世の中、物情騒然として落ち着かない日々である。そして、遠く過ぎ去った幼き日々が無性に
懐かしい昨今である。そう、あの幼かった子どもの頃の穏やかだった日々。一日が何となく始まって
何となく静かに終わっていく。あの、心安らかな日々はどこへ行ってしまったのだろう。
あの頃は、さして変化のない同じ日々の繰り返しであった。娯楽と言うほどのものは何もなく
ラジオがあればあるくらいで、テレビもなく日常茶飯事のようなお祭り騒ぎもなかった。賑やか
だったのは年に一度の秋祭りと正月、ついでに言えばお盆くらいのものであった。
誰が呼んだのか時々、お薬師さんの境内で伊勢の大神楽があった。そして子ども達の唯一の
楽しみは紙芝居であった。朝から晩まで山や川や路地裏で遊び回っていた。
今の世は便利になった豊になったと喜んでいるが失ったものも少なくない。いつの頃からこんな
世の中になってしまったのだろう。少なくともテレビが大きな陰を落としているような気がして
ならない。
不安の上に不安をかき立てるものがいる。それがテレビを初めとするマスコミではないだろうか。
ニュースという域を超えてマスコミが世論操作をしているような気がしてならない。これでは言論
統制をしている中国などと何ら変わらない。表に現れないだけに質(たち)が悪いと言えよう。
知らぬ方が幸せであることも少なくない。知っていても心配の種を増やすだけである。原発の
被害がそうである。わずかばかり明らかにされたことで大騒ぎをしているが、明らかになっていない
ことや明らかにされていないことも実はたくさんある。
知ってどうしようというのだろう。人は原発だけでなくとも死ぬときは死ぬ。原発事故は免れても
交通事故で死ぬことだってあるだろう。人の運命や命などというものは、おおよそ知ることの出来ない
ものである。
たとえば台風が来ると言っても個人レベルで何が出来ると言うのだろうか。一時しのぎの対策を
しても想定以上のものがやってくれば今回のような大惨事になってしまうのである。知っていても
知らなくても被害を受けることに変わりはない。
どんな手を打ってもどうにもならないものもたくさんある。どうにもならないものは、どうにも
ならないのである。ましてや人の生き死には神のみぞ知ることである。
禅宗の総本山である永平寺の高僧は「人はどのように死ぬかが問題なのではなく、どのように
生きるかが問題」だと言っている。
もう不安をかき立てるのは止めよう。マイナスイメージはますますマイナスを呼び寄せるだけだ。
もっと明るい未来を展望してみよう。そんな未来がきっとあるはずだ。
最近、盛んに論じられていることに「引き寄せの法則」なるものがある。幸せを引き寄せようと
しても一方で過去に捕らわれていたのでは幸せにはなれない。楽しいことだけを考えていれば良い。
マイナスイメージに繋がるような言葉も禁句である。人の悪口を言うのも良くない。
全ての不幸や災いは自らの思考が作り出したものが映し出されたものである。悪口やマイナス
イメージは天に向かって唾を吐くようなものなのである。人を喜ばせるような言葉や人を喜ばす
ような言葉を発していれば必ず自分にも良いことが返ってくる。それが「引き寄せの法則」なの
である。
何も事新しいものではない。これら全て先人達が教訓として私達に教え伝えてきたものである。
多くの事故や自然災害は物理的な観点からの説明も可能であるが、反面、私達の何となく落ち着か
ないという不安な心がこれらを引き寄せていると言えはしまいか。
いっこうに景気が良くならない。これもマスコミの宣伝が行き渡りすぎているような気がしてならない。
開発途上国と頂点を極めた経済大国日本が同じように行かないのは当たり前のことである。成熟した
経済社会だと考えれば納得の行く話である。
かつて日本も天井知らずのバブル経済に浮かれた時代もあった。その時、既に経済崩壊の兆しは
あったのだが、誰も気付かず気分だけは妙に明るく高揚していた。経済も気分次第で変化するという
事例であろう。
全ては私達の思いが反映したものである。私達の見ているものは現実に思えて、あるいは幻想かも
知れないと言うことである。マイナスに繋がるようなものは全て捨て去ろう。明るい未来が待っている。
懐かしい昨今である。そう、あの幼かった子どもの頃の穏やかだった日々。一日が何となく始まって
何となく静かに終わっていく。あの、心安らかな日々はどこへ行ってしまったのだろう。
あの頃は、さして変化のない同じ日々の繰り返しであった。娯楽と言うほどのものは何もなく
ラジオがあればあるくらいで、テレビもなく日常茶飯事のようなお祭り騒ぎもなかった。賑やか
だったのは年に一度の秋祭りと正月、ついでに言えばお盆くらいのものであった。
誰が呼んだのか時々、お薬師さんの境内で伊勢の大神楽があった。そして子ども達の唯一の
楽しみは紙芝居であった。朝から晩まで山や川や路地裏で遊び回っていた。
今の世は便利になった豊になったと喜んでいるが失ったものも少なくない。いつの頃からこんな
世の中になってしまったのだろう。少なくともテレビが大きな陰を落としているような気がして
ならない。
不安の上に不安をかき立てるものがいる。それがテレビを初めとするマスコミではないだろうか。
ニュースという域を超えてマスコミが世論操作をしているような気がしてならない。これでは言論
統制をしている中国などと何ら変わらない。表に現れないだけに質(たち)が悪いと言えよう。
知らぬ方が幸せであることも少なくない。知っていても心配の種を増やすだけである。原発の
被害がそうである。わずかばかり明らかにされたことで大騒ぎをしているが、明らかになっていない
ことや明らかにされていないことも実はたくさんある。
知ってどうしようというのだろう。人は原発だけでなくとも死ぬときは死ぬ。原発事故は免れても
交通事故で死ぬことだってあるだろう。人の運命や命などというものは、おおよそ知ることの出来ない
ものである。
たとえば台風が来ると言っても個人レベルで何が出来ると言うのだろうか。一時しのぎの対策を
しても想定以上のものがやってくれば今回のような大惨事になってしまうのである。知っていても
知らなくても被害を受けることに変わりはない。
どんな手を打ってもどうにもならないものもたくさんある。どうにもならないものは、どうにも
ならないのである。ましてや人の生き死には神のみぞ知ることである。
禅宗の総本山である永平寺の高僧は「人はどのように死ぬかが問題なのではなく、どのように
生きるかが問題」だと言っている。
もう不安をかき立てるのは止めよう。マイナスイメージはますますマイナスを呼び寄せるだけだ。
もっと明るい未来を展望してみよう。そんな未来がきっとあるはずだ。
最近、盛んに論じられていることに「引き寄せの法則」なるものがある。幸せを引き寄せようと
しても一方で過去に捕らわれていたのでは幸せにはなれない。楽しいことだけを考えていれば良い。
マイナスイメージに繋がるような言葉も禁句である。人の悪口を言うのも良くない。
全ての不幸や災いは自らの思考が作り出したものが映し出されたものである。悪口やマイナス
イメージは天に向かって唾を吐くようなものなのである。人を喜ばせるような言葉や人を喜ばす
ような言葉を発していれば必ず自分にも良いことが返ってくる。それが「引き寄せの法則」なの
である。
何も事新しいものではない。これら全て先人達が教訓として私達に教え伝えてきたものである。
多くの事故や自然災害は物理的な観点からの説明も可能であるが、反面、私達の何となく落ち着か
ないという不安な心がこれらを引き寄せていると言えはしまいか。
いっこうに景気が良くならない。これもマスコミの宣伝が行き渡りすぎているような気がしてならない。
開発途上国と頂点を極めた経済大国日本が同じように行かないのは当たり前のことである。成熟した
経済社会だと考えれば納得の行く話である。
かつて日本も天井知らずのバブル経済に浮かれた時代もあった。その時、既に経済崩壊の兆しは
あったのだが、誰も気付かず気分だけは妙に明るく高揚していた。経済も気分次第で変化するという
事例であろう。
全ては私達の思いが反映したものである。私達の見ているものは現実に思えて、あるいは幻想かも
知れないと言うことである。マイナスに繋がるようなものは全て捨て去ろう。明るい未来が待っている。