575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

ベイシーのピアノポロロン春の宵 朱露

2008年02月16日 | Weblog

  大昔カウント・ベイシーを名古屋で聴いた。
  フルバンドが轟く隙間に彼のピアノが少々。
  自分のバンドなのに何という奥床しい人だ。
  リーダーはこうでなくちゃと青年の私感涙。
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雀すら愛を語るに梅が宿                 草女

2008年02月15日 | Weblog
 梅は全てを兼ね備えている樹である。花も実も良い。花は品格があり清楚かつ豪華。寒中に咲く力強さに加えて芳香がある。一本でよく、梅林になり賑わっても良い。実は食用から薬用、さらには染物を定着させるばい媒染剤まで広く利用されてもいる。
 自生説もあるが、弥生時代に稲とともに渡来し、奈良時代に広く植栽されるようなったというのが定説。万葉集には118首の梅の歌が詠まれ萩についで二番目に多い。平安時代以降は、桜の陰に隠れてしまったが、再びスポットライトを浴びたのは江戸時代で、300種か作り出されるブームが起こった。
 梅が人々に愛された証拠がある。それは花や葉が梅に少し似ているということでウメという名を取り込んだ植物の多さである。ウメバチソウ・ウメガサソウ・バイカモ・バイカウツギ・バイカツツジ・ウメモドキ・ユスラウメ・ロウバイ等など限りがないほど多い。
 バラ科サクラ属の落葉小高木。基本的には5個の丸い花弁が可愛く、雄蕊がその中を飾る。雌蕊はその中心にあるが遅れて成長するらしく見つけるのは難しい。
 実をとるために栽培されている木でも自家受粉(自分の雄蕊と雌蕊の受粉)で結実することはない。だから、実をつけさせるためには、他の木を傍らに植えてやらねばいけない。
 梅一輪、一輪ごとの暖かさも感じにくい今日この頃の寒さだが、やっと開花の便りを聞くようになった。暦だけの春や光の春ではなく、ほんとうに梅が満開になる春が待ち遠しい。

  東より春は来ると植えし梅           高濱虚子
  二もとの梅に遅速を愛すかな          蕪村
  死が綾なすこの世の梅の白多彩         原子公平

★タイトルをクリックすると写真が拡大し、コメントできます。コメントにURLはふひつようです。
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心の隙間   麗

2008年02月14日 | Weblog
昨日の志考さんの訃報もそうですが
今年に入って友人のご両親が相次いで亡くなったりと
なんだか淋しさがつのります。

岡本眸の句集の中に

  さみしさはこころの隙間日脚伸ぶ

という句がありました。
日暮れが遅くなってホッとする反面、
そのわずかなゆとりにさみしさが入り込むようです。
そんなわけのわからないさみしさを皆さんはどのようにやり過ごすのでしょうか?
がんばって俳句でも作りましょうか。。
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志考さん逝く    遅足

2008年02月13日 | Weblog
志考さん(桜井恵志さん)が一昨日、亡くなられました。

575の会は、志考さん、朱露さん、遅足と3人で
あるテレビ番組を制作したことがキッカケとなってスタートした会。
3年ほど前から体調を崩されて入院生活を送ってみえました。

俳句歴は、数十年と聞いています。
志考さんは、奥さんの病気をきっかけにキリスト教に入信。
通夜にあたる前夜式では、参列者の方が、志考さんの句を紹介されました。

 背負い水未だあるらし春に遇う   春

 後戻りできぬ哀しみ蝸牛      夏

   背負い水とは、人が一生に飲む水のことで、
   生れて来る時に、背負ってくるされ、
   飲み尽くせば命が終ると、言われているそうです。

これは安田屋発・晩餐句集2のなかの句です。
この他の、戦争・秋・冬のなかから一句づつ選んでみました。

 日の丸の赤は血の色敗戦忌    (戦争)

 ちちろ棲むわが心室の鳴動す    秋

 凍て蝶や瞬きの間にふっと消ゆ   冬



     つつしんで、ご冥福をお祈りします。  遅足




 





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さながら浄土   鳥野

2008年02月12日 | Weblog
所用で時々出かける天白区にある「極楽西」というバス停。地名からとったものですが、有り難や。
ここに佇っていて西風が吹いてくれば、それはまさに”涅槃西”。さながら西方浄土でバスを待つという気分でしょう。

さて、もうすぐ、2月15日は涅槃会。お釈迦さまの亡くなった日に遺徳を追善するための法事です。
本尊は涅槃図。

沙羅双樹の下に横たわる遺体の回りには、諸仏も王も俗人も52種類の鳥獣も、あらゆる生き物が集まって、嘆き悲しんでいます。

ただし、猫めは例外、さもありなんです。うちの子を見ていても、駆けつける気配はありません。

  山寺や誰も詣らぬ涅槃像  大魯

  あばら骨露はに釈迦の寝ねませり  山口誓子

  ピエタよりきらびやかなる涅槃図や  相生垣瓜人

  涅槃の座たまはば吾は寝てしまう  橋本美代子
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雪・月・花                 愚足

2008年02月11日 | Weblog
 久しぶりの大雪。それも夜中に積もるのではなくて、昼間の二三時間限りなく舞い降りる雪。見る見る別世界へと変わっていくのを目の当たりにした。
 テレビゲームの好きな孫たちも窓の外に釘付け。積もった新雪を踏みしめて公園に出かけた。三歳の幼子は見慣れた公園の変身に怖気づいたくらいだ。

 詩歌の世界でよく雪・月・花と言われるが、月と花の存在感は圧倒的で詠まれた数も古代より数え切れない。
 しかし「雪」については月・花に比べれば何と影の薄いことか。
 一説によれば、雪の影響を強く受け、雪を象徴体系として持ちうる山陰などが、九州・畿内の権力中枢から遠く疎外されていたいたら、とも語られている。
 ともあれ、雪空間が呼び起こすパワーは月・花に負けるものではないのだが。

 山鳩よみればまはりに雪が降る      高屋窓秋
 降る雪や地上のすべて許されたり     見野山朱鳥
 高階に受胎告知の雪霏々と        鈴木六林男
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愛の香り             愚足

2008年02月10日 | Weblog
 妻が胃腸風邪で寝込んだ。
 だいぶ良くなったのか、雑炊と白身の魚が食べたいという。
 ここは一番、点数を稼ぐチャンス。
  スーパーに行って材料を物色。
 まず白身の煮魚には、刺身でも良いという平目を奮発。
 つぎは雑炊。妻のお好みは、卵雑炊の三つ葉散らし。
 三つ葉に高級品はないかと、物色すると。あるではないか!
 青みも一段と濃く、のびのびと育った三つ葉だ。お値段も380円。
 愛妻の一念が三つ葉にも宿ったか。

 早速、料理にかかる。平目は薄味だが吾ながら美味く煮上がる。
 あとは雑炊。 卵の溶き加減も絶品で、あとは三つ葉を散らすだけ。
 サッと刻んで鍋に放り込む。強い、いや強烈と言って良いほどの高級な三つ葉の香り。これが本当の三つ葉と言うものだったのだ。
妻は「美味しい、美味しい」と言って平目の隅々まで食べている。
 「おい 雑炊も美味いぞ!」
 妻は一口食べて箸を置く。 確かに三つ葉の香りが強烈だ。雑炊は残った。

 夜、妻の大笑いが聞こえる。「何だ。」と言うと「あれパクチーよ」と言ってまた笑う。
ネットで調べる。
パクチー・・香菜とも言い、タイ料理には欠かせぬ香味野菜。匂いが強烈カメムシとドクダミを合わせた様な香りがあり、好き嫌いがはっきり分かれる。最近日本のスーパーでも売られている。

   三つ葉食べぬ子とあり吾もかくありき     原田種茅
   三つ葉芹匂ひのつよき裏筑波         掘込生郷

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茅花噛むこれ甘みかな甘みかな    朱露

2008年02月09日 | Weblog

  茅花(つばな)は茅(かや)の花穂です。
  始めの「かな」は「疑問」後は「詠嘆」。
  砂糖がなくなった毎日を想像して下さい。
  できませんね。その頃の幽かな「甘み」。

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孟宗竹                草女

2008年02月08日 | Weblog
 海上の森の中にはいくつかの竹林があり、その1つにモウソウチクの林がある。
 2月の初めの風に長い棹の先どうしが打ち合い、澄んだ音をたてている。かぐや姫が入っても丁度良い大きさ、直径20cm高さが20mぐらいもある。
 孟宗竹が日本に渡来したのは江戸時代。児童文学者の那須正幹氏の「銀太捕り物帳・お江戸のかぐや姫」というお話の中に、園芸好きの旗本のご隠居が孟宗竹について語る場面がある。
「孟宗竹というのは、薩摩藩のお止め草でなあ。江戸のはじめの頃には薩摩屋敷にしかなかったのじゃが、出入りの植木屋がこっそり株を持ち出してそれが世間に広まったのじゃ。可哀想な事に持ち出した植木屋は薩摩藩の手で処刑されたということじゃ。」
 なかなか面白い話である。那須氏の時代考証は定評があり敬意を表しているが、手持ちの本などを調べてみてもご隠居の語る件の記事は見当たらない。
 ただ有岡利幸著の「日本植物文化誌」こんな記述はあった。孟宗竹は元文元年(1736年)琉球王国から薩摩藩に献上され、安永8年(1779年)江戸の下屋敷に移植されたのが、各地に広まったという。この記述の行間から植木屋の話の可能性が感じられない訳ではないが。
 ところで、海上の森の孟宗竹林に、10cmぐらいの筍の皮が落ちていて、まだ瑞々しくて美味しそうでもあった。猪の仕業である。今の時期どんなどんな達人でも見つけられないほど深い地中にある。・・・猪の超人的能力に感心しつつも、食べたい悔しさを、お止草の薀蓄を仲間に話すことで晴らしたいのに・・・
 どうしてくれるの那須さん!!!

  一むらの竹の春ある山家かな       高浜虚子
  天上に風あるごとし竹の春        佐藤和夫
  
 
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新年   麗

2008年02月07日 | Weblog
今日は旧暦の1月1日です。
春の光がまぶしくなってきました。
日脚も確実に伸び日の入りが遅くなって
嬉しい限り。
我が家では去年格安で買った小さな胡蝶蘭にかわいいつぼみがつきました。
1年間あきらめず窓際に置き、時折水をやっていただけなのに
春の訪れを目に見える形で告げてくれました。
葉っぱだけが場所を取っていたシンビジウムにも花芽がつきこちらも楽しみ。
うまく開花したら写真をアップしますね。

  旧暦の新年祝うつぼみたち  麗
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初雪と言ひてあがれる母の家   遅足

2008年02月06日 | Weblog

母は91歳になりますが、昨日、転倒。
幸い骨折はなかったのですが、10日間の入院となりました。
去年の春に転倒骨折。手術して半年の病院生活を送っていました。
秋に退院。先生たちからは、3週間、3ヶ月後が要注意と。
私もそろそろ危険だから・・・と、言っていました。
そして3ケ月後に予言通りに転倒、入院となりました。

しかし、転んだのは、デイケアの施設の風呂場。
すぐに併設する整形外科病院で、レントゲンを。
そして骨には異常なし。
さすが我が母、転倒するTPOを心得ています。
これこそ不幸中の幸い。

まだまだ先の長い母。
これからも不幸中の幸いで行って欲しいと願っています。

句は正月につくったものです。
また、写真は先日の節分の大雪で真っ白になった
伊豆高原の大室山です。
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オシドリの里へ   鳥野

2008年02月05日 | Weblog
偶然に出会った「思い羽」という文字。意味も実物も知りたくて、草女さんにしつこく尋ねた犯人は私めです。

答えは「<風切羽>の1種、初列、次列に続く三列風切のことで、銀杏の葉の形に似ていることから”いちょうばね”ともいう。
何時もは地味な羽色だけど、繁殖期になると、美しく色づくからそう呼ばれるのでしょう」と。

鳥博士の説明は正解でしょうが、納得がいかない。

これはもう実物を見るより手はありません。、設楽へ行こう。

設楽町田峯、地元の伊藤仙二さんが、もう20年間も保護管理していて、有名なオシドリの里です。
餌付けしているわけではなくあくまでも給餌、その日に必ず群がって来るという確約はない。
会うことができますように、と祈る思いでした。

いました。寒狭川の淀みにゆっくり浮かんでいました。
美しい鴛、控えめな鴦。銀杏形の思い羽は鮮やかな錆朱。艶々と耀いて誇らし気です。

手造りの観察小屋は粗末ですが、オシドリへの配慮が行き届いていて、自然の状態を見ることができました。
思い羽を詠んだ秀句の多いことも知りました。

  恋知らぬ子よ思ひ羽の色深む  長谷川久々子

  思ひ羽を飾りて根雨の鳥見小屋  朝妻力

  思ひ羽の水をたたいてゐるばかり  馬場龍吉

  思羽流れて濠の昏さかな  二松斐子

  思羽いとしや老の書にはさむ  山口青邨

  思ひ羽拾ひて水郷去らんとす  加藤三七子
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近県の梅の名所案内                 愚足

2008年02月04日 | Weblog
★☆今日は近県のよく知られた梅の名所を紹介してみました。すでに行かれた所ばかりだと思いますので、この地方の良き観梅の地をご紹介ください。


愛知   名古屋市天白区 名古屋市農業センター
      しだれ梅 700本 2月下旬~3月中旬052-801-5221
    知多市 佐布里池
      梅 25種類 約1400本 2月下旬~3月上旬0562-33-3151市観光課
岐阜   安八町 安八百梅園
      梅 130種 1000本  2月上旬~3月中旬0584-64-3111町産業課
    岐阜市 岐阜梅林公園
      梅 50種類 1300本 2月下旬~3月中旬058-265-4141市公園整備室 
三重   津市 結城神社
      しだれ梅 250本 他10種類80本 1月下旬~3月 059-228-4806
滋賀  彦根市 彦根城梅林
      紅梅・白梅 約600本 3月中旬~下旬0749-22-2742公園事務所
奈良   月ヶ瀬村 月ヶ瀬梅渓
      約1万本 2月中旬~3月下旬07439-2-0300月ヶ瀬観光協会

☆★ 句会までに一度どこかに出かけて「ウメー句」をものにしたいと思っています。
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凧きのふの空のありどころ  蕪村

2008年02月03日 | Weblog
凧は中国から伝来したもの。
日本では江戸時代から一般に普及したそうです。
蕪村の句も、案外、新しいものへの興味から生まれたのかも知れません。

現在でも浜松などでは、子供の誕生を祝って、凧を揚げます。
そこには子の幸せを願う親の思いがありますが、
空につながりたいという思いは、永遠なるものにつながりたいという
気持ちがあるように感じられます。

     

「昨日の空のありどころ」という表現は、なにをあらわしているのでしょうか?

昨日はどこへ行ってしまったのか?
過ぎ去った時間、どこにあるのか、見えない。しかし確かにあった昨日。
目の前に凧を浮かべた空が無限に広がっている。
昨日という時間を含んだ空が、きっとあるはずだ。
そんな思いが「昨日の空のありどころ」という表現となったのでは。

およそ100年前に、ヨーロッパの時間観念が、日本に入ってきました。
時間は一本の直線のようなもので、振り返れば、永劫の過去。
未来も見通すことは不可能です。
この時間の捉え方で読めば、この句は永遠に去ってしまったものへの哀惜。

      

しかし、つい最近まで、日本人は、時間を円環と考え、
永遠に循環するものと考えていたそうです。
そう考えると、どうでしょうか?

昨日の空は、まためぐってくる。今の空でもあり、未来の空でもある。

はかない命の人間が揚げている凧。
「きのふの空のありどころ」という表現は、確かに永遠につながっているのだ、
という気分を、表現するためのレトリックではないでしょうか?(遅足)




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抱き合えば莟膨らむ沙羅双樹   朱露

2008年02月02日 | Weblog
 ある句会にこの句を出したら無視の憂き目。
 老男女ばかりでもないのに何がいけないか。
 沙羅双樹という木を知らないと言うわけだ。
 平家物語を開くとすぐ出て来ると言ったが。
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