4年に一度のスポーツの祭典、北京オリンピックがいよいよ開幕した。
開会式当日は会場に雨を降らさないようにするため、前もって沃化銀等
を空中散布し事前に雨を降らせ、雨雲を消すという念の入れようで
あった。
しかも演出がすごかった。さすが文字の国だけあって文字に関わる
演出は見応えがあった。花火が炸裂するメイン会場は爆発的な経済
発展を続けてきた(今も続いている)中国の現状を象徴している
ようであった。
しかし、内憂外患、中国に悩みがないわけではない。13億という
国民の中には様々な民族がいる。特にチベット族やウイグル族には
中央政府の強い締め付けに対し大きな不満を持っている。
オリンピック直前には四川大地震という想像もしなかったような
大きな地震が発生し、多くの犠牲者を出した。倒壊した建物の大半が
耐震基準にも満たないようなものであった。そもそも、この国に耐震
基準なるものがあるのだろうか。
多くの学校が倒壊した背景には、建築業者と役人との癒着が指摘
されている。地方と都市部の経済格差も大きな問題である。貧困と
疲弊しきった農村部からは、親や子を残して働きに出なければならない
と言う厳しい現実がある。
奴隷まがいの事も平然と行われている。袖の下(ワイロ)がなければ
動かないと言う行政、権力には弱く一般大衆には強圧的な地方官僚。
汚職と政治腐敗、この国の断ち切れない過去からの体質が未だに残って
いる。それどころか国の富が大きくなれば、過去以上にに現実はひどく
なっているのではないだろうか。
急速な経済発展は北京オリンピックを大きな目標にしてきた。かつて
の日本のように国の形を変えてしまうような大きな土木工事が各所で
行われている。
一方、監視や環境行政の行き渡らないところでは廃水の垂れ流しや
大気汚染が深刻さを増している。大会メイン会場のある北京の大気汚染
はひどい。遠くが霞んで見えないような状態だ。この中で競技しなければ
ならない選手は大変だ。全ては経済発展を最優先に考えてきたことに
よるものだ。
ともあれ、大会は始まったばかりである。まずは成功裏に終了する
ことを願っている。ゆめゆめテロなどがあってはならない。
しかし、問題なのは大会終了後であろう。全てはオリンピックの
ためと目標を定めてきた。その熱気はいつまでも続くものではない。
夢から覚め現実に戻ったときに大衆は何を思うのであろうか。虚無感
だろうか。それとも更なる発展を目指すのだろうか。
しかし、東京オリンピックと比較すると現実はあまりにも厳しい。
第一、経済発展の基礎となるエネルギーが圧倒的に足らないし、価格
が高騰している。それは原油だけではない。あらゆる資源が需要に
追いつかなくなっている。
13億という国民を有する国の必要量は日本の比ではない。この
巨大な象の腹を満たすだけの資源があるのだろうか。生活に欠かせない
水資源でさえ足りないというこの現実をどのように克服するのだろうか。
大河揚子江の下流域に水は一滴も残っていない。何かしら中国という
巨大国家の将来を暗示するような現実である。
さて、平和の祭典と言われながら国際的にはグルジア共和国とロシア
との間に戦争が起きている。イラク問題はそのままの状態が続いている。
いつになったら本当の平和の祭典と言える日が来るのだろうか。
開会式当日は会場に雨を降らさないようにするため、前もって沃化銀等
を空中散布し事前に雨を降らせ、雨雲を消すという念の入れようで
あった。
しかも演出がすごかった。さすが文字の国だけあって文字に関わる
演出は見応えがあった。花火が炸裂するメイン会場は爆発的な経済
発展を続けてきた(今も続いている)中国の現状を象徴している
ようであった。
しかし、内憂外患、中国に悩みがないわけではない。13億という
国民の中には様々な民族がいる。特にチベット族やウイグル族には
中央政府の強い締め付けに対し大きな不満を持っている。
オリンピック直前には四川大地震という想像もしなかったような
大きな地震が発生し、多くの犠牲者を出した。倒壊した建物の大半が
耐震基準にも満たないようなものであった。そもそも、この国に耐震
基準なるものがあるのだろうか。
多くの学校が倒壊した背景には、建築業者と役人との癒着が指摘
されている。地方と都市部の経済格差も大きな問題である。貧困と
疲弊しきった農村部からは、親や子を残して働きに出なければならない
と言う厳しい現実がある。
奴隷まがいの事も平然と行われている。袖の下(ワイロ)がなければ
動かないと言う行政、権力には弱く一般大衆には強圧的な地方官僚。
汚職と政治腐敗、この国の断ち切れない過去からの体質が未だに残って
いる。それどころか国の富が大きくなれば、過去以上にに現実はひどく
なっているのではないだろうか。
急速な経済発展は北京オリンピックを大きな目標にしてきた。かつて
の日本のように国の形を変えてしまうような大きな土木工事が各所で
行われている。
一方、監視や環境行政の行き渡らないところでは廃水の垂れ流しや
大気汚染が深刻さを増している。大会メイン会場のある北京の大気汚染
はひどい。遠くが霞んで見えないような状態だ。この中で競技しなければ
ならない選手は大変だ。全ては経済発展を最優先に考えてきたことに
よるものだ。
ともあれ、大会は始まったばかりである。まずは成功裏に終了する
ことを願っている。ゆめゆめテロなどがあってはならない。
しかし、問題なのは大会終了後であろう。全てはオリンピックの
ためと目標を定めてきた。その熱気はいつまでも続くものではない。
夢から覚め現実に戻ったときに大衆は何を思うのであろうか。虚無感
だろうか。それとも更なる発展を目指すのだろうか。
しかし、東京オリンピックと比較すると現実はあまりにも厳しい。
第一、経済発展の基礎となるエネルギーが圧倒的に足らないし、価格
が高騰している。それは原油だけではない。あらゆる資源が需要に
追いつかなくなっている。
13億という国民を有する国の必要量は日本の比ではない。この
巨大な象の腹を満たすだけの資源があるのだろうか。生活に欠かせない
水資源でさえ足りないというこの現実をどのように克服するのだろうか。
大河揚子江の下流域に水は一滴も残っていない。何かしら中国という
巨大国家の将来を暗示するような現実である。
さて、平和の祭典と言われながら国際的にはグルジア共和国とロシア
との間に戦争が起きている。イラク問題はそのままの状態が続いている。
いつになったら本当の平和の祭典と言える日が来るのだろうか。
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