人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

桜の季節

2009-04-11 06:05:37 | Weblog
 4月10日、家内と一緒に津山市にある鶴山公園に行って来た。
壮大な石垣が残る境内には、ソメイヨシノ等、数千本が咲き誇る
日本有数の桜の名所である。

 私達が訪れた日は、申し分のない桜日和であった。空はからりと
晴れ渡り、日中の気温は汗ばむほどであった。市内には箕作阮甫の
旧宅など古い町並みが残っている。ここは出雲街道の要衝に当たる
街であった。

 故に、徳川幕府になってこの地に入封した森忠政が十数年の歳月
をかけ、壮大な平城を築いたのではなかろうか。また、古い町並み
の残るこの街では、フーテンの寅さんの撮影が二度に渡って行われ
るなど、映画のロケ地としても最適な町並みである。

 しかし、市内を廻ると朽ち果てようとしている空き家が目立つ。
この街を出ていって帰って来ることのない人たちの家であろうか。
それとも家系が絶えてしまった家であろうか。その数の多さに
驚かされる。

 また、どこの街でも同じような状況ではあるが、駅前のさびれ様は
何とも表現しがたい。平日だった事もあるだろうが、街を歩いている
人が少ない。この日イベントが行われていた繁華街も比較的人が少ない。
こんなところにも昨今の地方都市の衰退が伺われる。

 さて、鶴山公園の桜であるが、まさに見頃であった。この公園の桜
は下から見上げるのも良いが、天守閣址などから見下ろす景色も良い。
夕方になると少し風が出た。その風に乗って花びらが舞い、得も言わ
れぬ眺めであった。時には下から吹き上げる風にも乗り、さながら
花びらに抱かれるような心地であった。

 又、夕日が落ちる時間であった。遠く山並みに沈み行く夕日の中で
花の色が白からオレンジに変わり、なかなか捨てがたい眺めであった。
夜桜の時間まで居て、ここで弁当を食べ、花見で賑わう団体客の声を
聞きつつ、この場所を後にした。

ところで先日は、私達の頭上を北朝鮮のミサイルが飛んだ。成功だった
のか失敗だったのか、かの国の事である。知る由もない。

 一時は抑撃体制まで敷いたが、その後どうしたのか報道がないまま
に終わってしまった。人々の関心は、はや衆議院の解散や補正予算に
向いている。

 このミサイル問題に触れて、あろう事か自民党議員の中には日本の
核武装論まで飛び出したと言うから驚きである。例え冗談としても
被爆国日本の国民感情を逆撫でするような発言である。

 北朝鮮という国は、私達の常識が通用しない国である。そのような
国を相手に目くじらを立てるような事ではない。黙って相手にしな
ければよい。それが大人の常識というものではなかろうか。子供を
相手に腹を立てているようなものである。

 それより声を大にして発言すべきは、核軍縮ではないだろうか。
国連の中でも賛成の得られない北朝鮮の制裁決議をするよりも
核軍縮論からミサイル問題を論ずるべきではなかったろうか。

 既に北朝鮮は核武装をしているのではないかと言われている。
その核を積んで飛ばすミサイルを開発している。今や世界には
アメリカ、ロシアだけでなく、多くの国が核武装をしている。
核武装をしている国が開発途上国に開発を止めろと言っても説得力
がない。

 むしろ唯一の被爆国である日本の代表こそが、発言すべき言葉で
あろう。その国の国会議員から核武装発言があったと聞けば世界の
人は何と言って笑うであろうか。

 アメリカの新大統領オバマ氏から核の問題を初めとして軍縮問題が
提起されているようだ。世界の無駄遣いである軍事予算の何分の一
かを削れば世界の環境問題も飢餓問題も開発途上国の問題も一気に
解決すると言われている。

 人類はこれだけ優れた文明を築きながら、なおも戦力にこだわって
いる。国内に多くの飢餓人口を抱えながらも紛争の絶えない国が
アフリカには多い。武器を作り売らなければ良い話である。まさか
槍や弓や刀で闘うバカはいないだろう。

 孫の玄が入園した。近くの幼稚園である。やっと三歳になったばかり
である。これからの人生は長い。そして、これからはどんな世の中に
なるのだろう。全ては彼自身の人生である。幸多かれと祈るばかりで
ある。

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