人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

賃上げが急務

2008-01-24 06:28:26 | Weblog
 浜松市で昨年11月、空腹のホームレスの女性が市役所に運ばれ、
福祉担当職員らが取り囲むなか心肺停止状態となり、翌日死亡した。
敷地内の路上で寝かされ、市が与えた非常食も開封できないまま
息絶えた。「すべきことはやった」と市は説明する。だが、なぜ
あと一歩踏み込めなかったのか。女性の死は重い問いを投げかけて
いる。

 一方では日本経済新聞のトップにこんな記事も報じられている。
2005年時点で生活保護を受けている、約55万6000人の
高齢者(65歳以上)のうち、52.9%の29万4000人が
公的年金を受け取れない「無年金者」であることが厚生労働省の
調査で分かった。保険料未納などで空洞化する公的年金の役割を、
生活保護が事実上肩代わりしている実態を浮き彫りにしている。
年金と生活保護の関係を含め、社会の安全網全体を再設計する
社会保障改革が急務になっている。

 無年金者は、保険料の納付期間が最低基準の25年に満たず
年金の受給権のない人や、制度に一度も入ったことがない人は
現行制度では年金は全く受け取ることができない。

 実は私の知り合いにも同じような事情で無年金者がいる。この
人は職人さんだったが、現役時代に国民年金に入った方が良いと
いう話すら知らなかったと言っていた。今になってみれば何故、
加入していなかったのかと悔やまれると言っていた。

 意外に、こんな人が多いのではないだろうか。将来、生活困窮者に
なるかも知れないことが分かっていながら何故、加入促進をして
こなかったのだろうか。社会保険庁の怠慢が悔やまれる。その挙げ句
に未だ該当者不明の約5000万件の年金納付記録があるという話を
聞けばますます腹が立ってくる。

 今年の冬は原油の値上げの影響から物価上昇が相次いでいる。年金
生活者には厳しい冬である。昔、お金のことを「お足」と言っていた。
お金は足が着いているように勝手気ままに歩き回るからであろう。
 
 お金は「お足」と言うように一カ所に止まっていたのでは、意味が
ない。自由奔放に動き回るからこそ経済に潤いが出てくるのだ。しかし、
現状はどうだろう。過保護とも言えるほど大企業や一部のお金持ちの
ところへお金は集まっている。

 こうしたお金は投資や外国で使われることはあっても、国内では
ほとんど使われていない。それどころか外国に投資したお金はどんな
事情で消えてしまうか分からない。それが今回のサブプライムローン
による大損失ではないだろうか。

 かつて日本の主だった銀行はバブル景気で大儲けをし、その後の
バブル崩壊では大損をして企業倒産の憂き目にあった。その時、政府
は莫大なお金を出して支援した。そのお金は国民からかき集めた税金
だった。

 その銀行が事もあろうに、また外国(アメリカ)に投資して大損を
しているのである。いったい投資したお金はどこに消えたのだろうか。
アメリカのロックフェラーなど大富豪の懐に取り込まれたのだろうか。

 一方、国内に目を向けると生活困窮者が溢れている。お金にまつわる
事件も少なくない。これからは年を追う毎に高齢者が増えていく。
そうした人達の半数近くが無年金者だとすると、どのような対応を
取ろうと言うのだろうか。

 バブル崩壊後の10年間は極度のデフレだった事もあって、給料は
ほとんど据え置き状態だった。しかし、ここへ来て評論家達も口を
揃えて企業の怠慢を口にしている。バブルを理由に労働者の給料を
上げてこなかった。

 外国に投資するお金はあっても従業員の給料は据え置きのまま来た
のである。これは企業経営者だけの責任ではなく、労働組合幹部や
連合などの怠慢という他はない。

 お金は自由に走り回ってこそ意味のあるものなのだ。労働者に適正
な賃金を払う。そのお金が購買力を高め、経済が活性化する。経済が
活性化すれば必然的に税金も増える。少子化の問題にも歯止めがかかる
かも知れない。

 働いても働いても給料は据え置かれたままで来た。中には派遣業と
称して労働者の派遣先から受け取る金の法外な上前をはねていた会社
もあった。大企業でさえサービス残業を強いていた。過労死になる人
さえいたのが実状だった。

 こんなにして稼いだお金の多くはアメリカに取られてしまったのだ。
そのアメリカでは日本以上に生活困窮者が増えている。グローバル
経済という疫病神は多くの人を露頭にさまよわせることになっている
のだ。私たちは何がそうさせているのか、私たちにとって何が大切な
事なのか、もっと足元を見直さなければならない。

 お金は住んでいる地域で回って意味あるもの。それがお足のお足たる
所以なのだ。今のように大企業が吸い上げて、不毛の大地に吐き出す
ような経済では、私たちの生活は救えない。
 



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