575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

半円をかきおそろしくなりぬ   阿部青蛙(せいあい)

2012年10月14日 | Weblog
円を半分描いて、急に怖ろしさを感じたという。
なぜ円を描くことは憚られるのでしょうか?
完全な円は神様の領域なんでしょうか?神を前にした恐怖?
この句、よく分からないのですが、ずっと気になっていました。
倉阪鬼一郎さんの本「怖い俳句」には次のような解説がありました。

私たちが見ている、このまことしやかな世界の裏面には
言語化することの出来ない白い不定形なものが
ウレタンのごとく埋められている。(ヴィックス粒子?)
その世に知られない構造を直感的に把握し、
平明な言葉に定着させたのが青蛙の句。
なぜ半円をかいた作者はおそろしくなってのでしょう。
見えているのは「かかれた半円」だけです。
その半円をかいた時、作者はかかれざる、本質的に
かくことが出来ない半円の存在に気づいて戦慄するのです。
この空白。人知の及ばない、言語化できないおそろしい空虚です。

この世の知られない構造は神の世界なのか?
言語化できないものを言語によって、どこまで表現出来るのでしょう?
周囲をぐるぐる廻っているだけのような気もします・・・

他にこんな句も。

  額縁屋額縁だけを売りにけり

売られているのは実体のある額縁ですが、眼目は額縁のなかの空虚です。
この空虚な部分は何でも入ります。
ということは何も入らない空虚でもあると・・・

この句の方が理解できそうです。
俳句が認識の一形式であるなら、花鳥諷詠に入りきらないものも
数多くあることは分かりますが・・・
やはり不可解な句です。

                       遅足



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