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リタイアーのよもやま話

糖尿病でアルツハイマー早期発症=悪循環で進行

2010-03-16 11:24:51 | 老い(健康)
ヤフーのニュースである。

糖尿病でアルツハイマー早期発症=悪循環で進行、仕組み解明-大阪大

3月16日5時15分配信 時事通信糖尿病がアルツハイマー病の発症を早め、アルツハイマー病が糖尿病を悪化させる-。

大阪大の森下竜一教授らの研究チームは15日までに、二つの病気が互いに影響し、悪循環を生む仕組みを解明した。

米科学アカデミー紀要電子版に掲載される。
 
糖尿病や高血圧などの生活習慣病が、アルツハイマー病の危険性を高めることは以前から指摘されていた。

糖尿病患者の場合、アルツハイマー病の発症率は2~4倍以上との報告もある。

 研究チームは、アルツハイマー病と糖尿病を合併したマウスを用意し、プールで泳がせ実験。

アルツハイマー病のみのマウスは次第に避難場所を覚えたが、糖尿病を合併しているマウスは記憶力が悪かった。

アルツハイマー病マウスは生後3~6カ月で記憶障害を発症するが、糖尿病を合併したマウスは約2カ月で障害が出ていた。

 血糖値を下げるインスリンは、記憶力などの認知機能に重要な役割を果たしているとされるが、合併マウスでは脳内のインスリン量が減少していた。

糖尿病のみのマウスに比べ、合併マウスでは糖尿病が重症化することも分かった。

以上。


ヤフーのニュースで、注目したい記事があった。
生活習慣病については、やはり、要注意のようだ。






高血圧

2010-03-08 22:49:52 | 老い(健康)
わたしは、高血圧気味である。職場にいた時は、そのようなことはなかった

退職してから、この状態が顕著になった。

ネットによると

「高血圧の患者さんは大変多いのですが、実はほとんどの患者さんで、その原因ははっきりとは分かっていません。」

「遺伝的素因と日常生活上の不摂生(塩分の過剰摂取、ストレス、運動不足、アルコール、肥満など)以外に高血圧の原因が見つからない場合、本態性高血圧と呼ばれます。高血圧の患者さんの95%以上がこの本態性高血圧です。」

だそうである。「原因の分からない高血圧が95%以上」では、努力のしようがないのではないか。

又、「本態性高血圧の患者さんでは血圧が高くない方に比べ、糖尿病を合併する頻度が2倍ほど高いことが知られています。また、逆に、糖尿病患者さんでは糖尿病でない方に比べ、高血圧を合併する頻度がやはり2倍程度高いのです。 」ということでもあるう。なんとも恐ろしい話しである。

昨年の定期検診で、高血糖気味だったので、ダイエットにはげんでいる。

「日常生活上の不摂生(塩分の過剰摂取、ストレス、運動不足、アルコール、肥満など 」が原因としてあげられるようなので、真面目に努力している方である。

上記の原因のうち、塩分、運動不足、アルコール、肥満等は、努力ができたと思っている。

去年の検診の頃からすると、5㎏以上は、痩せたはずである。

でも、それほど改善しない。

毎晩、コンピュータに11時すぎまで、しがみついているせいもあるかも知れないが、血圧は高い。

それにしても、今日あたりは、高血圧の原因として、その人の性格もあるのではと、思った。

上記の因子で言えば、「ストレス」に該当するかも知れない。

それは、「なんともいいようもない不安」である。芥川龍之介は、「ぼんやりとした不安」と言っており、わたしの不安も「ぼんやりした不安」かと、一時思ったこともあったが、今日あたりは「なんともいいようもない不安」ではと、ふと思った。

理由のわからない怯えた心理である。安住することを許さない不安のような気がする。

だから、いつもその不安を払拭するために、何かを常にしていなければならないという脅迫神経症じみた状態かも知れない。

今日あたりは、このわたしの性格が、高血圧の原因では、と思われてしまった

ところで、今日読んだ「老人の歴史」に気になる文章があった。
それは、これである。

しかし、人生遅くになって突然自由きままな生活になるのは、容易ではなかった。

1970年代に引退した英国の自動車工や造船工は「疲れ果て、絶望的なまでに途方に暮れ、かつての同僚から引き離されてしまったようである。

職場を去る最後の日には涙を流し、『ひどい気持ちだ』(といった)。『まるで突然人生を断ち切られたようだ』。

朝起きるときベッドで、「どうやって今日は時間を埋めようかと悩んだ』」。

他方、炭鉱夫は集団の結束が固く、地域社会における近隣や親族のネットワーークで支えられたので、仕事をあきらめることは喜んで受け入れられた。

「本当に何年も地下にいたから、新しい人生を得たようなものだ。すばらしいよ」。


以上、「老人の歴史」より。


この文章の、自動車工や造船工のように

朝起きるときベッドで、「どうやって今日は時間を埋めようかと悩んだ』」。

というような思いで、多くの退職者が暮らしているのではなかろうか。

3月31日から4月1日へと、たった1日を隔てて、所得が半減し、昨日までの権威もささやかな

権力も人間関係も奪われ、用済みの者として、疎まれてしまう。

若いころ、根拠のない自負心が、わきおこることがある。

ありったけの金と時間を費やせば、たいがいのことはできるという不遜な気概だ。

二度とあのような、漲る力を実感することはない。

どんなに叫んでも、誰も取りあってくれない。

周囲を見渡しても、誰もいない砂漠にいるようなものだ。

このうよな生活が延々と続く、退職生活、これがストレスでないなんて、いえないはずはないのではなかろうか。

低温火傷状態ではないのか? これって?

きっと、このようなことで、血圧が上がっている人がけっこういるのではなかろうか?
なんて、思われてならない。



「平穏死」のすすめ

2010-03-01 23:59:13 | 老い(健康)
口から食べられなくなったらどうしますか
「平穏死」のすすめ

石飛幸三(特別養護老人ホーム 芦花ホーム医師)

最近、読んでいる本である。

わたしの父が、寝たきりで病院にいる。

7年目に入った。

脳出血のために、右手以外は、殆ど動かない。

介護病棟のある病院に入院する時に、胃瘻が条件だと言われた。

最初は、経鼻栄養で、父の腹に穴をあけるのは、忍びなかったが、了解することにした。

(人間ではなくなったみたいなのは辛い)

実際問題としては、経管栄養の場合は、経鼻栄養の方が辛いようだ。

よく患者が管を引き抜くのだ。

だから、後日、胃瘻ができたことを、少し喜んだ。

(胃瘻の手術ができない人もいるようで、辛い思いをしている人がいるからだ。)

寝たきり病院では、ある程度意識のある人もいる。だから、胃瘻の必要性は感じるものである。

しかし、本当に寝たきりの患者もいて、何十年もこの経管栄養の生活が続くかと思うと複雑な気分になる。

毎日、この状況を見て暮らすと、目眩がする。

だから、この本に手を出してしまった

以下、本からポイントを抜粋してみた。

はじめに

人間誰しも死ぬ、そして誰しも死ぬのは怖い、しかも必ず死ぬことを知っている。

そうであるならば、せめて苦しまないように、取り乱さないように死にたいと願っています。

そして時代の変遷とともに死に対する事態も変化を遂げています。

そのひとつが死の高齢化です。介護する家族は核家族化しています。

高齢者はいかに死を迎えればよいのでしょうか。

老衰の果ての死に対して、医療はどのように関わるべきかが、これからの大きな課題です。

多くの人は、安らかな人生の終末を期待しています。

特別養護老人ホーム(略して「特養」または「ホーム」)は、人生の終末を迎えるにあたって安らかに過ごすために設けられた施設です。

多くの入所者は、本当は自宅で最期を迎えたいのです。

が、家族に負担を掛けることを考えて、ホームでの最期を望んでいます。


医療技術の発達により死ぬまでの時間は引き延ばされました。
しかし医療は死を止めることはできません。高齢になるほど増える認知症、いずれ自分の□では食べられなくなります。

無理に食べようとすると誤嚥(物を飲み込む際誤って気管に入れること)して肺炎を起こします。病院に入院して肺炎は収まります。

しかし誤嚥しやすいことは変わりません。胃に直接栄養剤を入れる胃瘻(胃腔に向かって腹壁に開けられた孔とそこに設置された管)の手術を勧められます。

認知症の場合はご本入に聞いても答えは得られません。

どうするか、家族は迷います。

老衰の終末期にもかかわらず、医療により延命治療をされるべく、日本人の80%が病院で亡くなっています。

高齢者が病院に入院した場合、医師から点滴の指示を受けます。

ある看護師の言った言葉が心に引っ掛かりました。

「あれでは、点滴のやり過ぎよ。溺れさせているようなものだわ」。

私は外科医として40年以上にわたり手術をしてきました。いずれも命と引き換えと言うほどの治療でした。

患者さんはそれまで元気に生きており、社会に生きていました。

そんな患者さんの治療においては、手術がうまくいかないことは敗北でした。 

今私が勤めているホームの入所者は平均年齢九十歳、認知症九割。

これまで多くの病気と闘って、それを生き抜いてこられ方々です。

病院と違ってホームで亡くかることは敗北ではありません。悲しいことですが安らぎでもあります。

多くのご家族は、高齢の親を、夫を、妻を抱えて、生活と介護の両立に苦しんでおられます。

ホームはいわば現代の駆け込み寺です。多くの方がホームでの自然な終わりを願っておられ
ます。

だが配置医となった私がホームで見た現実は、私の思いとは異なるものでした。

ここでは、ホームでどのようなことが行われていたか、私たちが何を変えたかをお伝えしたいと思います。


三宅島の言い伝え

「~~~~三宅島では年寄りは、食べられなくなったら水を与えるだけ。

そうすると苦しまないで静かに息を引き取る。

水だけで1ヵ月は保つ」と。

私は息子さんの気持ちが痛いほど判ったもののどうすることもできませんでした。

しかしこのことは、経管栄養の矛盾に悩んでいた私に一つの方向を示してくれました。


胃瘻 の是非について
胃瘻は、意識があるのに嚥下機能が失われている人にとっては、極めて有効な栄養補給法です。

そもそも現在のような、内視鏡を使っての胃瘻造設は今から約30年近く前に、子供の食道狭窄に対する応急的処置として行われたのが始まりでした。

人生の始まりに対する応急的処置が、老衰の果てにまで適用されるとは、何とも皮肉な感じを否めません。

もはや物事を考えること、喜怒哀楽を感じることさえもできなくなった人に対して、強制的に栄養を補給することは本当に必要なことなのでしょうか。

一番楽なのは自然死

我々はとかく、栄養補給や水分補給は、人間として最低限必要な処置だと反射的に考えますが、それはまだ体の細胞が生きていくための分裂を続ける場合の話です。

老衰の終末期を迎えた体は、水分や栄養をもはや必要としません。

無理に与えることは負担をかけるだけです。苦しめるだけです。

高憎が最期を迎えるときは、傍らには水が置いてあるそうです。

三宅島では老人の最期には水だけが与えられるそうです。

このようにできるだけ自然に洽って対応した方が、本人が楽に最期を過ごせると言われています。

このことを証明した欧米の文献は少なくありません。

また長年老年医学を研鑽している植村和正氏は、老衰で死ぬ場合は、栄養や水分の補給がない方が楽に逝けるという立場をとっています。

入所者が食べられなくなってからの最後の数日間の様子を見ていると、喉の渇きや空腹を訴える方に出会ったことかありません。

何も体に入っていないのにおしっこが出ます。

自分の体の中を整理整頓しているかのようです。

ある人はこれを氷が溶けて水になっていくのと同じで、体が死になじんでいく過程だと言います。

このような状態では体から自然に麻薬様物質であるエンドルフィンが出ると言われています。

だから苦痛がないのだと言います。

私にはその感じがよく判ります。せっかく楽に自然に逝けるものを、点滴や経管栄養や酸素吸入で無理矢理叱咤激励して頑張らせる。

顔や手足は水膨れです。我々は医療に依存し過ぎたあまり、自然の摂理を忘れているのではないでしょうか。
 
我々にとって、家族にとって、何もしないことは心理的負担を伴います。

□から食べられなくなった人に、胃瘻という方法があるのに、それを付けないことは餓死させることになる、見殺しだと考えます。

栄養補給や水分補給は人間として最低限必要な処置だ、それを差し控えるのは非人道的だと思ってしまうのです。

しかしよく考えてみて下さい。

自然死なのです。

死なせる決断はすでに自然界がしているのです。

少なくとも神様は責めるはずはありません。

医師も家族も「自分か引導を渡した」ことになりたくないなどと思うのは錯覚に過ぎません。

以上、抜粋。

読み終わって、いろいろと考えさせらた。

本の帯びには

延命治療の限界
安らかな「看取り」を考える
「特養」常勤配置医が初めて提言

とある。

私は、この提言で出会えて良かったと思った。

おそらく、寝たきりの病院等に出掛ける機会のない人には、胃瘻については、理解がないと思う。

老人ホームの胃瘻は、家族以外みる事はないと思う。

その点、寝たきり病院は、知人、友人、職場、親戚等見舞いで来院することがある。

しかし、たまに、来院するくらいでは、胃瘻についての理解は深まらない。

わたしたちのような毎日、病院に出掛けている家族でない限り、その切実な問題には、理解が及ばないと思う。

その点、このような本を出版し、啓発の機会を作って貰えたのは感謝したい。

わたしは、ぜひ、多くの方がこの本を手にとって貰えたらと思った。

老人

2010-02-05 21:55:10 | 老い(健康)
生き残る判断生き残れない行動
アマンダ・リプリー 著 岡真知子 訳
より

老人について、興味深いことがあった。


ターナーは習慣を変えるのが好きではなかった。

だから 「カトリーナ」が来襲する前に、避難したくない、月曜の朝にはミサに行きたいから、と娘に話したのだ。

年配者は避難するのが好きではない。

1989年に、ペンシルヴェニア州のスリーマイル島原子力発電所の事故のあと、退職後の人々や70歳以上の人たちがもっとも避難に消極的だったーどれだけ原子炉の近くにいても関係なかった。

一つには、たとえ避難する術を持っていても、一般的に言われているように、年老いた人は変化を好まないからである。

ターナーは30年以上、自分の家に住んでいた。彼の昔の細長い家と同様頑丈な造りで、数多くのハリケーンを耐え抜いてきた。

それならなぜ今回、耐えられないことがあろうか?

ターナーの家は確かに生き延びたということがわかった。

150センチほど水に浸かったが、壁や屋根はしっかりもちこたえていた。ハリケーンが奪い去ったのはその持ち主だったのだ。


以上。



代わり映えのしない生活にうんざりするものの、いざ、変化を求めようとすると、後ずさりをしてしまう。

わたしたちの心理である。

やっかいである。


生き延びるために、変化する環境に取り残されないようにしないとならぬが┄┄。


ところで、ターナーは、心臓麻痺で亡くなったようだ。
享年85


寒い日

2010-01-21 10:52:16 | 老い(健康)
気象庁は、今年の冬は暖冬だと、予報したらしい。

しかし、つい最近まで、真冬なみの冷え込みであった。

それで、気象庁の予報は間違いかと思っていたら、そのうち冷え込みは、やがて終わり、冬の後半は暖かくなり、トータルとして、暖冬になるという説明を聞いた。

まさかと、思った。

しかし、この2・3日の温かさは、希有な感じで、何かの間違いかとも思ったが、やはり、気象庁の発表の通り、暖冬かも知れぬ。

地球温暖化も困るが、寒がりのわたしとしては、その方が助かる。

この前の冷え込みの際は、朝起きるのが辛くて、もしかして、自分がだらしなくなったのかと思って、気に病んだが、どうも急な冷え込みのせいで、身体がついていけなくなったのがその原因だったかも知れない。

すこし、安堵する。

その冷え込みに耐えかねて、遠赤外線仕様の下着類を買いこんで、若干暖かい思いもして、ほっとしたが、もう要らなくなるのだろうか。

せっかく買ったのに、それで喜んでいいのか、微妙な気分になる。

しかし、病院で寝たきりの父親のことを考えると、安心する。

もっとも、現在の病院は、ヒーターが効いて、心配はなかったと後で、気づいてほっとした。



だが、前の病院は冬場、冷え冷えとして、病院の寝具だけでは、患者が寒いを思いをしていたので、病院の残酷さに、父親が不憫な思いがして、堪らなかった。

だから、家から寝具を持ち込んだものだ。

冬場にバタバタ患者が、死亡していくので、この病院、葬祭場と同系列なのかと変に勘繰りたくなった。

なにしろ、冬場にも冷蔵庫から出してきたような経管栄養食を胃ろうに放り込む。続けざまに、水分も放り込む。

そして、あまり暖かくもない部屋・寝具で、寒いを思いをして、寝かされている。

病院の標語では、見舞い客にも見えるように、「お客様のために」なんて書いてあったが、実態は、余りにも「鈍感な病院で」、患者に不憫な思いもした。

昼間は暖かいのに、夕方から冷えだすと、家で寝床にいながら、父親が気の毒でしようがなかった。

何か言いたくもあるが、家族が病院に常駐するわけにもいかない。いない間に、何をされるか分からないと思うと、自然に腹の膨れる思いがした。

いつの日か、院長だって婦長だって、勿論、介護職員だって、皆、寝たきりになるはずだが、自分の身に置き換えて考えることがないように思えるのは、不思議でならない。


今回の病院、前の病院の介護病棟が削減されて、追い出されたために、移動したきたが、冬場に寒い思いをしないですむようになったのは、大変嬉しい。

前回の病院では、地元の有名なミュージシャンが入院していた。
彼が、冬場にICUの前の廊下で、寒いと言って震えていたのに、ほおっておかれていたのを、見ていたが、耐えがたかった。

身近な知り合いでも、近親者でもないので、どうしようもなっかたのをちょくちょく思いだす。

寂しい思いがいた。

しばらくして、彼は亡くなった。皮肉にも、あまりにも有名人だったので、死後、何度も告別式をやっていた。

そんなに葬式をするほどの親しい間柄であったら、皆、生きているうちに、たまには、遊びにきて、寒がっていないか気にかけてくれた方が、本人としてどんなにか幸せだったかもしれぬ。と思った。

死んでしまってから、あんなに、何度も告別式をして、盛り上がっているが、あれって何だろう。

前の病院では、いまでも、冬場、みんな震えているのか。

その点だけでも、今回の病院には感謝している。

父親が入院して、6年目を過ぎた。

病院の実態なんて、たまに、見舞いにきては、分からない。

勿論、時折、行われる監査でも分からない。

だから、寝たきりの生活がどんなに、残酷なものであるかというのは、殆どの人間は知らない。

心して、自分の不注意で、寝たきりの生活で入院しないように気をつけなければならない。

しかし、これは、そうは思っても、どうなるかは分からない。

この点、歳をとるのは、辛い。