ
 そんな中で、「近ごろは政治家が落語を聴きに来なくなった」と噺家がつぶやくのを聞いた。政治家にとって言葉は命。昔の政治家は、寄席でユーモアや話の間を学んだという。「演説が上手い政治家は落語好き。人を引き付ける力があった」と、平治師匠は師匠の桂文治から聞いた、と教えてくれた。

 吉田茂などは桂文楽や古今亭志ん生を自宅に招き、名人の噺を聴いた。「それではチョイト、総理(大臣)の前で一席・・・」と名人が言うと、「師匠、総理はよしなよ、シゲ公と言っとくれな、シゲ公と」と吉田が返したという。ワンマン宰相と言われたが、しゃれっ気を持ち合わせていた。粋なやり取りに、場の雰囲気がさぞ和らいだことだろう。

 先の敗戦で、一面が焦土と化した国土を目の前にした吉田は、祖国の防衛は全面的に米国に依存し、経済重視の方針を貫いた。そして世界中から「奇跡の復興」と言われた戦後の日本の礎を築いた政治家である。数年前に、ひょんなことから首相になった麻生太郎は吉田の孫にあたるが、似ても似つかぬお粗末な世襲議員。

▼だるま宰相も落語好き
 首相、蔵相を務めた高橋是清も大の落語好き。落語全集(昭和4年発行)の題字まで書いたというから半端ではない。この人は昭和恐慌から日本経済を見事に立ち直らせた人物。「だるま宰相」と呼ばれ、庶民に愛された。今の世にいてくれたら、と思う大政治家である。

 高橋は全集の巻頭に「無趣濁心耳」としたためた。「趣がないと、心でモノを聞き分けることはかなわない」と説いた。昭和初期の、大混乱のさ中にあっても落語を愛する心を持ち続けたというから大したものである。

▼古典落語でリフレッシュ
 それに比べ、最近の政治家と言うより”政治屋”は、利権漁りに忙しく、質疑応答でも役人が用意した原稿の棒読みがほとんど。だから言葉に力なく、説得力に欠ける。ユーモア、ジョークなど探したって見当たらない。がなり立てるだけでは相手の心に響かない。ゆとりがないのか、小粒になったのか。寂しい限りである。

 たまには粋な古典落語を聴いて、オツムをリフレッシュしてもらいたい。でないと、新聞を広げても、「芝浜」って、横浜の親戚かい?てーことになりかねないからね!?

落語の楽しさ、奥深さ(落語2ー69)

2011-11-24 23:56:50 | 日記
▼もう、後がない稽古
 平治師匠に稽古をつけてもらうのも、この日が最後。「落語の学校」は、今期をもって卒業しようと考えている。だから、後がない。この機を逃したらもう、聞くことが出来ない。日ごろから迷っていた上下(かみしも)について疑問をぶつけた。

 24日の稽古で初めて「時そば」を最後まで演じた。平治師匠に「時そば」を見てもらうのは前回に続き2度目とあって、随所で貴重なアドバイスを受けた。しかも、指摘を受けた個所がすべて自分で日ごろから、「どうやればいいのだろう」と迷っていたところばかりだ。

▼教えは頭の中に
 「目から鱗」とはこのことで、どれも納得する有難いアドバイス。ほんのチョットしたことだが、そのチョットが、私たちは気付かない。鋭い指摘に改めて師匠の存在を思い知らされた。指摘については具体的に書くと長くなるので、ここでは省略する。この日の教えは、頭の中にシッカリ叩き込んでおく。

 「湯屋番」は、勘当された若旦那が、番台に上がってひとりで妄想する愉快な噺。一席終えた受講生に、演者は馬鹿になってやらないと、いけない。中途半端にやると、客は笑いたくても笑えない。羞恥心を捨てて、現実と妄想の世界を使い分ける。現実に帰った場面で一気にトーンを下げる。そこに面白味がある、と師匠。

▼探究心を持たないと
 別の受講生の「道灌」は、新田義貞をはじめ多数の武人の名が登場したが、聴いていてよく分からない。師匠が「義貞を知ってるか」と質問したところ、「知らない」と返答。「知らないでやると薄っぺらになる。歴史を調べないと、探究心を持たないといけない」と師匠は落語に対する心構えを説いた。

 本職の噺家にも、「もう一度、聴きたい」と思わせる人と、そうでない落語家がいるが、客を引き付ける噺家には、確かな“裏打ち”がある。研鑽をつんでいる者と、そうでない者に人気の差が出来るのもよく分かる。いろんな師匠に稽古を付けてもらったが、指導にも落差はあった。素人相手だからと、何でも「いいですよ」と繰り返す講師もいた。


▼独特の“平治ワールド”
 平治師匠には、細かな点までいろいろと教えていただいた。素人の私たちと真剣に向き合い、稽古をつけてくれた。驚いたのは、受講生ひとりひとり異なる演目を、すべてその場で即席で演じて見せてくれたことだ。一体、どれだけ噺を知っているのだろうかと、ただただ、感心した。

 親しい落語仲間が言っていた。「われわれが師匠の真似をしても出来ない、無理だよ。独特の“平治ワールド”があるから」。だが、あの間合い、仕草、語り口の抑揚からは、学ぶべきところがいっぱいあった。落語の楽しさ、奥深さを教えてもらった。当代第一級の師匠から手ほどきを受けた時間は宝であり、私の自慢である。いい師匠と巡り合えたと感謝している。

際立った表現力(落語2ー68)

2011-11-19 13:32:22 | 日記
▼際立った平治師匠
 東穀寄席は相変わらずの人気だった。立川流など落語4派の若手に交じって来秋、十一代目桂文治を襲名する平治師匠が高座に上がった。18日夜は古今亭菊六さんや三遊亭兼好さんら落語巧者が一席うかがったが、平治師匠は表現力すべてに際立った。

 午後6時開場、6時30分開演だが、私が会場に着いた5時40分過ぎには、50人を超える落語好きが用意されたパイプ椅子に腰掛けて、開場を待っていた。その後もドンドン人数が増えるので、ホールの整備が終わると同時に、主催者側は開場を10分早めて観客を誘導した。

▼目と口元で艶っぽく
 この寄席は、東京穀物商品取引所が平成4年から主催していたが、取引所を取り巻く経済情勢の変化から同21年で中止となった。それを翌22年から地元、人形町商店街が中央区の協力を得て引き継いだ。落語会の名称もそのままに今回で107回。

 滝川鯉橋さんが「元犬」、菊六さんが「猿後家」、立川生志さんが「反対俥」、柳家蔵之助さんが「ぐつぐつ」、兼好さんが「うどんや」をそれぞれかけた。この中で光ったのは菊六さん。猿に似ている、と気にしている後家さんを目と口元、全体の仕草で艶っぽく演じた。あまりの見事さに、客席は呆気に取られた。

▼味があって面白い
 だが、それでも平治師匠には一歩届かない。師匠がこの日、かけた演目は、「まんじゅう怖い」。よく知られた噺。それだけに難しい。古くは志ん生師匠から現代の兼好さんまで、いろんな噺家がやっているのをCDで聴いたが、それぞれの個性、味があって面白い。

 その噺を平治師匠は高座に乗せた。「オレは蛇が怖い」「オレはカカアが怖い」、とみんなが怖いものについて話している。それを脇から「怖えもんなんてねえ」とへそ曲がりが強がりを言う、というところから始まる落語だ。その男が「世の中にたった一だけ怖えもんがあった」と漏らした。みんなが「何だ、なんだ」と問いかけると、男が「まんじゅう」と蚊の鳴くような声で応えた。

▼食ったまんじゅうの数は
 いいことを聞いた。へそ曲がりを「懲らしめてやれ」、とみんながまんじゅうを持ち寄る。あとは聴いてのお楽しみだが、師匠の食べ方が絶品。両手で栗まんじゅうをパッと二つに割って、口いっぱいにほおばる。食べる音まで客席に届く。見ていて、思わず食べたくなるほどの仕草に、客席から拍手が沸いた。

 私の友人は「いや、びっくりしたね。よくあんな音が出せるもんだ」と驚いていた。「あそこまで行くには相当、稽古したんだろうね」としきりに感心していた。

 師匠、これまでにいくつ、まんじゅう食ったの?

「花巻」に「しっぽく」(落語2ー67)

2011-11-16 00:55:33 | 日記
▼「花巻」に「しっぽく」
 日ごろ、あまり落語を聴いたことがない人でも「時そば」ぐらいはご存じだろう。次の落語会にかけようと目下、稽古に励んでいる。歩きながら、スポーツジムで自転車をこぎながら、自宅で湯舟につかりながら、反復練習をした。やっと噺だけは何とか腹に入った。後は仕草がついていくかどうか、である。

 「何が出来る」と尋ねる客に、「出来ますもの、花巻にしっぽくでござんして」と答える蕎麦屋の親爺。「時そば」には天麩羅そばも、月見そばも出てこない。「花巻」に「しっぽく」。この2つだけだ。ところが、「花巻」も、「しっぽく」も、現在の蕎麦屋の品書きにはほとんど登場しない。どんなそばなんだろう?

▼チクワだけの「時そば」
 曖昧なままで落語をやれば、聴いている方は尚更、分からないだろうと調べてみた。「花巻」というから、てっきり岩手から広まったそばかと思ったら、そうではない。「花巻」は、かけそばに数枚の焼きノリを乗せたもので、ノリの磯の香りと、そば本来の味を楽しむのだそうだ。薬味はおろしワサビだけ。ネギは入れない。江戸で獲れた浅草ノリを磯の花に例えたことから、「花巻」の名が付いたという。

 「しっぽく」と言えば、大きな皿に盛られた長崎の卓袱料理を思い出す。そばの「しっぽく」は、そこからヒントを得て、昔はクワイ、シイタケ、麩、セリなどの具が入っていたという。ところが、江戸落語の「時そば」には、なぜかチクワしか登場しない。

▼小腹が空いて手繰る
 噺をスッキリさせるために、チクワに限ったのかどうかわからない。先日、稽古をつけてもらった桂米福師匠は、「時そば」は箸で2、3度手繰ったら食べ終わる程度で、今のファーストフードのようなものだった、と話していた。小腹が空いた時、チョイトつまむ、あの感じだ。

 師匠の話を聞くまでは知らなかったものだから、てっきり丼に入ったそばを連想して、何度もそばを手繰る仕草を重ねた。「時そば」が少量だということをご存じの方が、あたしの「時そば」を聴いたら、「あの野郎、時そばも知らねえのか」と思うに違いない。

▼客の心境で演じてみたい
 江戸時代の時の数え方。これがややこしい。子・丑・寅・卯・辰などという十二支で時を数える呼び方と、時鐘の数で時刻を言う呼び方の両方が使われていたからだ。鐘の方は、日の出(明け六つ)から日没(暮れ六つ)までを六等分し、これを昼の一刻(2時間)とした。同様に、日没から翌日の日の出までを六等分したのが夜の一刻だった。

 落語に出てくる「いま何時だい」「ヘイ、九つで」の「九つ」とは、午前零時ぐらいを指すのである。そうした背景がわかると、冬の深夜に屋台で食べる立ち食いそばだ。底冷えがする中、「熱くしてくれ」、と注文を付ける客の気持ちがよく分かる。そんな客を思い浮かべながら演じてみたい。

枠からはみ出す気持ちで(落語2―66)

2011-11-11 16:05:47 | 日記
▼手から離れた丼と箸
 「丼と箸を手から放しちゃいけませんよ」―。久しぶりに平治師匠から稽古をつけてもらった。よく知られた落語「時そば」の仕草である。年の瀬を控えてちょうどいいネタだと思い、取り組み始めた。ところが、噺に夢中になって仕草が留守になった。師匠はそこを指摘した。

 「着物、新しくしたんですか」と平治師匠が私に声をかけた。落語を習い始めた当時に買ったものだが、少々派手目なので着ないでそのままにしておいた品だ。落語の学校17期の稽古も今回で4回目。発表会まであと2回を残すだけとなった。

▼疎かになった仕草
 「時そば」はネタ自体が面白く、実によく出来た噺だが、肝心なのは仕草。これが見せどころ。特に蕎麦を食べる仕草がポイントだ。いかに本物のように食べて見せるか、で落語の評価が決まる。ところが、これがなかなか難しい。仕草に気を取られていると、蕎麦屋の親爺と客のやり取りが疎(おろそ)かになる。会話を忘れまいと注意を払い過ぎると、仕草に穴が開く。

 蕎麦代をごまかそうする客が、「いい丼だね。モノは器で食わせろてんだ」と丼をほめるところで、丼を持っていた左手が空いてしまった。そこを師匠から「丼を眺めていてはいけない。丼は、終いまでちゃんと持ってなくちゃ」と注意された。噺に気を取られて、ウッカリしているとこうなる。

▼大事な場面の設定
 会話の途中で親爺と客の上下(カミシモ)が逆になった。ハッと気付き、「間違いました」と言うと、師匠は笑った。次回までには噺の上下をシッカリ叩き込みたい。「時そば」を演じるにあたって、師匠は大事な点をいくつか教えてくれた。

 場面の設定。「振り分けの行燈という荷を担いで、人の集まる場所に出張ってまいりますてーと」、で始まる落語だから、小さな屋台をはさんでの会話になる。蕎麦代を払うところは場面設定が低過る。それでは畳の上で払っているように見える。腹のあたりで一文、二文と銭を出すと情景が浮かび上がる、と平治師匠は指摘した。

▼“画面”からはみ出て
 蕎麦の長さを表現するには、丼から箸(扇子)で引き上げた蕎麦をそのままにして丼を下げるか、丼はそのままで箸を一段と持ち上げる。実際にはこんなことはやらないが、そこが「ほんとの嘘」を演じるわけである。そうすることで、見ている客が蕎麦の長さを感じる、と説明してくれた。

 “画面”からはみ出す気で演じる。自分の肩幅の中でコチョコチョやっていると、噺それ自体が小さく見える。枠からはみ出す気持ちで演じると、大きくなり、動きが出る、と教えてくれた。いや、たいそう勉強になった。