人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

JR北海道の不祥事に思う

2013-09-28 04:10:02 | Weblog
 かつて在職中にTPMというものに取り組んだ時のことを思い出している。
TPMとは耳慣れない言葉だが、思い出される方も多いのではないかと思う。
私のように工場で設備のメンテナンスに関わった人間なら多少なりとも
思い出す方が多いのではなかろうか。

 TPMを略せば「トータルプロダクティブメンテナンス」TPMを取り組んだ
会社のページを開けば、このような説明がなされている。
”TPM”とは、
生産システム効率化の極限追求をする企業体質作りを目標にして
生産システムの「災害ゼロ・不良ゼロ・故障ゼロ」など、 あらゆるロスを
未然防止する仕組みを構築し、生産部門・開発・営業・管理など全員が参加し
各部門の小集団活動を重複させ “ロスゼロ”を達成する。

 この活動に取り組んで教えられたことは、考えてみれば至極当たり前の
ことだが、機械が壊れて生産がストップすることも、生産量がダウンする
ことも全ては機械を管理している設備管理部門や生産現場にある。広く言えば
会社全体のあるいは工場全ての従業員に責任があるというものであった。

 つまり設備や機械を壊さないように生産を続けていくには、それを管理する
人間がしっかりした意識を持ちながら任せられた部門の仕事をきちんやっていく
ことが前提となっていた。しかし現実にはなかなか難しいことであった。

 設備や機械にトラブルがあれば現場と設備管理部門の責任のなすりあいの
ようになってしまい、なかなか再発防止には繋がらない。こうして生産は
しばしば止まってしまうようなことも少なくなかった。

 簡単に言えば人間サイドの意識を変えない限りいつまでたっても事態は
改善されないと言うことである。

 悲惨な大事故だったJR宝塚線の事故に関する判決が出た。歴代の社長の
責任は問わないという判決であった。果たしてそれで良いのだろうか。
TPMの考えでは全責任は組織全体にあるというものであった。

 この世の中は全てを人間が支配している世の中である。出来事のすべては
人間サイドに起因していると言っても過言ではない。先の東北大震災の被害
にしても一見不可抗力のように見えるけれども、先人たちは様々な教訓を残して
くれた。しかしこうした貴重な経験が生かされていなかった。

 ここから先へは家を建てるなという石碑を無視して新しく建つ家はどんどん
海へ近づいて行った。地震が来たら何はともあれいち早く山のほうに逃げろと
言う教訓も生かされていなかった。全ては人間サイドの問題であった。

 このようにこの世に生ずることの全ての原因は人間にあると言っても
過言ではない。毎日きちんと機械を点検し異常があればいち早く修理や
給油を行う。機械に過剰な負荷をかけない。当たり前のことを当たり前に
していれば、そう簡単に機械は壊れるものではない。経年劣化と呼ばれる
ものにしても、その機械の特性を知ったうえで早めに部品交換をしていれば
壊して生産を止めることはない。全ては人間が意識して初めて解決できる
問題である。

 ではJR北海道の場合はどうであろうか。線路の幅が規定値を超えていても
何もせずに放置していたなど設備管理以前の問題である。そこに何があったのか。
JR宝塚線の事故の時も過剰なまでの過密ダイヤのことが問題になった。
そして若い運転手にはそれまでに何度か運転ミスがあって上司の厳しい監視の
中にあった。その日もダイヤの遅れを取り戻すため急カーブを定められた
速度以上のスピード以上で運転していた。

 背景には過密ダイヤと厳しい労務管理、更には運転手の配属が適材適所
だったのかという問題もある。そうしたこと全ては現場サイドの問題と
言うより、人事管理や過密ダイヤを組んだ会社の経営方針の方に問題が
あったのではなかろうか。

 JR北海道の場合、今のところ幸いにも人身事故には至っていないようだが
鉄道事故は怖い。普通の生産現場なら生産が止まるだけで済むことだが
鉄道事故はダイレクトに人身事故につながる恐れがある。

 やはりJR北海道の組織内に何か大きな問題が発生しているような気がして
ならない。旧国鉄が民営化という名のもとに細分化されて今日の姿になった。
もともと乗降客の少ない地域を持つ北海道や四国など採算が難しいところが
少なくない。そのために合理化と称して支線が廃線となっていった。
そのため廃線となった過疎地はますます不便になり過疎地化に拍車をかけた。
国鉄の細分化が果たして良かったのか。民営化するにしても方法は幾つも
あったはずである。

 今回の原発問題も大都会である東京の大電力を賄うために福島という
東京から遠く離れた場所に大規模な原子力発電所を作ってきた。すべては
東京のためであった。大都会だけが潤い、その陰で地方が犠牲になるような
図式を変えなければならない。

 鉄道も細分化するのではなく東京や大阪や中京地区で稼いだお金で地方の
赤字路線をカバーすれば良い。鉄道が一般の会社のように過剰なまでに稼ぐ
必要はない。便利になっていくところと、ますます不便になっていくところが
あってはならないと思うのである。

 さてJR北海道問題、どのようになっていくのであろうか、早めの解決を
期待したいものである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋の実り | トップ | EMの力 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事