▼鬼も驚くに違いない
何だいその「光陰矢の如し」てーのは?
オメエ、知らねーのか? 「光陰矢の如し」てのはな、光陰がな、矢の如してんだ、よく覚えとけ。
これは、落語に出てくるやり取りだが、早いもので、あといくんちかすると師走。1年などはアッという間である。また歳を重ねると思うと、やだね。
そうした中で、こんなメールが届いた。
「先日の落語会では、いろいろ有難うございました。反響ですが、早速私のところに再来年29年1月18日(水)にお願いできないかという問い合わせがありました。
来年のことでも鬼が笑うのに如何なものかと断ろうと思いましたが、私にはその権利がありませんので、取りあえず打診させていただいた次第です。一応ご意向をご連絡いただければ幸いです。宜しくお願いいたします」。
驚き、桃の木、山椒の木だよ。「1月18日」というので最初は年明けのことかと思ったが、よく見たら「再来年」と書いてある。びっくりだ。来年9月の落語会の予約は入っているが、再来年には驚いた。
どう返答していいのか2,3日考えた。だって、その時まであたしの命がつながっているかどうか分からない。へたれ込んでいるかも知れない。北の湖理事長の例もある。
あすの命なんというものは誰にも分らない。けど、その分からないところが生きている証拠だ。死んじまったらそんな心配をすることはない。基がとぼけた人間だから多分、でーじょうぶ(大丈夫)と考えて「承知いたしました」と返信した。
この話を落語仲間にしたところ、「すごいねお前さん、売れっ子の噺家でも再来年の予約が入ることはそう,ざらにはないぞ」とからかわれた。まったくだ。有りがたいことである。