大惨事となった広島。地域の古老によると古くから山津波と称する今回のような大規模な山崩れが起きていた地域らしい。
防災上で大切なのは、災害が発生する直前になって行動を起こすのではなく、危険なことは出来るだけ避けるのが原則であろう。
その限りに於いて、早くからそうした災害が想定されていたにも関わらず、この地域一帯を開発し多くの住宅を建てさせて来た
行政にも一端の責任があるように思う。
そして、最大の責任者は無造作に宅地開発を行ってきた業者である。また、良くも調べずに家を建てた方々にも一端の責任が
あるように思われる。土地には土地の古くから教訓として残されてきたものが存在する。その一つが土地にまつわる伝承であり、
地名などとなって伝わっている。
昔の人は大規模な造成工事など行う手段を持たなかったので、出来るだけ危険なところは避けるようにして生活してきた。
がけ崩れの起こりやすいところは避けてきた。洪水が起きそうなところは避けてきた。それは生活の知恵でもあった。なまじ
人間は機械と言うもので山を削り谷を埋める手段を手に入れたばかりに危険予知にまで思いを致すことがなくなった。
削った土で覆い隠してしまい緩い地盤の上に家を建て、崩れやすい山近くに家を建てるようになった。自ら危険を見えなく
してしまった。その結果、今回のような大惨事が生じ、先の大地震の時のように液状化や緩い地盤のところの家は簡単に傾いて
しまった。
家を建てるときは、その土地の経歴や造成の一部始終を十分に把握して建てなければならない。これは教訓である。この石碑から
海寄りには家を建てるなと先祖たちは教えていたにもかかわらず便利さだけを考えて家を建て、その結果、家を失った人が何人いた
だろうか。
今回の大惨事は復旧に多くの時間を要するものと思われる。そして、そこに住み続けるとしても大いなる決断が必要だ。大規模な
がけ崩れが起こりやすい土地であることが明らかになったわけだから住み続けるにしてもそれなりの覚悟は必要だろう。
これからも気象異変による自然災害は激しさを増すに違いない。そうしたことも早くから警告されていたことである。温暖化に
よる気候変動は激しさを増すようになっている。平穏なときとそうでない時との振幅が大きくなっているからだ。亡くなられた
方々のご冥福を心からお祈りいたします。
さて、我が家では従来になく大量のブルーベリーの収穫が今も続いている。営々として苗を作り、苗を育て、なお定植してから
その場所を肥やし土壌づくりを続けてきた。その結果、全ての木が莫大な実を付けるようになった。例を挙げると温室の裏に植えた
木であるが、苗そのものの出来の良くなく枯らすのはかわいそうだと思い石ころだらけの狭い空間に仮に植えたものである。
ただ、ここ数年、根基にEMを欠かさず撒きつづけた結果、思いがけなく大きな木に成長し、木が若く勢いがあることもあって
大きな実をたくさんつけた。実に驚きである。
その他、長い間、小さな鉢でそのままにしておいたものを全て一回り大きな鉢に移し替えた。これもたくさん実を付けた。
便宜的に山の畑に植えたものも枝が垂れるほどの実を付けた。このように全てが重なって大量の収穫になったようだ。そして
何より良かったのは早くからネットをかけたことだ。元々は野鳥対策のつもりだったが毎年のように悩まされていたイラガが
全く付かなかったことである。葉を食べられることもなく収穫の時に刺されることも一切なかった。
従来はイラガの発生期が収穫の時期と重なるため農薬に頼ることも出来ず、ほとほと困っていた。このようにして我が家の
ブルーベリーは無農薬、無肥料、無除草剤、全くの自然栽培である。なお、ジャムも添加物なしの100%ブルーベリーのもので
ある。ぜひ入用の方はご相談ください。少しならお分けできます。
たわわに実を付けたブルーベリーを見ていると、自然はあるべき姿に立ち戻ると何もしなくてもそれなりの恵みを与えて
くれるものだと言うことが良くわかる。縄文の時代に思いを巡らすとき自然との共生が恙なく(つつがなく)行われていた頃は
海も山も恵みでいっぱいだったことが容易に想像できる。自然を壊すことなく、搾取することなく生活していれば飢えに苦しむ
こともなかったのだと思われる。自然とともに生き自然に抱かれて死んでいく、そこには悩みも苦しみもなかったのではないだろうか。
防災上で大切なのは、災害が発生する直前になって行動を起こすのではなく、危険なことは出来るだけ避けるのが原則であろう。
その限りに於いて、早くからそうした災害が想定されていたにも関わらず、この地域一帯を開発し多くの住宅を建てさせて来た
行政にも一端の責任があるように思う。
そして、最大の責任者は無造作に宅地開発を行ってきた業者である。また、良くも調べずに家を建てた方々にも一端の責任が
あるように思われる。土地には土地の古くから教訓として残されてきたものが存在する。その一つが土地にまつわる伝承であり、
地名などとなって伝わっている。
昔の人は大規模な造成工事など行う手段を持たなかったので、出来るだけ危険なところは避けるようにして生活してきた。
がけ崩れの起こりやすいところは避けてきた。洪水が起きそうなところは避けてきた。それは生活の知恵でもあった。なまじ
人間は機械と言うもので山を削り谷を埋める手段を手に入れたばかりに危険予知にまで思いを致すことがなくなった。
削った土で覆い隠してしまい緩い地盤の上に家を建て、崩れやすい山近くに家を建てるようになった。自ら危険を見えなく
してしまった。その結果、今回のような大惨事が生じ、先の大地震の時のように液状化や緩い地盤のところの家は簡単に傾いて
しまった。
家を建てるときは、その土地の経歴や造成の一部始終を十分に把握して建てなければならない。これは教訓である。この石碑から
海寄りには家を建てるなと先祖たちは教えていたにもかかわらず便利さだけを考えて家を建て、その結果、家を失った人が何人いた
だろうか。
今回の大惨事は復旧に多くの時間を要するものと思われる。そして、そこに住み続けるとしても大いなる決断が必要だ。大規模な
がけ崩れが起こりやすい土地であることが明らかになったわけだから住み続けるにしてもそれなりの覚悟は必要だろう。
これからも気象異変による自然災害は激しさを増すに違いない。そうしたことも早くから警告されていたことである。温暖化に
よる気候変動は激しさを増すようになっている。平穏なときとそうでない時との振幅が大きくなっているからだ。亡くなられた
方々のご冥福を心からお祈りいたします。
さて、我が家では従来になく大量のブルーベリーの収穫が今も続いている。営々として苗を作り、苗を育て、なお定植してから
その場所を肥やし土壌づくりを続けてきた。その結果、全ての木が莫大な実を付けるようになった。例を挙げると温室の裏に植えた
木であるが、苗そのものの出来の良くなく枯らすのはかわいそうだと思い石ころだらけの狭い空間に仮に植えたものである。
ただ、ここ数年、根基にEMを欠かさず撒きつづけた結果、思いがけなく大きな木に成長し、木が若く勢いがあることもあって
大きな実をたくさんつけた。実に驚きである。
その他、長い間、小さな鉢でそのままにしておいたものを全て一回り大きな鉢に移し替えた。これもたくさん実を付けた。
便宜的に山の畑に植えたものも枝が垂れるほどの実を付けた。このように全てが重なって大量の収穫になったようだ。そして
何より良かったのは早くからネットをかけたことだ。元々は野鳥対策のつもりだったが毎年のように悩まされていたイラガが
全く付かなかったことである。葉を食べられることもなく収穫の時に刺されることも一切なかった。
従来はイラガの発生期が収穫の時期と重なるため農薬に頼ることも出来ず、ほとほと困っていた。このようにして我が家の
ブルーベリーは無農薬、無肥料、無除草剤、全くの自然栽培である。なお、ジャムも添加物なしの100%ブルーベリーのもので
ある。ぜひ入用の方はご相談ください。少しならお分けできます。
たわわに実を付けたブルーベリーを見ていると、自然はあるべき姿に立ち戻ると何もしなくてもそれなりの恵みを与えて
くれるものだと言うことが良くわかる。縄文の時代に思いを巡らすとき自然との共生が恙なく(つつがなく)行われていた頃は
海も山も恵みでいっぱいだったことが容易に想像できる。自然を壊すことなく、搾取することなく生活していれば飢えに苦しむ
こともなかったのだと思われる。自然とともに生き自然に抱かれて死んでいく、そこには悩みも苦しみもなかったのではないだろうか。
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